第17話 凶兆
シィは自分の直感を信じている。
それは、これまでに何度も助けられたことがあるからだ。
そして、この直感こそが、自分の最大の才能だと自覚しているからだ。
シィは誰にも――クーベルク家の家族達にも言えない秘密を持っている。その中には、シィが培った、披露することはおおよそないであろう技術も無数に存在している。それらを押しのけて、最も有用だとシィが感じるのが、自分自身の観察眼だ。
シィは見たものを全て把握できる。例えば、目端に映った書類に書かれている文字ですら、シィは頭の中に取り入れている。また、一度見てしまえばどのような動作でも理解し、再現することができた。
隠すことのできないものであり、隠す必要もないと考えるものであるがゆえに、クロード達に対して軽く言って驚かせたことではあるが、シィ自身もこうした観察眼が、人並み外れたものであるという認識は、今でこそ持っている。その能力が人より優れているという事実が、何よりも彼女をここまで生き永らえさせてきたのだからだ。
こうした特出したシィの観察眼であるが、あくまでも物事を把握するに過ぎない。全てをそのままに理解し、把握するだけであって、全てを記憶できているわけではない。
記憶とは、意識的に取り出して初めて情報として成立するからだ。目端に映る文字を見ていたとしても、それ以外に無数に存在する、書類に書かれていた文章全てを再現して書き出すことはできないのだ。
要するに、自分の無意識化へと情報を格納することはできるが、記憶の引き出しには仕分けができているわけではないということになる。
では、どうするか。
無意識化には情報が蓄積され続けている。シィはそこから、有用な情報を感覚的に、無意識的に選び取っていた。例えるなら、目端に止まった書類の文字から、感覚的に重要な文字だけを拾い上げるように。
それこそが、彼女の持つ直感だった。つまり、経験と観察によって蓄積された数多の情報から、シィの直感は作り出されていた。
だからこそ、シィは自分の直感を、何よりも信じている。
その直感が、先程からずっと、最大限の警鐘を鳴らし続けていた。
――アルに何かが起きているのはないか。
――早く何か行動をとらなければ手遅れになる。
と。
「どうにか、無事に帰って来られたな」
ロッサムの町に辿り着いて、クロードが言った。
町の様子は出た時と変わりがないようだった。町に近づくほどに魔物の遭遇が減っていったことから予想はできていたが、自分たちの帰還が間に合ったのだと理解できた。
「シィ!」
そんなシィたちを出迎えたのは、先に帰還していたセレナの部下たちと、彼らから危険性を伝えられていたロッサムの衛兵、そしてシェンナだった。
シェンナはシィの姿を見つけるや否や、駆け寄ってくると抱き着いた。シィもそれを拒みはせず、その肩に優しく手をやる。
「シィ、大丈夫だった? それで、お兄ちゃんは……?」
袖を引かれ、上目遣いに見上げてくる。その眼には、不安の色があった。彼女は初めから見えていたのだろう。シィ達の中にアルの姿だけがないということを。
「アルは……」
シィはそれに上手く答えられない。
大丈夫だ。
クロードが言うように、そう言えばいいと頭の中では理解していた。しかし、何よりも自分が胸の奥ではそれを不安視している。
そうしたシィの表情を見て感じ取ったのか、シェンナの表情も曇る。
もしかすると、セレナの部下や衛兵と一緒にいたということは、彼らから山の危険性についても聞いていたのかもしれない。それでなくとも、耳にするか、察していたのかもしれない。シェンナはおどけて道具屋の看板娘と自称してこそいるが、それに負けないほどの大人顔負けの能力を持っている。大人とのやり取りにも慣れている。感じ取る能力は十分にあるだろう。
シィは唇を噛んだ。
シェンナにそのような不安を抱かせてしまったこと。胸の中で渦巻いているものへの不安。そして、自分が何もできていないことへの憤りがあった。
「大丈夫」
「シィ?」
シィは、なるべくいつもの調子で口にする。
「わたしが、アルを無事に連れ帰す」
そう言って、シィは不安げに見上げてくるシェンナの頭を撫でて、引き離した。そのまま、素早く踵を返すと、今さっき通ってきたばかりの山道へ向かって行く。
「――ッ! シィちゃん! 待て! こっちで今、準備をしてる!」
それにいち早く気づいたクロードが、背中に向かって叫ぶ。だが、シィは無視した。もう、それだけの余裕はないと、直感が告げていた。
シィは疲れを感じさせないほどの速さで、山道を駆けていった。
「……お兄ちゃんは、大丈夫だよね」
「ええ、きっと大丈夫ですよ。シィさんが向かうんですから」
そうシィを見送りながら話す、シェンナとセレナの会話など聞こえるはずもなかった。
◇
山道から、道なき道へ。
シィは止まることを忘れたかのように、ありとあらゆる障害物に出くわそうとも速度を緩めることなく、走り続けた。それはまさしく、風そのものであった。魔物がそれを遮ろうとすれば、まるで風が啼くかのような音を以て斬り捨てるような、つむじ風であった。
場所の目安は付いている。帰路で耳にした、爆発の方角だ。
町に戻るまでの時間を考慮すれば、更に離れている可能性はある。だが、アルが魔獣を引き離すことを主目的としているのであれば、少なくとも町から遠ざかる方向を見れば問題はない。シィは熱くなりながらも、冷静に考える。
(アル――――!)
