第13話 スタートライン
ここはオタクが行き交う聖地、秋葉原。
「本来ならこんな時期に秋葉原は来るものじゃないぞ」
夕璃が手で扇ぎながら脱力した声で呟く。
今は七月――真夏だ。
人通りが多く暑苦しいところなのに夏に来るなど自殺行為だ。
「ただでさえ夏はあまり行きたくない場所なのになんでこんな大人数で来る必要があったんだよ」
夕璃は両隣りを交互に見てため息をつく。
「僕は君に呼ばれたからね。それにここにいるみんなは僕達の小説に関わった人たちじゃないか」
夕璃の左隣りで遥斗がウキウキしながら歩いている。
「お前と二人の予定がなんでこの三人がいるんだよ」
「それはお前、担当編集を差し置いて初出版される本を見に行くのか?」
遥斗の隣で胸元をチラつかせている、大胆なワイシャツの着方をしている芹那が遥斗にエスコートされながら夕璃を指さす。
「百歩譲って芹那さんが誘われる経路はわかりますよ。でもなんでお前ら二人がここにいるんだよ」
夕璃は右隣りを歩く桜華と英里奈に疑問をぶつけた。
「さくらが遥斗君に誘われて英里奈を誘ったんだよ」
「桜華を誘ったのは――遥斗?!」
遥斗が夕璃の驚きを待ってたかのようにピースをして、アドレス帳に入ってある桜華の携帯番号を見せてくる。
「お前らいつの間に……」
夕璃は少し遥斗を警戒するが、遥斗は知る由もなかった。
「さっきまで乗っていた電車が恋しい。早く本屋に行くぞ」
今回夕璃達御一行がやってきた理由は遥斗と夕璃のラノベが発売されているのを見るためだ。
自分の書いた小説が初めて書籍化される喜びと不安に、二人はそわそわしていた。
「「おぉ……」」
到着した本屋で平積みされている『俺ラノ』と遥斗のデビュー作『それでも世界は美しい』――『それ
二人とも見本誌は既に芹那に渡されていて中身も確認していたが、改めて書店に並んでいるのを見ると感慨深い気持ちになる。
「これが私たちの最初の一歩だな」
芹那が二人の本を手に取り微笑んだ。
「これが……私とゆう君が創り上げた本」
九年前から夢にまで見たこの瞬間。
この一冊の本を創るためにゆう君と離れた七年間、私は頑張ったんだ……
一粒の涙が英里奈の頬を伝う。
でも英里奈はすぐに涙を拭い夕璃と見つめ合って笑った。
四人が全力を出して創り上げた本を見て楽しそうに話しているのを、桜華は少し遠くからどこか切なそうな顔で見つめている。
「夕璃の隣を歩くのはもう、さくらだけじゃないのかも……」
――このまま帰っても誰にも気づかれないだろう。
だってさくらはあの世界の人間ではないのだから。
出版業界とは何の縁もないただの女子大生。
友達が作家――ただそれだけ。
それだけであの輪の中には入れない。
桜華は目に涙を浮かべてこの場をゆっくりと立ち去ろうとした。
すると――
「桜華どこに行くんだ?」
桜華を引き留めたのは夕璃だった。
「さくらはここにいても一人ぼっちだよ……さくらには本が書店に並んでいる気持ちなんてわからない。本が無事に出版できた気持ちもわからない。さくらの隣にはもう、誰もいないんだよ……」
夕璃の手を引き剥がし再び立ち去ろうとする桜華の手を強く握りしめ、夕璃は桜華を他の三人がいるところに連れて行く。
「いつでもこの輪の中に入れるさ。だって桜華も俺たちの小説を創り上げた一人なんだから」
「でもさくらが手伝ったところも結局プロの編集者には全て直されているはずだよ……」
「いや、そうでもないぞ」
芹那が『俺ラノ』を一冊手に取りページをめくっていく。
そしてある描写を桜華に見せる。
「っ!!」
桜華は声が出ないほど驚き、大粒の涙を流した。
芹那が見せた描写は、悠輝が結衣に告白して一度振られるが、悠輝が離れてやるもんかという思いを込めた、あるセリフを言った場面だった。
