第18話 最強の主人公は主人公になれなかった

 夕璃と慧と唯衣はHG文庫の近くにあるカフェに移動した。

 

 木組みで大きな観葉植物が何個も置いてあるため落ち着く雰囲気だ。

 

 夕璃はカフェオレ、慧と唯衣はブラックを注文した。


「それで話ってなんですか?」

 単刀直入に夕璃が聞くと、慧と唯衣は一瞬見合って笑顔で話し始めた。


「俺たちは君の兄、春彦と中学からの友達だった。高校時代に君のことを一度聞いていてね。こうして話したかったんだ。もちろん君の小説も読ませてもらったよ」

「ありがとうございます。兄には二人のことは全く聞いていなくてびっくりしました」

「少し春彦について聞かせてくれないか?高校時代、あいつに少し変わった様子はなかったか?」

 

 夕璃は春彦ととても仲がよくて、喧嘩はあまりなく、毎日夜遅くまで話していた。

 

 だが明るい春彦がある日を境に変わった。


「兄はある日突然話しかけてくれなくなり、より一層バスケに力を入れ始めてました」

 

 なぜそうなったのか夕璃は気になったが、春彦には聞かなかった。

 聞いてはいけないと、反射的にそう思ったからだ。


「実はその原因は俺たち二人にあるんだ」

 二人は夕璃に向けて残酷なことを告げた。

 

 二人は高校生の時、喧嘩ばかりするようになり、いつしか別れるまでに発展していた。

 

 ある日、ついに喧嘩の勢いで別れてしまい、唯衣のことがずっと好きだった春彦が別れた次の日に告白した。

 

 唯衣は断り、その後慧と仲直りしてよりを戻したが、そのことを慧に言うと慧は春彦を信用できなくなりそれ以降関わらなくなった。

 

 二人は余すことなく夕璃に全てを告げた。

 夕璃は顔に出すことはなかったが、ひどく落ち込んだ。


 それは春彦の、慧の、唯衣の行いにではなく、自分の中では最強の主人公が、別の物語では主人公ではなかったという事実に対してだ。

 

 最強の主人公でも物語が違ければ主人公ではなくなるという現実に。

 

 でも夕璃の、春彦への尊敬や憧れがなくなるわけではなかった。


「俺たちは次第に春彦のいない日々に違和感を感じたんだ。中学からの親友が急にいなくなり、心に穴が空いたような感じがした。勝手なのは重々承知だが、もし春彦が日本に帰ってきた時、俺たちと会わせてくれないか?」

 

 これが春彦にどんな影響をもたらすかは夕璃にはわからない。

 

 だからこそ、会ってほしいと思った。

 少しでもお互いの傷が癒えるようなことがあるなら会うべきだと思ったのだ。


「分かりました。もし兄が帰ってきたら慧先輩に連絡します」

「ありがとう。でも本題は君についてなんだ。君は坂道先生の作品に影響されて作家になったんだって?」

「はい。俺は『Re:tail』を読んで主人公になりたいと思いました」

「君はその思い描く主人公になれたかい?」

 

 その時、夕璃の頭の中に桜華の顔が浮かんだ。

 

 夕璃が主人公になるために必要不可欠な人。


「まだ俺は主人公になれてません。だから今は主人公になるために全力で走ってます」

「その決意ができる人は自分に何が足りないかわかってる人だけだ。今頭に浮かんだものを一生大事にするんだ。一度離せば二度と戻って来ないことだってある」

 

 慧の目は一点を見つめていて、主人公の目をしていた。


「慧先輩は主人公になれたんですか?」

「あぁ。俺は主人公に成りきった。断言できる」

 

 慧は唯衣を目を合わせて微笑んだ。

 

 きっと慧が主人公になるために必要不可欠な人は唯衣だったのだろう。

 

 ――俺も胸を張って主人公だと言えるように、桜華と並んで道を歩めるようにならなきゃ。


「いつか俺も胸を張って主人公になったと言えるように精一杯努力します」

 

 慧は「頑張れ、若者」と一言残して唯衣とカフェを出ていった。



「あの子、慧と同じ目をしてたね。一点を見つめる目」

「俺も夕璃もあいつも、いつだって遥か遠くの一点を見つめて努力して生きてる。主人公っていうのはそういうことだ」

「じゃあこの世の中は主人公だらけだね」

「そうだよ。この世界の誰もが――主人公だ」

 

 人によって主人公像はそれぞれ違うが、この二人はどこから見ても完璧な主人公になっている。

 

 それは、二人で数多の苦難を乗り越えてここにいるからだ。

 

 夕璃の人生物語ではただの先輩でも慧の人生物語では紛れもない主人公だ。

 

 彼の主人公になるまでの道のりはきっとどこかで語られるだろう。

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