第9話 時間と共に歩み出していく
この三年間、必死に感情に蓋をして、誰にも悟られることのないように過ごしてきたつもりだった。
「なんで、どうして……」
知られていた驚きの中、やっと誰かに言えた安堵に美波は涙を流している。
「俺だって確信はなかったさ。でも中学生の時と高校生の時のお前の雰囲気の違いが怪しいと思ったきっかけだよ」
――あぁ……そうか。
どれだけ蓋をしようと、蓋をする前の美波を知っている人から見れば変わっているのは一目瞭然だった。
美波は桜華と出会ってから中学から仲がよかった友達そっちのけで桜華と一緒にいたから中学生の時から美波を知る人は変化に気づかなかったのだろう。
――だが、美波と同じように桜華と出会い、毎日桜華の隣にいた夕璃ただ一人を除いて。
「なら、なんでこんな私とずっと一緒にいたの?……気持ち悪いでしょ、私……」
自虐的な台詞を吐いた美波は、笑いながら涙を流していた。
「別に異性でも同性でも年上でも年下でも好きっていう純粋な気持ちに変わりはないんじゃないか?」
「でも!同性を好きな人は私の周りには誰もいなかった!私だけが異常だったんだよ!」
三年間溜め込んでいた不安を、自分に対する怒りを夕璃にぶつける。
「それは他の同性愛者の人達も美波のように悟られないように隠していたからじゃないのか?」
感情に身を任せ言葉を吐く美波を、夕璃は正面から冷静に受け止める。
「それでも同性を好きになる人は珍しいんだよ!だから私はおかしいんだ!」
「だが世界には同性を好きな人は多いぞ?それに人を好きになることはおかしくない。性別なんて見た目を区別する言葉にすぎない。好きという感情は、そんな人を二種類に分裂させている壁を越えることができる。珍しいことはおかしくなんてない。同性愛者――LGBTQがまだ広く認知させていないこの世界がおかしいんだ」
――私じゃなくて世界がおかしい……!
その言葉を聞いた美波は目を丸くし、ハッとした顔で驚き、大粒の涙を流した。
今までずっとこの世界で私は異常だと、そう思ってきたのに夕璃は全く逆の発想をしていた。
「まだ美波はLGBTQについて知識も少ないし自分自身の心にしか問いかけてない。だから自分が異常だって思うんだ。もっといろいろな人に同性を好きになることはいけないことで異常なのか問いかけて、考えてみろ」
そんなことをしてもみんな気持ち悪い、異常だと言うはずだ。
美波はまだ自分が異常という概念を捨てきれなかった。
「もし、それでみんな気持ち悪い、異常だって言ったらどうするの!そしたら今度こそ私に居場所はなくなる!誰も関わってくれなくなるんだ!なら……また感情に蓋をして、いつもと変わらない日常を過ごした方がいいよ……」
蓋をしてこの話をやめて、またいつものように桜華の隣に並び、見守り、新しい友達の英里奈と笑い合う、そんな変わらない日常に戻ればいい。
たまにこうやってガス抜きをすればいつまでも隠し通すことはできるはず。
そう自分に言い聞かせ、蓋をしようとしたその時――
玄関の扉がばたん!と勢いよく開き、駆け足で誰かがリビングに入ってきた。
その刹那、美波は勢いよく抱きつかれ倒れ込んだ。
幸い倒れた先には三人が置いて帰ったクッションがあり、美波はゆっくりとクッションに沈んでいく。
美波はあまりにも勢いが強く、思わず目をつぶってしまっていて、目を開けるとそこには――
「どうして……英里奈が?」
英里奈が手を美波の腰に回し、少しきついくらいの何か意味がこもった強さで美波を抱きしめていた。
「昨日の買い物の時から美波がおかしいのは私にはわかった。それで今日ゆう君の家に戻った時の美波を見て何かあると思って、桜華と別れた後来てみたんだけど……」
その光景にはさすがの夕璃も呆然としていた。
「突然人は入ってくるわ、買ったクッションは置いてくわ、この家どうなってるんだよ」
場の雰囲気を乱すような文句を夕璃がぼそっと言っても、この重い雰囲気はなかなか変わることはなかった。
しばらくして美波の胸に顔を埋めていた英里奈が起き上がった。
美波の大きい胸に埋められていたため見えなかったその顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていたけれど、少しも可愛さは崩れなかった。
「どーして、私に相談してくれなかったの!一昨日仲良くなったばかりだけど私にできることならなんでもしてたのに……!」
涙を拭き、嗚咽を吐きながら英里奈は必死に美波に訴えかける。
「えっ?!さっきの話聞こえてたの?!」
「うん。外まで聞こえるくらい大きくてどのタイミングで入ればいいのか分からなかったけど、美波の話を聞いてたら私も美波の心の支えにならないとなって思ってそれで……勝手に聞いてごめん」
英里奈は先程までの勢いをなくして一気に落ち込んでしまった。
美波は驚きで口に手を当てて理解が追いついていなかった。
助けを求めるように夕璃を見ると、夕璃は目線で英里奈を指した。
美波にはこの意味がわかった。
(もっといろいろな人に同性を好きになることはいけないことで異常なのか問いかけて、考えてみろ)
夕璃の言葉が美波の脳をよぎった。
これは友達という目線の人に問いかけるチャンスだと美波は理解できた。
だが、考えを行動に移すことはとても難しく、口はわずかに動いているが声は出ていなかった。
俯いて落ち込んでいた英里奈は、美波の魂が抜け落ちたように力が入ってないぶらぶらとした両手を強く、英里奈の両手で握りしめた。
英里奈の手の――心の温もりが美波の手から心に流れ込み、美波を強く後押しした。
「英里奈は同性を好きになることを、同性が好きな人のことをどう思う……?」
英里奈はもうその答えが用意されていたかのようにすぐに言葉を並べた。
「そんなの、いい事に決まってるじゃん!他の人が同性愛者を異常だと思っても、私は美しいものだと思う」
「美しい……?」
「うん。他の人はあまり持ってない感情――だからこそ他の人より心が美しい。ほんとに自分の感情が嫌なら蓋をしないですぐに捨てようとするはずだよ。でも三年間美波はその感情をとっておいた。それってその感情が悪そのものではないって、美波も分かっていたからじゃないの?」
美波はわかっていた。
心のどこかで英里奈に指摘された思いを抱いていた。
でもどこにあるかも分からず、三年間その思いを心から引き上げることはできなかった。
だが、今英里奈の言葉を聞いて美波の中にあるこの感情は、悪でも異常でもないという思いが一気に浮上してきた。
「うん。英里奈の言葉を聞いてわかったよ。この気持ちはたしかに世界では少数の人しか持っていなくて嫌う人もいる。でもこの気持ち自体は嘘偽りのない、人を『好きっていう純粋で美しい感情』なんだって。私はこの美しい感情と向き合うよ――いつか桜華にも打ち明けられるくらい、周りの人は持ってない自分にしかないこの感情に自信が持てたとき、必ず」
蓋を開けた感情は止めていた針をゆっくりと動かしていき、時間と共に美波は歩き出していく。
二人は手を取り合い、夕璃の家を後にした。
「夕璃もありがとう。たまにはいい事言うじゃん」
「作家だから言葉には自信があるのにな」
夕璃は美波が駆け出していくのをどこか微笑ましい顔で見つめていた。
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