第2話 俺は平和な日常がほしい

 ―数時間前―


「――それでね!今日夕璃の引っ越しの手伝いをしたの!」

「あーはいはい。でもどうせ手伝っただけで何も進展してないんでしょ?」

「それは……美波みなみが手伝ってくれたらすぐ進展するよ!」

 

 都内のうなぎ屋で桜華とその友達の美波が夕食を共にしていた。

 

 この老舗のうなぎ屋は歴史ある屋敷の木材や扉やはりが使われた和風の洒落た内装で、桜華が味、雰囲気ともに気に入り月に何回かはこうしてやってくるのだ。

 

 山城美波やましろみなみ――桜華よりも少し背が高く、背中まである茶髪をポニーテールにしている。

 

 桜華の高校からの親友で、高校での美波のあだ名は『サクラママ』や『桜華のおもり』だ。

 

 会う度に桜華の進展のない恋バナを聞かされており、普段マイペースで怒ったことのない美波でもいい加減付き合ってくれと心の底で願うほどうんざりしている。

 

 今日もなんの進展もない話を嬉々として話している。


「じゃあ私が本気で手伝えば今日付き合ってくれるんだね?」

「え?今日?さすがにそれは……」

「よし。今から夕璃の家に突撃するよ」

 

 桜華は何を言い出すんだと目を見開いて必死に先程の自分の発言を訂正するが、美波は何年間も同じような話を聞かされ限界だったらしく鰻を食べ終わると桜華を引きずり本気で夕璃の家に向かった。



「ねぇ、本当に入るの?」

 

 二人は夕璃の家の玄関前まで来てしまった。


「当たり前でしょ。それに桜華も案内してくれたってことはちゃんと覚悟はできてるんだよね?」

「覚悟っていうか、ただ夕璃に会いたいだけだよ」

「甘い、甘すぎる!ほら、とっとと呼び鈴押して」

 

 美波に半ば強引に連れてこられて本当に会うことになってしまいそうでいよいよ桜華も焦り始めた。

 

 いつまでも呼び鈴を押すのを拒んでる桜華に変わり美波が押した。


「ちょっとまだ心の準備が!」

「心の準備なんて何年も前から何回もしてるでしょ」

 

 美波は幾度となく桜華と夕璃をくっつけようと桜華に告白するように言ってきた。

 

 呼び鈴を押してしばらくしても夕璃が出てくる気配はない。


「もう寝ちゃったんだよ。今度来ようよ」

 桜華は早足で階段に向かう。


「まだ七時だから寝てるわけないでしょ」

 

 美波が桜華を玄関前に引きずり戻すと夕璃の家から突然大きな女性の声が聞こえた。


「鍵なら空いてるぞー!用があるなら入ってこい!」

 

 桜華は途端に涙目になり美波にしがみつく。


「夕璃が浮気してる!さくら、夕璃のこと信じてたのに」

「まだ付き合ってないんだから夕璃が他の女と何してても夕璃の勝手でしょ。桜華がいつまで経っても夕璃に告白しないから他の人に取られちゃったんじゃない?」

 

 すると桜華は勢いよく夕璃の家のドアを開けた。


「ちょ?!桜華!いくら開いてるからって勝手に入るのは――」

 

 桜華は美波の言葉に耳も貸さずそのまま廊下を走りリビングのドアを開けて突入した。


「「え?」」

 

 芹那に押し倒される夕璃。

 

 家に上がり込んできた美波と桜華。

 

 お互いがしばし呆然と見つめ合う。

 この場の四人は状況を呑み込めず凍りついた。



「あなた一体夕璃の何なんですか!」

 桜華は夕璃の家に女性がいることに混乱して芹那を夕璃から引き剥がし、問い詰める。


「奇遇だな。私もあなたに対して同じことを思っていたよ」

 

 夕璃はまだ状況は理解出来てないが、このままだと誤解を招く恐れがあったため芹那の腕を引き剥がし二人に必死に弁解した。


「違うんだ。これは、その、芹那さん――彼女が酔ってしまって不慮の事故なんだ。俺急で抵抗できなくて――」

 

 嘘である。

 

 夕璃は色気を出す芹那に見とれて力が入らなかったのだ。

 それどころかあの状況を心のどこかで少し嬉しがっていた。

 

 しかし桜華は夕璃の必死の弁解も聞き流し夕璃に一瞥もせず押し倒れている芹那の前で仁王立ちする。

 

 芹那も自分に向けられているのが敵意だとわかると立ち上がり桜華を睨みつけた。


「大体、人がお楽しみの最中この家の主に許可もなく入ってくるなんて非常識にもほどがあるな」

「あんたが主の許可もなく家に入れたんだろ!」

 

