第16話 最強の主人公

 旅行用のカバンに着替えとパジャマ、最低限の生活用品を詰めて、以前南房総市に缶詰めに行った際、芹那に未成年の夕璃の代わりに買ってもらったお土産の日本酒を持って夕璃は家を後にした。

 

 ここから徒歩十分ほどの距離の桜華の家に行くが、今は八月中旬。

 

 この時期に十分歩くだけで汗だくになってしまうので夕璃はバスを使い、桜華の家に向かった。

 

 桜華の家は、桜華が通っている大学の近くの築五十年ほどの年季が入ったアパートだ。

 

 以前お邪魔したことがあり、部屋は1LDKだが窮屈ではなかった。

 

 桜華は親の反対を押し切って家出のような形で独り立ちしたので仕送りをしてもらえず、自分のバイト代と貯金でやりくりしてるため、このアパートに住んでいる。

 

 美波は親の許可をもらっているので仕送りをしてもらい、新築のアパートに住んでいる。

 

 夕璃は呼び鈴を押すが一向に出てくる気配はない。

 仕方なく大きく咳払いをして居留守を使っている桜華にも聞こえるようにこう言った。


「出てこないなら帰省は諦めて芹那さんと英里奈と泊まりで出かけようかな」

 

 言い終わると同時にドアが勢いよく開いた。


「今起きましたおはようございます!」

「嘘つけ。居留守すんな」

 夕璃は飛び出してきた桜華の頬をつねって強引に家に上がり込む。


「あ、不法侵入。警察呼ぶぞー」

「じゃあ出てって二人と出かけるわ」

「今すぐ帰省の準備を致します」

 桜華は大きなバックに服や生活用品を急いで詰め込み始めた。

 

 今日は桜華と、実家の埼玉県三郷市に帰省する。

 夕璃が家を出たのは四ヶ月前で、しかも隣の県なので帰省といってもあまり実感が湧かなかった。

 

 準備を終えた桜華を強引に引っ張ってバスに乗せ、電車で埼玉まで向かった。

 一時間ほどで実家のすぐそばまで来れた。

 

 二人の実家は徒歩三分ほどの距離でとても近い。

 

 高校に入り、桜華と仲良くなった頃にちょうど夕璃が桜華の家の近くに引っ越して来たのだ。

 

 その引っ越しは中学生の時から決まっていたので、本当に偶然で最初はとても驚いた。

 

 今じゃこんな災難に巻き込まれるとは思わなかった。

 

 実家に近づくにつれて足取りが重くなる桜華を引きずりながら、呆れた顔で夕璃は歩く。

 

 やがて夕璃の家に着いた。

 

 夕璃の家の方が近くにあるのでここで二人は分かれる……はずだった。


「嫌だー!あの家には帰らないって誓ったの!」

「お盆くらい帰れよ!だいたいここまで来てどこに泊まるつもりだよ」

「夕璃の家に泊まるー!」

「歩いて行ける距離に自分の家があるだろ!」

 

 久しぶりの夕璃の実家の前で、二人は揉め合っていた。

 

 夕璃はしがみつく桜華を必死に引き剥がそうとするが、余程嫌なのか離れる素振りはなかった。


「あーもう、仕方ない。今日は俺の家に泊まって、明日必ず自分の家に帰れよ?」

「やったー!わかった!」

 桜華はお泊まりと連呼しながらぴょんぴょん跳ねて喜んだ。

 

 夕璃は気乗りしないのか、ため息をついて呼び鈴を押す。

 すぐにドアが開いて中年の女性が現れた。


「ただいま、母さん」

 出てきたのは背が高く、茶色の髪を団子にしていて少しシワができている夕璃の母、赤井恵子あかいけいこだった。


「おかえり夕璃。桜華ちゃんも一緒なのね」

「こんにちは、おばさん」

 高校生の時に桜華は何度も夕璃の家に訪れていたため、夕璃の母とはすっかり顔見知りだった。

 

 二人は家に上がり一度リビングに顔を出した。

 

 そこにいたのはバスケの試合をテレビで観戦し、昼間から飲んだくれている白髪混じりの黒髪短髪の高身長でガタイがいい夕璃の父、赤井智則あかいとものりだ。


「ただいま、父さん。また兄さんの試合を酒のつまみにして昼間から飲んでるのかよ」

「春彦の試合は絶対見るんだよ。父としての役目だ」

「そんな大層なこと言ってる割には試合終盤はいつもべろべろで何もわかってないじゃない」

 

 恵子はそう言って智則の酒瓶を取り上げようとするが智則は必死に抵抗した。

 

 四ヶ月ぶりにいつもの赤井家の日常を目にした夕璃は微笑んで、桜華を連れて自室のある二階に上がった。

 

 智則が酒のつまみとして見ていたバスケの試合には、夕璃の兄である赤井春彦あかいはるひこがチームのエースとして出ていた。


「夕璃のお兄さんって有名なバスケの選手だよね」

「あぁ、高校卒業してすぐ日本の上位のチームに入って、四年後にはアメリカに飛んだ。今じゃアメリカのトッププレイヤーと肩を並べてる、俺の知る最強の主人公だ」

 

 夕璃は自慢げに春彦のことを話す。


「お兄さんとは何歳差だっけ?」

「七歳差だ。アメリカに行ってからは二年に一回くらいしか帰ってこないからもう二年も会ってないよ」

 

 春彦は高校生の時、埼玉で一番有名なバスケットボール選手で、クラブチームにも入っており、背も高く、勉強面でも文句なしの成績だった。

 

 挙句の果てに、弟の夕璃から見てもイケメンときた。

 

 そんなイケメン文武両道の兄を誇りに思っている。

 

 二人は部屋に荷物を置き、久しぶりの地元に繰り出す。

 見慣れた町並み、見慣れた風景、でもそこには今まで感じたことのない懐かしさがあった。

 

 二人は思い出話に花を咲かせながら夕方まで三郷を回った。

 

 夕食は夕璃の両親と一緒に近所のファミレスに行って済ませた。

 桜華が家出をして夕璃の家に泊まるのは何度もあったので、特に何事もなく夜が明けた。

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