第16話 白の“魔法使い”

「あっ――くぅぁっ――」


 目覚めと同時に、全身に激痛が走った。意思とは無関係に身体が痙攣し、寝台が揺れて軋んだ。激しいそれは、寝台から伝わると、サイドテーブルに置かれていた水差しを揺らし、床に落とした。ガラスの割れる音が、部屋中に響き渡る。


 そして、寝台の上の少女――ミュセルもまた、襲いくる激痛と痙攣によって、床へと転がり落ちた。長く絹糸のような白い髪が、先に作られていた水溜まりで濡れた。


「どうしたんですか、姉さん!?」

 間をおかず、少女の声がその部屋に響いた。


 慌てて部屋に入って来た少女は、その惨状を見て、驚愕する。


「姉さんっ! これは、一体何が……!」

「……ニュ、クス……」


 駆け寄ってくる少女に向かって、ミュセルはその名前を呼んだ。呼ばれた少女――ニュクスは、その澄んだ青い瞳を、細い眼鏡の奥で大きくした。


 ニュクスはミュセルによく似た少女だった。相違点は、白というよりは銀がかった髪とその短さ、新緑のような瞳ではなく空を映したような青い瞳、幼い少女のような体つきではなく年相応に肉付きのよい肉体であった。


「姉さん! 目を覚ましたんですね」

「うん……あぅ――つぅ!」


 倒れているミュセルを支えようと、ニュクスが手を伸ばす。ミュセルも久方ぶりの妹との対面に心が温かくなり、その顔へ手を伸ばそうとする。だが、ミュセルは痛みに再び体を捩った。


「っ!? 何が、起きて……!?」


 ニュクスは困惑するが、一緒に落ちていていたシーツを引き抜き、散らばったガラスをまとめるようにして退かした。


「ニュクス……ぼくは、だいじょうぶだよ。ちょっと、夢の中で、怪我をしただけなの……」


 ミュセルは息も絶え絶えに言う。


 どうしてこうなっているのか。


 それは、ミュセルにははっきりと理解できている。


 アルと一緒にいたときの体はマナで構築されていた。それは、現実に存在する、ミュセルの本体に限りなく近似していた。外見やマナを通すパスはもちろん、神経系や内臓など、あの体では必要されない部分でさえも、ほとんど複製といっても過言ではないレベルで構築されている。


 それは単に、ミュセルという人間を動かす上で最適だからだ。現実の体でも、どこか一部分が欠けてしまえば、行動に少なからず支障をきたす。それと同じことである。


 だからこそ、あの世界でミュセルははっきりと「生きて」いたのだ。


 そして、だからこそ――あの周囲のマナを掻き乱し、打ち消さんとする魔獣の咆哮は、マナで作られた体を持つミュセルに甚大なダメージを与えた。それをフィードバックさせたミュセルの肉体にも、痛みの記憶として持ち越されていた。


「あっ、ぐ――うぅ――――」


 ミュセルは抱き支えられる身体を動かそうとする。だが、少し動かしただけでも激痛が走り、声が漏れる。まるで神経が焼き切れているかのようだった。いや、実際焼き切れているのかもしれない。


 ほとんどの時間を寝て過ごすミュセルの肉体は、先天的なマナ適正による周辺からのマナ供給や、妹であるミュセルの甲斐甲斐しい介護によって、生命活動は問題なく維持されている。とはいえ、決して健康的に育っているとは言えない。同じ魂を分けて生まれてきたような、妹のニュクスの成長と比べるとそれは顕著だ。


 力を入れてしまえば折れてしまいそうな細い腕や首筋は、小さな背丈も相まって、本来の年齢より五つか六つは幼く見えてしまうほどだ。絹糸のような白い髪も、陽光に透けてしまいそうに白い肌も、決して彼女が望んで手に入れたものではない。


 全てが「天才」の代償だった。


「姉さん……何があったか私には分からないですけど、怪我をしたのなら、休んでいた方が……」


 そんなミュセルではあるが、彼女は妹の忠告を無視するように、立ち上がろうとしていた。まるで、初めてできた友人がするように、体に走る激痛を噛み殺し、喉からこぼれ出る声や涙を押し殺せないままに、無理やり体を動かす。