 家の主はお怒りである。


「酒が入っててよく覚えてないな」

「とにかくあなたは夕璃の何なんですか?お酒を飲んでいるってことは大人ですよね?年下の男に何の用があったんですか?」

「私は夕璃の担当編集者だが?――いや、夕璃のパートナーだ」


「なっ!!」

 

 桜華は驚きのあまり一歩後ずさりをする。


「それはあくまでもビジネスのパートナーよね?それだったらさくらは正真正銘のパートナーよ」

 負けずと桜華も胸を張りドヤ顔で芹那に対抗する。


「じゃああんたは夕璃の彼女なのか?」

「かのかの彼女?!そ、そうよ。私が夕璃の彼女です……」

「いえ、違います。あと名乗っておいて最後恥ずかしくなるなよ」

 

 桜華は芹那の勘違いを逆手に取ろうとしたが羞恥心に負けて失敗してしまった。


「じゃああんたは夕璃のただの友達か」

「し、親友よ!それに夕璃のそばに一番長くいたのはさくらだから!」

 

 芹那と桜華の一触即発の言い合いに夕璃は数歩下がり美波と並び二人で正座し、遠い目でこの修羅場を見ていた。

 

 すると修羅場に呼び鈴の音が響きわたった。


「お、来たか」

「芹那さん誰か呼んだんですか?」

「あぁ。今日の打ち合わせを機に顔合わせをしてもらう為にな」

 

 芹那は桜華との言い争いを一度やめて玄関に行き客人を通した。


「ここ俺の家だよな……」

「あんたも大変ね」

 

 隣りで座っている美波が同情するように夕璃に話しかける。



「こ、こんばんは!」

 芹那が招いた客人がリビングに入ってきた。

 

 身長は美波と同じくらいで夕璃と同い年もしくは年下のように見える。

 セミショートで鮮やかな栗色の髪が特徴の女の子だ。


「私イラストレーターの七里ヶ浜英里奈と申します」

 

 ここにいる夕璃を除く三人に自己紹介した英里奈は、何故か夕璃だけを見ていた。

 

 そして夕璃も『七里ヶ浜英里奈』という言葉に引っかかっていた。


「私を……英里奈えりなを覚えてる――?」

 

 夕璃は英里奈の言葉を聞いて心臓がドクッと鼓動した。


「英里奈なのか……?」

「そうだよ――ゆうくん」

 

 夕璃は立ち上がり英里奈に近づこうとした。


「あんた誰だよー!!」

 

 感動の再会をことごとく邪魔をし、桜華は英里奈に飛びかかった。



「お前は敵意むき出しの犬か」

 

 英里奈に飛びかかろうとする桜華を夕璃はげんこつで制止させた。


「この人は夕璃の書籍化されるラノベの担当イラストレーターだ」

 後から入ってきた芹那が補足して説明する。


「私、本名を浜浦英里奈はまうらえりなって言います。ゆうくん覚えててくれたんだね」

「当たり前だよ。約束したじゃないか」

 

 二人は見つめ合い目に涙を浮かべていた。


「あのー、本当に誰なんですか?夕璃とはまたどんな関係で?」

 完全に勢いを無くした桜華がわずかな敵意を英里奈に向けて尋ねる。


「私はゆうくんと小学校以来の幼なじみです。ゆうくんと将来を誓いました」


「「将来を誓った!?」」

 

 芹那と桜華が同時に驚愕し、夕璃を見た。


「あ、これ、やばくね?」

 夕璃は今すぐにこの家から逃げ出したくなった。


 

 案の定、修羅場はさらに加速した。

 

 芹那も英里奈が夕璃の昔の知り合いとしか聞いていなく、サプライズで呼んだつもりがまさか自分の敵だとは思いもよらなかったようだ。


「私はゆうくんの最初の親友です!あなたみたいなぽっと出の親友とは歴が違います!」

「小学校以来会ってないくせに!それに六年以上前の夕璃しか知らないでしょ!」


「まぁ二人は所詮夕璃とは友達という関係にすぎない。もっとも私は夕璃とパートナーだがな」

「「ビジネスパートナーは引っ込んでろ!」」


 三人の争いは約二時間にも及んだ。


 ――もう九時半だぞ……いい加減やめてくれ……

 夕璃は心の底から終戦を望んだ。

 

 既に夜遅いので四人はその後、大人しく帰路についた。

 

 その後、夕璃は別室で小説の改稿をしていた。

 ひととおり仕事を終えて夕璃はため息をつく。


「平穏な日々を送るはずだった一人暮らしが初日から大騒ぎだよ……早く俺は平和な日常がほしい!」

 

 騒がしい日々が始まろうとしていることに夕璃は嫌気が差して叫ぶ。

 

 夕璃の漏れた心の声が部屋中に響きわたった。

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