とはいえ、思考の表層部分は、鉄でも溶かさん勢いで熱されている。
一刻も早くアルと合流する。
手遅れになる前に。
それだけが、頭を埋め尽くす。
「――――!」
その時であった。
ぞわり、と肌が震える。続けて、胸の奥がざわり、と震えた。一瞬で思考が塗り替えられる。
とてつもない、嫌悪感にも似た何かが襲いくる。
思わず、シィが足を止めてしまうほどの、嫌な予感であった。
「何――――?」
空気が震えている。
シィにマナを感知する力はほぼない。それでも、経験に基づく感覚が訴えてくる。周囲、いや一帯の自然的な何かが乱れている。何かが起きる。
胸を掻き毟られるような不安感が湧き上がってくる。
――ダメだ。
――手遅れなのか。
刹那にも満たない時間の自問自答。
――何が起きている?
――これは何を指し示している?
シィは直感を信じている。
それが何かを訴えるのであれば、何かを感じ取っているのは間違いない。
――今起こっているのは何だ。
――いや違う。
思考が転がり、どこかへ、すとんと落ちる。
――今から、何かが起こる。
――何かが、やってくる。
シィは跳ね上がる様に、空を見上げた。偶然にも、いや、シィの直感が無意識的に選んだゆえの必然だったのか、そこは枝葉が大きく隙間を作り、空が開かれた場所であった。
そこを、一筋の線が走った。
それはまるで空に張られた糸だった。それを、シィはガイドだと感じ取った。その先に何かがあるのだと、感じ取っていたからだ。点と点が繋がった。
シィの胸の中の感覚は、更に増していく。
――これは、良くない。
そして、大気が震えた。
シィにも完全に理解ができた。マナが乱れている。自然が乱されている。生物として、それを感じ取らされている。あの線の意味。何かが来る。
「――――っ!」
その感覚の直後、純白の光が、轟音と共に目にも止まらぬ速さで、線に沿うようにして通り抜けていった。尾を引いて駆け抜ける姿は、まるで地上を走る流星か彗星であった。目視できるほど溢れたマナは、軌跡を描くかのようにその尾の先から空気を偏光させて行き、七色の帯を残してていく。見た目こそ美しいもの。だが、シィにとっては、真逆の存在に思えてしまう。
凶兆。
全てを破壊する、とてつもなく不幸なもの。
星が通り抜けた余波は遅れて地上に訪れた。あらゆるものが巻き上げられる。脆くなった木々はなぎ倒され、周囲には土埃と折れた枝葉が舞っている。
シィはそれらを横目に、駆け出した。
星の落ちる場所へ。
おそらく、アルのいるであろう場所へ。
「アル――――」
もう疑いようはない。
間違いなく、何かが起きている。
自分の予想を超える――そして、予想に沿ってしまうようなことが起ころうとしている。
シィは走りながら、布で隠した右腕を掴んでいた。
「アル――――」
それは以前のように、無意識に行われているものではなかった。
心の奥底で、全てを知られてしまってでも、これを使わないといけないのかもしれないと、考えていた。
それで、全てが終わってしまうとしても、仕方ないのかもしれないと、考えていた。
「アル――――!」
そして、全てが震撼した。
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