 ――そうしなければいけない。


 そう、心で体の背中を押す。


「姉さん……」

「ニュクス……お願い、てつだって」


 ニュクスの肩を支えに立ち上がりながら、ミュセルはたどたどしく言った。それ以上は、何も語らず、語れない。


 説明はしてあげたい。色んな事も話したい。初めての友達のことを教えてあげたい。


 でも、時間が惜しい。


 偶然にもこの体に戻ってこられたが、それがどれだけ続くかは分からない。そして、再び眠りについたとして、彼のもとへ戻れるかも分からない。

 ならば、急ぐしかない。


「……わかり、ました」

 ニュクスは自分を落ち着かせるように、短く深呼吸をしていた。それだけで、彼女は平静を取り戻した顔つきになる。ミュセルの信頼できる、普段の妹の表情だった。


「姉さん、私は何をすればいいんですか?」

「……ロッサムって、どこにあるの?」


 ミュセルの言葉に、ニュクスは丸い眼鏡の奥で目を細める。


「ロッサム――エルラド聖王国の北にある町ですね。ここアルケイディアからは距離にしておよそ1,544kmカリメダ


「その、方角は……?」

「西北西です。あっちのベランダの方向になります」


「連れて、行って」


 言いながら、自分で歩いていくミュセルへ、ニュクスがすぐ支えに入った。ゆっくりとした足取りで、二人は部屋を横断し、ベランダへと辿り着く。


 ベランダに出ると、風が吹いているのを感じた。柔らかく、くすぐったい風だった。こうして歩くのも、風を感じるのも、何年振りなのだろう。あのロッサムではどんな風が吹いていたのだろう。


 ミュセルはニュクスが示した方角へと目を向ける。その遥か向こうにいる、誰かの姿を探すように。


「――姉さん、ロッサムには、何かあるんですか?」

 その姿へ、ニュクスは質問をした。それはミュセルが予想していたものだった。


「友達がいるの。ぼくの、初めての友達が」

「友達……?」


「彼を……ぼくは助けないといけない。手助けするって……約束したから。助けたいんだ」

 ニュクスは虚を突かれたように、口を閉ざしていた。それを無視するようにして、ミュセルは続ける。


「……ニュクス。ロッサムまでの、詳しい情報を教えて」

「詳しい情報、ですか?」


「……うん。まず、もう一度、距離を教えて」

「1,544㎞です」


「途中におおきな山とかはある?」

「あります。三つ。フォルーズ山、サノワ山脈、ベリアラス山です。それぞれ、標高は5528mメダ、3113m、7811mです」


「今の天気は?」

「こちら一帯は概ね晴れです。ロッサムまでの間にも特別な荒天はありません」


「周辺のマナの濃度は?」

「係数では1.1から1.15です。通常より濃くなっています」


「……うん、だいたい分かった。あ、ぐ――」

 ミュセルは一歩踏み出す。ベランダの端に近づく。


「ねぇ、ニュクス」

「はい、姉さん」


「背中、支えててくれる?」

「ええ、もちろん」


 ミュセルは背中に当てられた妹の手に、背中を預ける。これなら、誰よりも安心できる。集中できる。


 そして、空に――西北西に――ロッサムに――アルのいる場所へ向けて、手を突き出した。


 それだけで、空気が変わった。


 風が吹く。背後で窓が震える。マナを揺さぶられて部屋の中の物が踊る。

 周囲に存在するあらゆるマナが、ミュセルへと引き寄せられていた。


 ニュクスの顔色が変わった。これから起きることを、予測したのだ。


「――――――」


 そのに詠唱はなかった。


 ミュセルは集中だけを行う。そして一呼吸。それだけで、ミュセルがかざした手の先に、巨大な円形の魔法陣が生まれた。


 もう一呼吸。巨大な魔法陣から派生するように、小さな円が生まれる。

 ――連結コネクト


 そしてもう一呼吸。

 ――連結コネクト


 一呼吸。

 ――連結コネクト

 

