第10話 プロの絵

『俺ラノ』の挿絵で芹那と英里奈と会議を終えた夕璃は二人を連れて夕璃の自宅で昼食を取り、ごろごろしていた。

 

 桜華たちが買ってそのまま家に置いてある、人をダメにするクッションに芹那も虜になっていた。

 

 順調に進めば『俺ラノ』は七月に出版できる予定だ。

 

 自分の考えたキャラや描写の挿絵ができることは新人作家にとって待ちわびているものの一つだ。

 

 挿絵ができるため最近はモチベーションが上がっている夕璃は、暇さえあれば小説を書いている。

 

 ごろごろしている二人も静かなのでリビングはタイピングの音だけが響く、心地よい空間だった。

 

 英里奈が立ち上がってどこかに行くのも気に留めないほど、夕璃が集中して執筆していると――


「やっほー。英里奈久しぶり!」

「突然呼んでごめんね。さぁ入って入って」

 英里奈が勝手に家に上げたのは美波だった。


「あ、夕璃お邪魔しまーす。芹那さんこんにちは」

 家の主にさらりと挨拶をした美波は一つ余っていたクッションに体を委ね、英里奈と楽しそうに話し始めた。

 

 エンターキーを強く押し、立ち上がった夕璃は、

「なんで勝手に家入ってくつろいでるんだよ!てかうるせぇー!」


「「だってここはみんなのたまり場でしょ?」」


「ふざけんな!」

 いつの間にか家をたまり場として認知されていたことにキレていた。


「今桜華も呼んでおいたから」

 英里奈の言葉に美波は一瞬体を震わせ、耳を赤くした。

 改めて見ると、案外桜華のことが好きだと分かりやすかった。


「あ、そうだ、芹那さん。少し話を聞いてもらってもいいですか?」

「なんだ?」

 

 美波が突然真剣な表情でクッションから体を起こし、芹那を真っ直ぐ見つめた。

 

 夕璃と英里奈はすぐになんの話か察してクッションから起き上がり、執筆を一旦やめる。


「もし、身近に女性同性愛者がいたら芹那さんはどう思い、どう接しますか?」

 今の質問で恐らく芹那も察しただろう。

 

 だが、芹那は言葉を詰まらせることなく、美波に答える。


「こんな言葉もう聞き飽きただろうけど、それはその人の個性であり、純粋な感情だ。その感情を他人が否定する資格は誰にもない。だが、その感情を受け入れられない人も当然いる。だから受け入れられない人がいることをまず受け入れる必要がある。その上でその感情は正しいと思っていれば、きっと嫌悪感などで、心が傷つくことは少なくなるだろう」

 

 芹那らしい大人の的確な意見に、美波は大きく首を縦に振りながら頷いていた。


「ありがとうございます。もう分かっちゃったかもしれないですけど、私、女性同性愛者なんです」

 

 あの日、美波が初めて夕璃と英里奈に告白した日から一ヶ月。

 

 泣き崩れながら告白していた美波は、今は強い意志を瞳に宿らせ、自分の感情と正面から向き合っていた。

 

 恥ずかしがることも、嫌で言葉が詰まることもなく告白した美波に成長を感じた二人はお互いに見合った。


「夕璃がいろいろな人に問いかけて、考えてみろって言ってくれたおかげで英里奈や芹那さんに告白することができたんです」

「へぇー。たまには夕璃もいいこと言うじゃん」

 

 意外そうな目で夕璃を見つめる。

「だから二人してなんでたまにはって言うんですか……」


「「なんかそういうこと言わなそうだから」」


「やかましいわ!」

 夕璃のツッコミで場が和やかな雰囲気になった時、ちょうどいいタイミングで桜華が家にやってきた。


「やっほー英里奈久しぶり。夕璃も久しぶりだね、お邪魔します」

 桜華は誰かと違い、きちんと家主に挨拶をした。


「桜華は美波とは最近会ったのか?」

「え?同じ大学だよ。言ってなかったっけ?」

 どおりで美波には久しぶりと言わなかったわけだ。


「美波がさくらと同じ大学がいいって言ってくれたんだよね。すごく嬉しかった」

 桜華が美波の手を握り、ぴょんぴょん跳ねながら教えてくれた。

 

 夕璃が美波をじっと見ると、美波は顔を赤くして目を逸らしてしまった。


「なるほど、そういうことか」

 美波の照れように、芹那は美波が誰のことを好きなのか分かってしまった。


「げぇ!えろ仕掛け編集者……いたのかよー」

「後から来たチビ助は大人しくしてたらどうだ?」

 二人は睨み合い、美波は数歩下がって関わらないようにと気配を消していた。

 

 しばらく睨み合ったあと、ふんっ!と言って座り込んだ。

 その後ボードゲームやテレビゲームなどで遊び、それぞれが帰路についた。

 


 ― 数日後 ―

 

 今日も夕璃は二人と会議がある。

 今日はいよいよ『俺ラノ』の挿絵が完成したのだ。

 

 編集部に到着して会議室に入ると、既に二人は座って夕璃を待っていた。

 

