第21話 衝撃
「坂道先生の姪が愛羽浮葉……しかもこんなに態度がひどいなんて」
夕璃は理解が追いつかず呆然としていた。
「なんだこのクソガキ。おいカク、こんなやつがほんとに作家になれたのか?」
「底辺イラストレーター……」
怒る芹那はカクを問いただし、英里奈は心に深い傷を負った。
「悪いな。こいつは心に闇を抱えているんだ」
瞳の色は漆黒で目つきも悪く、目に映るもの全てを敵視しているように見える。
「こいつの態度や性格はひどくても小説だけは俺が出会った中で最もすごい作品だ。危うく俺もこいつの思想に飲み込まれるところだった」
浮葉の小説――『ラブコメ否定形』は多くの人の考えを捻じ曲げた。
カクや夕璃もその中の一人だ。
二人は何とか思想に飲み込まれずに踏みとどまったが、心を動かされたことは確かだ。
夕璃の小説は十二歳の闇を抱える少女の小説に負けたのだ。
「俺も『ラブコメ否定形』を読んだことがあります。浮葉の思想は人の常軌を逸した考えです。どうしたらあんな考えに至るのか……」
三ヶ月前に読んだあの本を思い出して夕璃は身震いをする。
「だがあの本を読み終えた時必ずみんながこう思うはずだ――主人公の言っていることは正しいと」
主人公の思想は夕璃とは正反対だった。
それなのに主人公に考えを書き換えられそうになり、主人公の思想は正しいと思ってしまった。
「俺はこいつの本に衝撃ではなく恐怖を覚えてしまった。でもあの本はこいつの――愛の『魂の叫び』そのものだ。だから人の考えを、心を塗り替えてしまうほどの影響力があるんだと思う」
カクは難しい顔で浮葉の頭をクシャクシャと撫でる。
「ここにいたのか」
鈴虫の鳴き声が聞こえる縁側で夕璃は大の字で倒れていた。
「あのガキに負けたのが悔しいか?」
芹那は、倒れている夕璃の隣に座り夜空を眺めながら尋ねる。
「すごく悔しいですよ。でも今は――憧れの人がどれほど遠くて偉大なのかを痛感しています」
「それはそうだろ。あの二人は業界にもう十五年以上いる大ベテランだぞ。たった一年の若輩者が肩を並べられるわけがないだろ」
芹那の言葉は辛辣だが正しい。
夕璃はそれにさらなる怒りを覚えて拳を強く握る。
芹那はそれを見て、ゆっくりと夕璃の手に自分の手を添えた。
「だから夕璃はあの二人よりも速い速度で階段を登ればいい。そうすればすぐに追いつくだろう」
「俺なんかがあの二人がいるところまで辿り着くでしょうか?」
圧倒的な差を見せつけられ、今の自分の実力に不安を抱いていた。
「お前だからこそあの二人を越えられる」
「ありがとうございます。少し自信が湧きました。俺少し坂道先生に用があるので探してきます」
夕璃は体をゆっくりと起こして立ち上がろうとすると――
「俺に用って……なんだ?」
襖の隙間からそろりと体を出して申し訳なさそうに答える。
「いや、偶然通りかかったらいい雰囲気でな。小説の参考にしようと……」
「お前は今小説を書けないだろうが!!」
芹那に怒鳴られ綺麗な直角の姿勢で頭を下げて謝る。
「すいません」
「改めて、俺に用ってなんだ?」
浴衣姿になっているカクも夕璃の隣に腰を下ろした。
カクの浴衣はお祭りなどで着る浮葉が着ている浴衣ではなく、温泉浴衣や旅館浴衣と呼ばれている浴衣だ。
「浮葉は過去に何があったんですか?」
どうしても浮葉の心を動かせるほどの強い思想の源が知りたかった。
「あいつは小学校に上がる前に俺の弟であり、愛の両親を亡くしている。それだけでは留まらず、クラス全体からいじめを受けていて主犯格が好きだった男子らしい。いじめの内容は……本当にあのクラスの奴らは小学生だったのかと思うほど惨い内容だ。"愛"に裏切られたから"愛"は不要と思い、ペンネームは愛羽浮葉。それなのに本名は人に愛され、人を愛すようにとつけられた愛。ほんとに皮肉な名前だ」
そんな悲惨な過去が浮葉の心を変えてしまい、心を変えてしまう強い思想を抱くようになったのかと思った。
話を聞いていた二人は生意気でふてぶてしい彼女に何かできることはないかと思っていた。
「結局のところ……最高の小説を創り上げたければ心を変えさせられるような衝撃を受けるしかないんだよ。受けた衝撃をどれくらい自分の心で受け止めきれるかによって、そいつの心の強さが決まっちまうんだよ」
「じゃあ悲劇を経験しなきゃ最高の小説は創り上げられないんですか……?」
「それは違うな。悲劇は衝撃の種類の一つに過ぎない。芹那の嬢ちゃんが天才と呼ばれるほど成長したのも俺という衝撃に出会ったから。コチも俺も世界を回り数々の衝撃に触れたからここまで来れた。お前さんもいずれ心に受け止めきれないほどの衝撃を体験するはずだ。それを心で――魂で受け止められれば成長するが、衝撃に耐えきれなければ心も作家としても、死を意味する」
――この二人は過去に死線をくぐり抜けることができたから、今日まで偉大な存在としていられたんだ。
夕璃は自分がまだ未熟だが成長の余地があると悟った。
「ありがとうございます。なんだかすごくやる気が出てきました」
そう言って夕璃は自信を取り戻し、カクに貸してもらった部屋に戻っていった。
「お前のおかげでしばらくは夕璃が執筆をサボることはなくなるだろう」
「嬢ちゃんが少年に可能性を感じたのは――俺の作品の主人公に生き方や考えがそっくりだからだろ?」
「あぁ。夕璃はもう憧れの存在に近づいているんだ」
夕璃の情熱的で真っ直ぐで悩み苦しみ、それでも立ち上がる姿は『ただ変』の主人公の生き方にそっくりだった。
夕璃は恐らく似せようとしているわけではない。
夕璃が主人公だから、自然に似てしまったのだろう。
「にしてもほんとにいい女になったな」
「私は立ち止まっていないからな」
「そう急かすな――きっと近いうちにあいつは俺に衝撃をあたえてくれるだろ……」
今日、夕璃たちがカクのもとを訪れたことにより――彼の作家としての止まっていた針が少し、動き出した気がした。
「どうだ……俺と付き合わないか?」
夜空の下、近くの田んぼの稲が風で揺れる音とともに、カクは作家とは思えないほどシンプルな――魂からの言葉を芹那にぶつけた。
「気持ちは嬉しいよ。でも私はもう――あの主人公とその物語の虜なんだ」
「若造にお前を任せるのは些か不安だが、あいつなら大丈夫か」
「きっとお前を超えるぞ」
呆れ、苦笑してカクはその場を立ち去っていった。
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