 続ける度に、魔法陣は増え、連結していく。


 全ての魔法陣に意味はある。


 距離指定 ――連結コネクト


 威力調整 ――連結コネクト


 マナ漂白 ――連結コネクト


 指向性付与 ――連結コネクト


 マナ増幅 ――連結コネクト


 ガイド生成 ――連結コネクト


 目標指定 ――連結コネクト


 形状固定  ――連結コネクト


 マナ収束 ――連結コネクト


 マナ減衰 ――連結コネクト


 それはまるで、パズルだった。

 何もない中空に、巨大な花弁を描くようでもあった。


「―――――――ふ、ぅ」


 ミュセルがこれまでと違う息を吐いた。魔法陣が完成する。


 ゆうに百を超える魔法陣を連結させて作られた、巨大なひとつの魔法陣。彼女達がいたのは、地上から離れた、塔の上層だった。しかしながら、宙に描かれた花弁の如き魔法陣は、地面に届かんとせん巨大さであった。紛れもなく、個人が作り上げたものであれば、世界でも歴史上でも最大規模の魔法陣であった。


 存在するだけで大量のマナを消費する巨大連結魔法陣は、淡く様々な色に輝いていた。それはまるで七色の万華鏡。触れることすら躊躇われる、人知を超えたステンドグラス。


「――アル」


 そこへ、ミュセルが手を伸ばし、触れた。


 風が啼いた。空気が薄くなる。ガラスが砕ける。部屋の中で、何かが弾けた。空で雷光が轟いた。


 連結魔法陣が、更にマナ収集している影響だ。周辺から、ようやくそれに気づいた驚きの声が聞こえてくる。


 魔法陣は輝きを増す。増す。増す。そして臨界点を迎えた。

 全体像が煌めくと、光は外側から内側に向かって、収束していく。


 巨大な花弁が如き魔法陣の上に、雪の華が如き紋様が描かれる。


 そして、中央に集められたのは、目を焼かんばかりの眩い光。


 太陽の如き、マナの塊。

 まるで、彼女を象徴するかのような、純白の魔法。


 それを、

「ぼくが、きみを助ける」

 白い少女ミュセルが、押し出した。


 ガラスが砕けるような音がした。


 その刹那。白い魔法は放たれた。


 雷鳴。そう思うほどの轟音が鳴る。空気を焼く匂いがした。地震のように、ミュセルの立つ塔が揺れた。


 見る見るうちに、白い魔法は遠ざかって行く。それはまるで、流れ星のようであった。


 そして、

「――――――アル……」

 ミュセルは流れ星に願いを込めるかのように、そう呟いて、その場に崩れ落ちた。



                ◇



 崩れ落ちたミュセルを、ニュクスは受け止めた。すぐにその息を確かめる。静かな吐息が聞こえた。既にミュセルは眠りに付いているようだった。


「これは一体どういうことですか」

 ほっと安心するのも束の間、複数の足音が部屋の中に響いた。


 入ってきたのは、黒いローブに身を包んだ、魔法使いだった。そのほとんどが、高齢の魔法使いであり、身に付けられた徽章から位が高いことが一見して見受けられた。

 だが、彼らはベランダで座り込む二人の少女の前まで来ると、恭しく礼をした。


「先程、何が起こったのか説明をいただきたく思います」

「疲れているですが、後では駄目でしょうか? それに、正直私にも把握できていませんので」


「ご冗談を。貴女が知らないことなど、有り得ないでしょう。“賢者ノウリッジ”ニュクス」

 ニュクスは、抱き抱えたままのミュセルの頬を撫でた。


「“眠り姫”――いえ、白の“魔法使いウィザード”ミュセルが、何かを行なったのは明白です。あれほどの魔法の展開、“英雄ロール”たる“魔法使いウィザード”でなければ不可能です」

「そうですね」


 ニュクスは否定しない。元より、隠せるとも思っていない。


 “魔法使いウィザード”ミュセル・メーティス。


 このアルケイディアにある魔法使いの拠点都市において、生まれながらにして『カラー』とそれを示す居住地である塔を授かった、稀代の天才魔法使い。


 その強力すぎる才能と、眠り続けているという性質から、世界的に公にこそはされていないが、この地の魔法使いであれば誰もが知り、『眠り姫』『白の魔法使い』と噂される人物。