 席に着くとすぐに緊張した面持ちの英里奈が震えた手でパソコンを渡してくれた。

 開くと、そこには英里奈が書いた『俺ラノ』の挿絵がいくつも載っていた。

 

 十年前の絵とは何もかもが違う。

 プロのイラストレーターの絵だ。

 

 そして自分の作品に絵がついたこと、自分で生み出したキャラに動きが、色が加わっていて夕璃はとても感動した。

 

 だが、違和感を覚える。


「どう?今の私の全力の絵。昔とは全く違うでしょ」

 その言葉に夕璃は一瞬歯を食いしばり、拳を握る素振りを見せたがすぐに冷静な態度になり、こう答えた。


「ああ、。この絵はボツだ」

 

 その言葉を聞いた英里奈は自分の絵を、否定された怒りと疑問を夕璃にぶつける。


「どうしてなの?!私の全力の絵の何が不満なの!」

 

 英里奈は会議室中に響き渡るような音で机を叩き、椅子を倒して立ち上がった。

 

 夕璃は何度も絵を見返すが、首を振るばかりだ。

 芹那は英里奈を落ち着かせて二人の意見を聞くことにした。


「どうする?あまり時間がない。このままの絵でいくか?」

「いえ、やり直しさせてください。必ずゆう君が求めている絵を描きます」

「期限は一週間だ。それまでに仕上げられなければ今の絵でいく」

 

 英里奈は、自分の全力を否定され、今にも泣きじゃくりそうなところを踏ん張り、決意した。


「ゆう君には絵を描いている時そばにいてほしいの。あの時みたいにゆう君の隣りなら……」

「うん。いいよ」

 夕璃は英里奈に手を握られ連れていかれた。


「今回は温泉の件もあるし、譲ってやるか」

 

 二人が会議室を出ると偶然あの作家に出くわした。


「やぁ夕璃君。久しぶりだね」

「なんだ遥斗か。いや、近々俺もお前に会おうと思っていたからちょうどいい」

「やっと僕に心を開いてくれるのかい?」

 

 夕璃は小さく深呼吸をした。

 するとその場の雰囲気ががらりと変わった。

 

 夕璃の、真っ直ぐ遥斗を捉えている目を見れば一目瞭然だった。


「お前のデビュー作、偶然にも俺と同じ発売日だよな?」

「ああ、君と同じ二ヶ月後だ」

「俺はお前に新人賞の時点で一度負けている。今度は俺がお前の作品に勝って、お前が俺に追いつけないくらいに差をつけてやる」

 

 たしかな決意と覚悟が宿った言葉を遥斗にぶつける。


「つまりこの僕に君が勝負を挑むということかい?」

「そうだ。お前の才能は本物だ。だから俺はそれを超える――いや、超えなきゃならないんだ。だから俺はお前に絶対勝ってやる」

 

 遥斗の口元が緩み、笑みが漏れる。

「絶対に勝ってやる……か。笑わせてくれるね。僕も本気で君を潰してやる」

 

 二人の目の奥には燃えさかる炎が宿っていた。

 

 そして互いに目を見て笑い、その場を後にした。



 夕璃たちが立ち去り、しばらくその場に残っていた遥斗は、会議室から出てきた芹那に話しかけられた。


「とうとう勝負を挑まれてしまったな。いい加減その上からの口調を直してちゃんとを付け加えて話したらどうだ?」

「そんなことしたら夕璃君のやる気が削がれちゃいますよ。彼がライバルなしでもやっていけるくらい立派になってくれたら明かしましょうかね」

「切磋琢磨してくれることはありがたい。二人とも



 夕璃が英里奈に連れてこられたのは英里奈の自宅だった。

 2LDKで白の壁とベージュのフローリングで清潔感のある家だ。

 

 英里奈はここで一人暮らしをしているらしい。

 

 リビングにはテーブルとテレビ、そしてベッドがあった。

 1LDKの家ではよく見る光景だが、もうひとつの部屋を寝室として使っていないのだろうか?


「もう一つの部屋は何に使っているんだ?」

 ふとそんな疑問が浮かんだ夕璃は尋ねるともう一つの部屋に案内された。

 

 そこには膨大な数のスケッチが壁のいたるところに貼られていて、大きな棚には何個も厚みのあるファイルやラノベ、画集、ファッション雑誌などが並べられていた。

 

 そして真ん中、デスクトップPCと液晶タブが机に置かれていた。


「ここが私のアトリエだよ!」

「すごいな、これぞアトリエって感じだ」

「普段はここで絵を描いてるんだよ」

 英里奈は椅子に座りデスクトップPCと液晶タブを起動させた。


「今から結衣ゆいを描くからゆう君はここにいて」


『俺ラノ』はごく平凡な男子高校生の鹿野悠輝かのゆうき牧野結衣まきのゆいに振り向いてもらうため、何者でもない自分をラノベ主人公に変えようとする物語だ。


「俺がここにいたら集中できないんじゃないか?」

「ゆう君が近くにいればゆう君の求める絵が描ける気がするの」

 

 そう言うと英里奈の顔からは笑みが一瞬にして消え去り、まるで自分を阻む試練の壁が見えているかのような不安と決意が滲み出ていた。

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