第12話 見据えるもの
英里奈がイラストレーターとして一歩前進したあの日から一週間。
英里奈の絵が再び完成したということなので、再度夕璃は編集部に呼び出された。
いつもの会議室に入ると、そこには余計な奴が一人混じっていた。
「なんで遥斗がいるんだよ」
遥斗は堂々と芹那の正面で椅子に座っている。
「ライバルのイラストレーターがどれほどの実力かお手並み拝見しに来ただけだよ」
芹那がニヤニヤしながら遥斗を見つめて鼻で笑う。
「俺のイラストレーターを舐めるなよ」
「俺のイラストレーターだなんて……えへへ」
緩んだ顔で英里奈がくねくねする。
夕璃は誇らしげな顔で遥斗と対峙する。
「ほら、二人とも席に着け。二人で仲良く見ればいいだろ」
仲良くという言葉に少々不満げな夕璃だが大人しく遥斗の隣に座った。
二人の前に芹那がパソコンを出し、絵を見せた。
一枚ずつ見ていくとともに二人の表情は驚きへと変化していった。
「アトリエで見た時よりも格段に上手になってる。最高の絵だ!」
「これほどまでとは思わなかったよ。この絵は――君の小説にぴったりな良い出来栄えじゃないか」
褒め言葉の嵐で英里奈は徐々に顔を赤く染め上げ、やがて耳までも真っ赤になってしまい俯いてしまった。
「それで、一体一週間前にどんなことをしたのか教えてもらうぞ」
芹那が脚を組んで英里奈と夕璃を睨みつけた。
「別に英里奈に絵を描く楽しさをもう一度教えただけ――」
「ゆうくんのファーストキスをいただきました」
夕璃の言葉を遮り、堂々と爆弾発言をする英里奈。
「でもそれって――」
夕璃が唇ではなく頬にされたと誤解を解こうとしたが、それを聞いた芹那は組んでいた脚を机の上にガンッっと音をたてて置いた。
その音で夕璃の声はかき消されてしまった。
「おっと、残念だったな。夕璃のファーストキスは私だ」
「あなたがいつしたって言うんですか」
「一糸まとわぬ姿で私が夕璃とベッドで一夜を共にした時だ」
勝ち誇った顔で英里奈を嘲笑う。
「でもあの夜は何もなかったって芹那さん言いましたよね?!」
「ああ、あくまで一線は超えなかったということだ」
――それじゃあ俺のファーストキスは本当に芹那さんに取られたのか……
ファーストキスが身に覚えがないことを夕璃は後悔する。
「残念だったな。夕璃のファーストキスは私が貰っていたからな」
それを聞いた英里奈は涙目で会議室を飛び出して行った。
「イラストレーターを泣かせる編集者がどこにいるんですか」
遥斗が呆れながら芹那を叱る。
「夕璃のファーストキスを取った腹いせだ」
「でも芹那さんが俺のファーストキスを取ったんですよね……それに英里奈にキスされたのは頬ですから」
「あれは嘘だ。あと頬だったんだな。早く言ってくれればよかったのに」
「言おうとしましたよ……それより嘘なんですね!よかった!」
「おい、よかったとはどういうことだ」
ファーストキスが身に覚えのないという現実を回避した夕璃は喜んでいたが話が噛み合わずに誤解され、芹那に襲われた。
「なんで止めてくれなかったんだよ」
隣を歩く遥斗に夕璃はふてくされた顔で訴える。
「見てて面白かったからね。君と芹那さんはいつもあんな感じなのか?」
「そうだよ。いつもからかったり誘惑してきたりするんだ、まったく……」
「仲が良くていいじゃないか」
どこか遠くを見据えて話す遥斗を夕璃は不思議に思う。
――こいつも何か夢や目標に向かって全力で走っているのかな?
最初は敵意剥き出しだった夕璃は徐々に遥斗に興味を持ち始めていた。
そうこうしているうちに夕璃の家に着く。
夕璃は芹那から解放されてさっさと帰ろうとした時、遥斗にしつこく家に連れて行ってほしいと言われたので仕方なく連れてきた。
「ここが夕璃君の家か。お邪魔します」
「ちゃんと飯作ってくれよ」
「わーい!何作ってくれるの?」
今、誰かいなかったか?