 そして、天によって選ばれるとされる、“英雄ロール”がひとつ、“魔法使いウィザード”の英雄刻印を持つ少女。


 この場において、あれほどの大規模魔法が行使されたのであれば、ミュセルの関与以外ではまず有り得ない。だが、

「姉さんからは、私はほとんど聞いていません。ですので、私が知り得ていることはありません」

 そうニュクスは言い切った。


 それは事実だ。ミュセルが目覚めてからこうして再び眠りに付くまで、ほとんど会話らしい会話は行えていない。聞いたのは、数えるほどでしかない。故に、

「ただ、推測することはできます」

 と、ニュクスは続けた。


 “魔法使いウィザード”の妹である自身もまた、“賢者ノウリッジ”であることを示すように。


「お聞かせください」

「姉さんはロッサムと云う土地に興味があるようでした。そして、それは目覚めた直後からそのようでした。つまり、姉さんは眠りの中で――“マナ・ボーテックス”の中で、ロッサムに何かがあるのを見たのでしょう。目覚めた時から姉さんは痛みに苦しんでいるようでもありました。瘴気や魔物によって精神体が影響を受け、傷を負ったと予想できます。昨今、各地で瘴気活性化や魔物の増大が多数報告されていることは私も把握しています。そのことから、ロッサムと云う地で、瘴気活性化やそれに伴う魔物――いえ、強力な魔物が出現したと予想されます。それを姉さんは目撃し、撃退された。こちらで目覚めた後、その危険性を放置できず、魔法の行使を行った。と云うところでしょう」


 すらすらと述べるニュクスに、魔法使い達は圧倒される。


「な、成る程。ですが、ロッサムはエルラド聖王国の領土です。そこへ、魔物の排除のためとはいえ、強大な魔法を事前通告なく打ち込んだとなれば……」

「それは逆ですよ」


「は?」

「確かに情報だけを捉えると、そうかもしれません。ですが、魔法を行使したのは他でもない“魔法使いウィザード”ミュセル・メーティスです。使。それは、結果的に感謝こそされ、非難されることではありません」


「それは……」

 “魔法使いウィザード”ミュセルの情報は一般に公にされていないとはいえ、“英雄ロール”である以上、各国の上層部が知るところではある。それは同時に、その特異性も把握されているということでもある。その彼女が動いた。その事実は、非常に大きなものである。


「ただ、あくまでも結果的にと云う話でしかありません。そこまでの説明や、交渉は必要となるでしょう。それは、私も口添えさせて戴きます」

「……お願いします」


 頭を下げる高位の魔法使い達に、ニュクスは手を上げて応える。


「それでは早速ですが、事後処理についてお話しをしたいと思うのですが」

「ああ、その前に姉さんを寝台まで運ばせてください」


「では、お手伝いを」

 駆け寄ろうする魔法使いをニュクスは手で制した。


「いえ。これは私の役割ですので」

「……失礼しました」


 下がる魔法使いを前に、ニュクスは心の中で溜息を吐く。


 ミュセルの世話を自分が行いたいのと、他の人物に触らせたくないのは事実だったが、少し気を休める時間が欲しいのも事実だった。何しろ、ミュセルが目覚めてからずっとニュクスの頭は最大限に働き続けているのだ。いくら“賢者”であっても、疲れるものは疲れる。


(それに、別で考えたいこともある)


 双子の姉と思えない軽さのミュセルを運びながら、ニュクスは思考する。結局、疲れたと言いながらも、こうして考えることをやめないのは性分なのだ。


(姉さんは、友達と言っていた。勘違いか思い込みという可能性はあるが、あの様子であれば、それは真実だと捉えた方が正しい)


 寝台に寝かせて、ミュセルの寝顔を改めて確かめる。


(姉さんの夢の中――“マナ・ボーテックス”の中では、姉さんが意思疎通を取れる相手は存在していなかった。それは、肉親である私も例外ではなかった。それは“マナ・ボーテックス”自体が高次元に存在しているからだ。ただ、友達ができたと言うのであれば、意思の疎通が行えたことになる。それはつまり、姉さんのようにとまでは行かずとも、“マナ・ボーテックス”に強く接続された人間であるということだ。“マナ・ボーテックス”はつまり集合的無意識の存在だ。それが、特定の人物と強く接続を行ったのであれば――)


 ニュクスはミュセルの髪を整え、その頬を撫でる。その小さな唇が紡いでいた言葉を、名前を思い返す。


(――新たな“英雄ロール”が生まれるのかもしれない)


「友達、か。私も会えるでしょうか」

 ニュクスは、眠る姉に向かって、そう囁いた。

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