そこの二人のセリフが――
『こんな俺でよければ結衣のそばにずっといさせてください』
『こちらこそずっとずっと一緒にいてください』
――これは二人があの日交わした言葉だった。
「どうしてこの言葉を……」
桜華は息を詰まらせた。
「どうしてもこの言葉を入れたかったんだ。だって、桜華からもらった一番嬉しい言葉だから」
夕璃は頬を赤らめそっぽを向いて答えた。
「だから桜華も『俺ラノ』を創り上げた一人なんだ」
桜華は涙を拭い大きく頷いた。
「無事に書店に並べられていることも確認できたしそろそろ行くか」
「芹那さんは早くお酒が飲みたいだけですよね」
遥斗に的を突かれた芹那は咳払いをし、みんなを連れて書店を後にした。
夕璃と遥斗も自分の本が並べられているのをもう一度目に焼き付けてその場を立ち去ろうとすると、
「おいこれ。めっちゃ面白そうじゃん」
「隣の小説の方が好みかなー?」
二人のカップルが夕璃と遥斗の小説を手に取り、イチャイチャしながらどちらの小説が面白そうか議論していた。
「僕たちの苦労はこうやって報われるんだね」
「ああ。本が売れるってこういうことなんだな」
二人はハイタッチをしてその場を後にした。
秋葉原を後にした夕璃達は、スーパーで食材や飲み物、お菓子などを買って夕璃の家に着いた。
今日は二人のデビューを祝う会だ。
遥斗の手料理をまた食べたい夕璃だったが、主役は大人しく座ってろと言われてしまい女性陣が何やら張り切って料理を作っていた。
「僕の料理より女性が作った料理の方が美味しいよ」
「俺はお前の料理だけは評価しているんだ。今度こそ作ってくれよ」
「小説も評価してくれよ……」
少し悲しげに遥斗がなげかける。
すると夕璃はバッグから何かを取り出した。
「今から評価するつもりだ。思えば、お前は俺の小説を読んでいるけど俺は読んでいないからな」
取り出したのは『それ世界』だった。
「素直じゃないなぁ。言ってくれれば発売日前に読ませてあげたのに」
「ばぁか。好きな作家の本が発売されるのを今か今かと待ちわびるのも本が発売される楽しみだろ」
夕璃の言葉を聞いた遥斗は、ニヤニヤと夕璃を楽しげに見つめた。
「どこが面白いんだよ」
「いや、すまない。君の態度が以前と180度違っていたからね」
『それ世界』を読み始めた夕璃を見て、遥斗もバッグから『俺ラノ』を取り出し読み始めた。
「お前は読んだことあるからわざわざ買う必要ないだろ」
「君は芹那さんとの缶詰めで大きく成長しただろ?だからどれ程成長したか確認するのさ」
「相変わらずの上から目線だな」
以前の夕璃だったら今の遥斗の発言に嫌気がさしていたが、ちっとも嫌な気分にはならなかった。
お互いの本を読む二人をこっそり料理の合間に見ていた芹那。
「二人とも素直になればいいものを」
二人が心の距離を縮めている時、裏では熾烈な戦いが幕を開けていた。
その戦いはスーパーにいる時から既に始まっていた。
「遥斗の料理そんなに美味しかったのか?」
「はい。すごい美味しかったですよ」
「あの遥斗が料理ねぇ……」
外見からは料理ができてもおかしくないように見える遥斗だが過去を知っている芹那からすれば料理をするのは意外だった。
「男子なんかに負けてられないよね!」
英里奈が真剣にレシピアプリを見ながら意気込んでいる。
「そうだな。料理で夕璃の胃袋を掴んでみるか」
「エロ編集者には負けてられないよ英里奈!」
「やってみろよロリっ子」
誰が夕璃の胃袋を掴むのか――戦いの火蓋が切って落とされた。
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