第4話 2人の想い

 夕璃の自宅から芹那の車で二時間かけて缶詰め予定の旅館に着いた。

 もちろん車でも小説を書かされたが、二時間ではとても進んだようには思えない。


「本当に三日で終わるんですか?」

「それは夕璃にかかってるぞ」

「はい……」

 途方もない改稿量にため息をついて旅館に入った。

 

 柔らかい赤みがある黄色の壁に、黒の瓦の屋根が日本の城の城壁をイメージさせる。

 周りの灯籠や松の木が和をより強調させている。

 

 旅館に入ると芹那がチェックインを済ませてくれた。

「わざわざすみません。俺も半分出せましたよ」

「いや、ここは私に払わせてくれ。ちゃんと体で払ってもらうからな……」

 最後の言葉は隣にいる夕璃でさえ聞こえない声だった。

 

 この旅館は入口とエントランス、食事処が二階となっていて一階に大浴場があり、三階と四階が宿泊部屋だ。

 チェックインをした部屋は四階だった。

 

 海が見える和洋室で、キングサイズのダブルベッド、和風のテーブルと椅子がある。

 そして、この部屋の目玉である露天風呂がベランダに併設されているのだ。

 

 木の浴槽で壁にはモニターが付いているため、テレビを見ながら入ることができる。


「こんなに豪華なところで缶詰めなんて大丈夫なんですか?」

「心配するな。経費でないとはいえこんな旅館に缶詰めした作家はあまりいない」

「それは俺にプレッシャーが……」

「大丈夫だ。私は夕璃を信じている」

 

 夕璃は芹那の期待に応えるべく、部屋に入るなり早速椅子に座りノートパソコンを開いて黙々と執筆に取り掛かった。

 

 ――書き始めて何時間が経っただろう。

 

 夕璃はふと時間が気になり時計を見る。

 時刻は五時半。

 

 一心不乱に書き始めること約二時間が経過していた。

 二時間作業をしたはいいが、車の中で作業した時よりもペースが落ちている。

 

 おそらく原因は――


「ぷはぁ〜!やっぱり酒は最高だな!」

 芹那が夕璃の正面で一人宴を始めたことだろう。

 

 作業を始めてしばらくした時、一人で部屋を出て行ったと思ったら、何やら近くのスーパーでお酒とつまみを買ってきようだ。

 

 ――この人は俺に作業をさせる気があるのか?

 そんなことを思いながらも作業を続ける夕璃だった。


「お、そろそろ時間だ。夕璃、ちょっとついてこい」

「どこに行くんですか?」

「それは着いてからのお楽しみだ」

 

 作業を突然中断させられて芹那に腕を引っ張られるように連れてかれ、夕璃は五階の屋上に来た。

 

 そこには二人用くらいの大きさの露天風呂があった。


「露天風呂……?」

「ああ、この旅館は別料金を払うと屋上か中庭の露天風呂を三十分貸し切れるんだ」

「じゃあ俺は外で待ってるんで十五分交代で」

 

 夕璃が足早に屋上から出ようとすると、芹那が即座に腕を掴む。

「私は長風呂でな。三十分入らないと満足しないんだ」

 

 腕をがっちり掴み離さない。


「じゃあ俺はいいですよ。部屋にも露天風呂付いてますし一階の大浴場に入りますから」

 夕璃は芹那に掴まれている手を引きはがそうと抵抗する。

「いやいや、夕璃は今ここで仕事の疲れを取るべきだよ」

 

 そう言って芹那は夕璃の上半身の服を脱がした。

「ちょっ!……やめろ!」

「目上の人に対してその口の利き方はなんだ〜。風呂で説教してやるから脱げ〜」

 

 ――この人、まさか酔ってる?!

 夕璃は身の危険を感じて最大限の抵抗をしたが呆気なく芹那に敗れてしまった。



「風呂にタオルを入れるのは行儀が悪いぞ」

「芹那さんもタオル巻いてください。これが入る条件ですからね」

 

 現在、夕璃と芹那は混浴している。

 

 結局説教などなく、芹那はタオルを巻かずに夕璃を誘惑している。

 

 夕璃は目を逸らして横を見たり夜空を眺めたりして湯に浸かっている。


「人と話す時はちゃんと目を見なさい」

「じゃあ見れる格好にしてください」

「どうせアニメや漫画、ああいう動画で見慣れてるくせに」

「直に初めて裸を見るのを恥ずかしがらない人はいませんよ!」

 

 夕璃はすぐ近くの二十代の巨乳美女の全裸という最大級の誘惑と戦っている。

 

 夕璃は夜空を眺めて胸がジーンとする不思議な気持ちになる。

 

 都会では見られない満天の星空、夜空に煌めく無数の星はとても綺麗だ。


「星、綺麗ですね」

 

 その美しさに思わず声が漏れてしまった。


「ああ、そうだな」

 芹那も上を向いて満天の星空に心打たれる。

「連れてきてくれてありがとうございます」

「お礼を言うのはこちらだ」

 

 突然の真剣な話に夕璃も芹那を見た。


「私はな、夕璃に可能性を感じているんだ。夕璃ならこんな私とでもやっていける。この業界のトップに立てるって。夕璃は私のことを嫌がらず、どんなに厳しくしても仕事を放り投げず、こんなにキツくて自分勝手な私と正面から向き合ってくれた」