夕璃はリビングのドアを勢いよく開けるとそこには――
「おかえり夕璃」
「「どちら様でしょうか?」」
一人くつろぐ桜華がいた。
「こんにちは。僕は夕璃君の親友の入江遥斗です」
「こんにちは。夕璃のお世話をしてる春咲桜華です」
「お世話されてないし親友でもない」
律儀に自己紹介をする遥斗に、桜華は慌てて立ち上がり、自分も自己紹介をした。
「それでなんで桜華がいるんだよ」
あたかも自分の家のようにくつろいでいた桜華がポケットから何かを取り出した。
「じゃじゃーん。これまだ持ってたんだ」
それは以前夕璃と芹那が旅行――否、缶詰に行った時に預けておいた鍵だった。
「人がいない時に勝手に入るなよ」」
「家に来ても誰もいないから入って待ってようと思ったの。それより何あのメガネイケメン!あんな親友がいるなら早く言ってよ」
「なんでだよ。それより今から遥斗が飯を作ってくれるらしいけど桜華も飯食っていくか?」
家に連れてきてくれてお礼を兼ねて遥斗が自慢の料理を振舞ってくれるらしい。
「うん!食べる」
「そういえば今日は用事があって来たのか?」
「あ、そうそう。夕璃に話したいことがあってね」
夕璃は不審な顔で桜華を見た。
「どうしたの夕璃君。まるで彼女から男友達の話題が出た時の彼氏の顔をしているよ」
キッチンから顔を出した遥斗が瞬時に夕璃の心の中を見透かす。
「そんな顔はしてない!それで……話ってなんだ」
――緊張して声が裏返ってしまった。
本当に彼氏ができた等の話だったらどうしよう……
不安を募らせる夕璃だったがその不安はすぐに消え去った。
「さくら、大学卒業したらHG文庫で編集者になろうと思うの」
それは夕璃の想像した男の話ではなく桜華の将来についてだった。
「どうして編集者に?」
「作家になる前はさくらが夕璃の小説の誤字脱字とか文法の手直しとかしてたでしょ?でも今はあのエロ女が小説の手直しをしてる。さくらはそれが嫌なの。あいつに夕璃を取られたみたいで――だからさくらが編集者になったら夕璃がさくらの担当作家になってほしい」
――桜華の言い分はよくわかった。
俺も桜華が担当なら願ったり叶ったりだ。
でも、どうしても旅館での俺が放った言葉が頭をよぎる。
(俺と一緒にどこまでもついてきてください)
もし芹那さんから離れて桜華の担当作家になれば俺は芹那さんを裏切ることになる。
俺はどうすれば……
「よし。二人とも料理ができたから運んでくれないか」
結局桜華には気持ちを言えずじまいだった。
それがよかったことなのかは夕璃にはわからなかった。
桜華もこれ以上話を続けようとはしなかった。
「「おぉ……」」
遥斗の作ったオムライスを見て思わず声を漏らす。
デミグラスソースがかかった形の整った楕円形で、凹凸が一切ないカスタードクリーム色の卵が食欲をそそる。
「「いただきます」」
卵を開けるとほかほかのチキンライスが顔を出す。
スプーンですくい口に運ぶ。
「「うっまい!」」
夕璃と桜華は一口食べると手が止まらなくなり、すごい勢いで食べている。
「まだ熱いからそんなに焦って食べると火傷するよ」
遥斗が一人ゆっくりと食べながら二人を少しにやけながら見ている。
「遥斗さん料理お上手ですね」
「桜華ちゃんのお口に合ってなによりだよ」
二人の何気ない会話を少し羨ましそうに見つめる夕璃に気づいたのか、遥斗は夕璃を一瞬横目で見て笑った。
夕璃はそっぽを向いてオムライスを頬張った。
オムライスを食べ終わり桜華が皿洗いをかって出てくれたので夕璃と遥斗は特に言葉を交わすこともなく、同じテーブルでラノベを読んだりスマホをいじったりしている。
ふと遥斗が立ち上がり冷蔵庫を物色する。
「夕璃君はお酒飲めるのかな?」
「俺は十八歳だぞ。まだお子様だ」
遥斗はオムライスの材料と一緒に買っておいたビールを二缶持ったまま呆然としていた。
「てっきり僕と同い年かと思っていたよ」
――そういえばこいつに歳を教えたことなかったな。
「そういうお前はいくつなんだ?」
「僕は二十一歳だよ。まさか君が歳下だったなんて」
遥斗はビールを一缶だけ冷蔵庫に戻してテーブルで一人で酒を飲み始めた。
「君は桜華ちゃんのことが好きなのかい?」
「お前酔っているのか?」
遥斗からそのような話が出るのは初めてで夕璃は怪訝な表情で遥斗を睨む。
「そんなに警戒しないでくれ。彼女が僕のことをどう思っているか知らないけれど、僕の想い人は別の人だよ」
「お前の想い人っていうのは芹那さんだろ?」
夕璃が芹那の名前を出すのをまるで知っていたかのように表情を変えずに頷いた。
「そうだ。僕は芹那さんに救われたんだ。暗いどん底にいた僕をあの人が手を差し伸べ、こうして明るい世界に連れ出してくれた」
「お前にも何か見据える目標があったんだな」
「僕だけ暴露するのは不公平だからね。君は桜華ちゃんが好きなんだろ?」
遥斗が答えたため夕璃も言わざるをえなくなってしまった。
「そうだよ。俺は桜華が好きだ。俺の見据える目標の一つにお前のように桜華も関わっている」
その言葉を聞いて、遥斗がビールを机に叩きつけるように置いた。
「ならさっきの桜華ちゃんが編集者になった場合、担当作家になる約束を受ければいいじゃないか」
「受けたいのは山々だが……俺にも事情があるんだよ」
「それなら僕にだって事情がある。悪いが芹那さんから離れてくれないか?」
「悪いな――俺は芹那さんと約束したんだ。そう簡単に離れるわけにはいかない」
お互いの思いがぶつかり合う。
表情には出ていないが二人とも今にも溢れ出る思いを大声でぶちまけてしまいそうだ。
「それが好きな人の願いでもか?――君は良い人だから何かを切り捨てるという決断をまだ下せていない。いずれたった一つだけを選ぶ日が来るさ」
そんな意味深な言葉を残して遥斗は「それじゃあ」と言って家を出ていった。
「あ、遥斗さん帰るんですか?」
桜華が皿洗いを中断して遥斗を玄関まで見送るのを一瞥して夕璃はうなだれる。
「わかってるよ――いつまでも三人に答えを出さないままではいられないことくらい……」
桜華に聞こえない声で呟き、立ち上がり遥斗が残していったビールを片付けるため持ち上げる。
するとまだ半分ほど残っていた。
「なんだよ、大人ぶりやがって――いや、これがなきゃだめだったのか」
夕璃の遥斗に対する思いは変わったが、めんどくさい関係は変わらなかった。
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