第15話 揺らぐ想い

 昼間から酒を浴びるほど飲んだ二人は夕方には酔い潰れ、リビングの端で並んで寝ている。

 

 この光景を遥斗に見せたらさぞ恥ずかしがるだろうと思い、夕璃はニヤニヤと写真を撮って遥斗に送る。

 

 夜ご飯の買い物をしてきますと家に置き手紙を残し、三人は近くのショッピングモールに足を運んだ。

 

 買い物ついでに二階の本屋に立ち寄った。

 

 この本屋にもラノベ新刊の場所に夕璃と遥斗の本が平積みされていて、嬉しい気持ちを表情に出さないように唇を噛んで堪えていると、隣に二人の本より減りが早い本を見つけた。


『ラブコメ否定形』という変わった名前の他のレーベルの小説だった。

 

 作者は愛羽浮葉あいばふようという名で、『ラブコメ否定形』は二人と同じデビュー作だ。

 夕璃は変わった名前に惹かれて一冊手を取り、レジへ向かった。


 購入後、二人を探していると二人は雑誌の棚のブースにいた。

 読んでいた雑誌は知らないグラビア女優のような女性が水着を着て海ではしゃいでいる様子が表紙だった。


「お前らグラビア見るのか?」

 女性がグラビアを見ることが変だとは思わないが、夕璃はこの二人が見るような性格ではないことはよく分かっていた。


「英里奈と海行きたいねぇーって話しててちょうど海の記事が載っていたから見たの」

 

 桜華が見ていたページを両手で広げて夕璃に見せた。

 そこには今年の流行りの水着や撮影された神奈川の片瀬東浜海海水浴場の情報が載っていた。


「海行きたいのか?」

「「うん!」」


 ――海か。最後に行ったのは中学三年生の受験期真っ最中、息抜きに友達と行ったきりだな。

 

 夕璃の脳裏に最後に海に行った思い出と桜華達の水着姿が浮かんだ。


「じゃあ行くか?ちょうど取材をしてみたいと思っていたし」

 夕璃は女性達の水着見たさに思わず提案する。


「「やったー!!」」

 

 こうして夕璃達は取材という名目で水着を見に片瀬東浜海水浴場に行くことにした。


 

 桜華の希望で夜ご飯はうな重になり、一応五人分をフードコートでお持ち帰りで買った。

 

 だが家に帰っても二人は泥酔していて起きた気配すらない。


「こりゃ朝まで起きなさそうだな」

 夜とはいえ夏の湿度は半端ではなく、外に出た三人はお風呂に入った後うな重を食べることにした。

 

 せっかくなので三人一緒に食べることにしたため、最初にお風呂に入った夕璃はさっき買った『ラブコメ否定形』を検索した。

 

 すると人気ネットショッピングアプリの評価は星五と満点で、コメントには――


「主人公がクズな作品は基本的にギャグ要素強めなのにこの作品はギャグ要素が少ない。だけどそこが見どころ」


「自分は熱い想いを題材にしていたり主人公が熱い想いを持っている作品が好きですが、この作品は根本から想いを否定しています。ですがなぜか好きになってしまいます」


 ――などなど今までにないスタイルの作品で、そこに惹かれている読者が多いことがよくわかった。

 

 このような作品には決まって


「やはり王道が一番」

「熱い想いがあってこそ主人公」

 

 と言った斬新なスタイルではなく王道を愛する読者も出てくるはずなのだ。

 

 しかし評価にはそのような人は誰一人おらず、そんな考えを否定されたがそこが面白いと言う読者がいるくらいだ。

 

 ――この作品は、多くの人の想いを変えている。

 

 この作品には人を変える力があるんだ。

 

 夕璃は人を変えてしまう作品がどれほどのものなのか気になり、本を取り出し読み始めた。

 

 普段は読んでいる本がある時はその本を最後まで読んでから新しい本にはいるが、この作品を読めば何かが掴めると感じた夕璃は読み途中の本があるのにも関わらず読み進めていった。

 

 三人で夜ご飯を食べるはずだったが夕璃は小説を止めることが出来ず、二人に先に食べてもらった。

 

 二人が夜ご飯を食べてから二時間後。

 夕璃は読み終えた『ラブコメ否定形』をゆっくり閉じた。

 

 読み終えた夕璃にご飯を後回しにした説教をしようとした二人は夕璃を見てやめた。

 

 夕璃は――


 

 夕璃は放心状態でいた。

 

 心配に思った英里奈が恐る恐る声をかけた。


「ゆうくん、この小説そんなに感動する物語だったの?」

 夕璃は虚ろな瞳にやっと光を宿した。


「違う……この小説は感動も悲劇も一切ない。あるのは愛情や情熱を否定する主人公の想いと、その想いを読者に植え付け考え方を変える強い文章力と言葉の重みだ」

 

 この小説は努力と情熱に裏切られた主人公が、愛情と情熱はいらないという考えを愛情と情熱は大事だと考える人達に伝えるという物語だ。

 

 主人公の考えと相反する考えをもつメインヒロインとの口論のシーンは、まるで主人公が読者の心に話しかけているようだった。

 

 この小説の文章は読んでもらうためにあるのではなかった。

 心に刺さるようにあるのだった。

 

 その刺さった今までの自分の意志とは正反対の考えは抜けずに、心を侵食している。

 恐らく夕璃はこの先、幾度となくこの問いにぶつかるだろう。

 

 ――情熱は本当に何かを変えただろうか?心に刺さった正反対の想いの方が何かを変えているんじゃないか?

 

 という問いに。

 

 夕璃は今の自分の想いに迷いが生じてしまった。

 そんな心が混乱している中、混乱は不意に一瞬で治まった。

 

 突然夕璃を温もりが包み、深く突き刺さった問いを忘れさせてくれた。

 

 心地よい匂いが気持ちを楽にしてくれた。

 

 落ち着いた夕璃は自分を包んでいる温もりの正体に気がつく。

 

 桜華が抱きしめてくれていた。


 少しキツくて肩にぽたぽたと落ちる雫が、夕璃の手を動かして桜華の腰に添える。


「夕璃は情熱があって努力をして、結果を出しているからかっこいいんだよ。確かに正反対の考えも同じくらい正しくて同じくらい熱い。でも夕璃は迷っちゃだめだよ……だって今は迷っている暇なんてないでしょ。夕璃の情熱で一人の心を動かすんだもん。夕璃の武器は情熱と努力だよ。夕璃にとって一番大切で必要な想いを信じて。信じて走り続ければきっと、迷いを打ち払えるくらいの自信がつくよ。さくらは夕璃の情熱と努力を信じてるよ――これまでも、これからも、ずっと」

 

 桜華の言葉は、迷いかけていた夕璃の心を奮い立たせた。

 

 ――そうだ。俺は全力で走らなきゃ。

 

 夕璃はそっと桜華を離して笑みを浮かべた。


「もう大丈夫だ。俺はもうどんな想いにも心を動かされたりはしない。絶対に今の自分自身の想いを信じきる」

 

 夕璃の言葉を聞いて桜華は目から止めどなく溢れる涙を拭って、夕璃を超える満面の笑みを浮かべる。


 

 しばらくして英里奈は一足先に帰っていった。

 

 ――ゆうくんと桜華はまだ楽しそうに話しているのだろか。

 

 不意に頭に浮かんできたことに苛立ちや劣等感、悲しみを感じて「はぁ」と小さくため息をつく。


「私はゆうくんが好き……でも桜華とはライバルじゃなくて友達でいたい。私は一体どうすればいいの……」

 英里奈の悩みはとても簡単には解決できない、大きな悩みになっていく。

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