「俺も芹那さんがこんな俺に本気でぶつかってくれたから芹那さんの期待に応えなきゃって思えるんですよ。俺はもっと上を目指します。だから芹那さん――俺と一緒にどこまでもついてきてください」

「ああ、もちろんだ。夕璃なら――いや、私たちならきっとやれるさ」

 

 互いの思いに応えるべく、二人はさらに上を目指す決意をした。


 

 三十分は二人にとって大切な時間となり、とても短く感じた。

 

 二人は部屋に戻り浴衣姿になって夕食を食べるため二階のお座敷に赴いた。

 

 夕食はここ南房総市で捕れた様々な魚を使った魚介料理だ。

 

 メインはあわびの踊り焼きに伊勢海老の刺身。

 そのほかにも七種類の刺身や魚の天ぷらが運ばれてきた。

 

 どれも極上の味わいで二人はとても満足した。

 

 その後は部屋で深夜まで作業にとりかかった。

 

 芹那はさすがに反省したらしく、近くの居酒屋に行くと言って出て行った。

「あの人仕事かお酒を飲むところしか見たことないけど大丈夫なのか……?」

 

 多少の心配もあったが普段仕事をしている分ゆっくりと休んでほしいと思った夕璃は、特に芹那を止めずに作業に取り掛かった。

 

 夕璃は約四時間ほどぶっ続けで作業していたので気晴らしに一階の大浴場に行ってみた。

 

 露天風呂はなく室内に二種類の温度が違う温泉があった。

 夕璃は温度が高い方に入り疲れをとった。


「あ〜!めっちゃ癒される」

 深夜ということもあり、大浴場には夕璃一人だ。

 男湯なので芹那も入ることは出来ない。

 

 夕璃は一人でゆっくりとしている時にどうしても考えごとをしてしまう癖がある。

 

 夕璃は二年前の出来事を思い出す。

 

 あの時自分の心に刻み込んだ決意を。

 夕璃が作家として生きていく上で絶対に無くしてはいけない想いを。


「早くスタートラインに立たないと。まだ全力で走ることもできないな。待ってろよ――必ず、もう一度」

 

 夕璃は心の声が漏れていたことに気づき、最後まで言葉にはしなかった。

 のんびりと一人の時間を有意義に過ごしまた作業に戻っていった。


 

 ――なんだか体が重い。

 

 そしてとても気だるく、できればこのままでいたい。

 

 だが、ふと作業のことが頭をよぎり重く閉じきったまぶたをゆっくりと開ける。

 日の光が眩しく思わずまた目を閉じてしまいそうだ。

 

 夕璃はゆっくりと体を起こし辺りを見渡すと――


「いっやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 全裸の芹那が全裸の夕璃の下半身に抱きつくようにして寝ていた。


「俺が寝てる間に何があったんですか?!」

 夕璃は芹那を引き剥がし問い詰める。


「ん〜。あ、おはよ。昨日の夜の夕璃は激しかったな」

「俺は何もしてませんよね?!」

「あら、私の大事なものを奪っておいて忘れたじゃすまないぞ」

「本当にごめんなさい」

 

 記憶には全くないがおそらくやってしまったんだろう。

 

 全裸の男女が大事なものを奪い激しい夜を迎えた――確実にやってしまっている。


「まぁ私の大事なエナドリを勝手に奪って飲み、テンションが上がった夕璃が激しくキーボードを叩きながら作業して仮眠をとると言ってベッドで即落ちしたところを私が脱がせて一線を超えようとした時に私も疲れて寝ちゃっただけよ」

「紛らわしい言い方すんな!」

 

 夕璃はほっと胸を撫で下ろし、立ち上がって顔を洗いリフレッシュして作業に戻った。

 

 今日はひたすら作業だ。

 元々缶詰めなので本来なら温泉もゆっくり浸かっている暇などなかったのだ。

 

 昼と夜は昨日の豪勢な夕食と比べ一気にランクダウンしたカップラーメンだ。

 

 結局二日目は昼から深夜まで作業で、一度の温泉がなければ死んでいただろう。

 

 三日目は早朝に起きて午後三時のチェックアウトまでひたすら作業。

 芹那の助けもあり何とか終盤まで差し掛かった。

 

 そして最後の追い込みで帰りの車でやっと作業を終えた。


「芹那さん……俺……やりましたよ……」

「よく頑張ったな。夕璃は寝てていいぞ」

「そう、させて、もらいます……」

 こうして二泊三日の缶詰めは幕を閉じた。


 

 一方、少し時を遡り三日前の二人が夕璃の家を出発してしばらく経ったころ――

 

 桜華は目を醒まし、とろんと眠気が残った顔で部屋を見渡す。

 

 一人だけ起きていてスマホをいじっている美波を見て、桜華は眠気の残った顔を一瞬で笑顔に変えた。


「おはよう、美波。そういえば夕璃は?」

 

 部屋のどこにもいない夕璃の行方を美波に尋ねる。

 

 美波は一瞬ゲッという、まるで触れてはいけない何かに触れてしまったような顔で桜華を見てあからさまな作り笑顔でテーブルの一枚の紙を指さす。

 

 桜華は気になって手に取り読んでみると――


「なんじゃこりゃぁぁぁぁ!!」

 

 桜華が置き手紙の内容を理解すると同時に、部屋に響き渡る大音量で絶叫した。

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