第15話 夢

 幼い頃からずっと孤独だった。


 それが、ミュセル・メーティスという名の少女の人生だ。


 ただし、決して天涯孤独というわけではない。父も母も、双子の妹も今なお健在だ。しかしながら、それはミュセルが孤独であることとは、不幸ながら両立してしまう。


 ミュセルは幼く物心のつく以前から、不思議で、何もない、それでいて何でもあるような世界で過ごしていた。


 そこは、空間レイヤーとして世界の上位層。マナの在り処。全てのマナが帰り、全てのマナが生まれていく場所。世界のどこにも存在せず、同時に確かに存在する場所。


 マナの渦巻く処“マナ・ボーテックス”と、呼ばれる場所である。


 ミュセルがこの“マナ・ボーテックス”の中で、人生の大半を過ごすのには理由がある。それは、ミュセル・メーティスという少女が、どうしようもないほどに「天才」であったために起こってしまったことであった。


 「天才」


 それが彼女を形容する、最もふさわしい言葉だ。


 彼女――ミュセル・メーティスという少女は、生まれながらにして、高いマナ適正を持っていた。いや、それは高すぎた、と言うのが適切だった。常人とは比較にならないほどでもあった。


 ミュセルにとって、マナとは単一の存在である。


 例えば、簡単な四則演算と、難解な世界を解析しかねないほどの計算とを、高次元から観測して、どちらもただの「数式」だと断じるかのように、大気に存在するマナも、体内に存在するマナであるオドも、結晶化したマナも、ミュセルにはその区別がない。全てが等しく、ミュセルにとっては、ただの『マナ』でしかないのだ。


 それは逆に言えば、ミュセルを構築するマナと、世界に存在するマナも、彼女にしてみれば同一のものであり、境がないということでもあった。


 肉体には身体を構成するためのマナが存在し、それは肉体が物質的に存在している限りは離れることがない。


 だが、精神は肉体のような物質に囚われない、別個のマナが存在する。いわば、魂とでも表現するように、精神を構築するマナが、肉体に重なるようにして、生物は成り立っているのだ。


 しかし、マナの境界を曖昧なままに捉えるミュセルにとって、肉体というくびきはあってないようなものだった。


 故に、ミュセルの魂とも言える意識は、己がマナと世界のマナの境界を曖昧にし、世界そのもの――“マナ・ボーテックス”に溶けるように存在していた。一つの川が、別の川と合流したことで飲み込まれていくようなものである、


 肉体は確かにミュセルの本体ではあったが、あくまでも稼働適性値の高い端末程度の存在でしかなかった。稀にミュセルの精神が肉体に戻れた時だけしか動かすことができなかったのが、結果から導ける証拠であった。ミュセルは客観的に見れば、ほとんどを眠りによって過ごしている状態であった。


 実際、ミュセルにとって、マナに溶けるようにして滞在する、“マナ・ボーテックス”の世界は夢のような実感を持つ世界であり、そう思うようにしていた。


 ミュセルはマナの持つ指向性――いわゆるマナの記憶ともいえるもの――を通じて、ひと、もの、空気、ありとあらゆる存在を知覚することができた。


 もちろん、膨大なマナの奔流に溶け、一つとなっているミュセルではあるが、その本質的な思考能力や、処理能力までもが増幅されているわけではない。そのため、ミュセルは流れてくるそれらを全て認識できるわけではなく、ランダムに自分の元へ訪れたもの、もしくは自分が流されていった先で触れたものだけを知覚していた。そうした、自分の意思と無関係にもたらされる、不規則な情報は、まさしく夢を見るかのようなものであった。


 それに、そう言い聞かせなければ――


 夢であると、現実ではないと思い込まなければ――


 この世界には自分一人しかいないと、認めないといけなかったからだった。


 ミュセルには双子の妹がいる。両親とは離れて暮らしているが、魂の片割れとも言える妹とは、常に一緒だった。ミュセルが眠りについている間、世話をしてくれているのも、妹だった。人生で最も会話をした相手も、間違いなく妹だった。


 目を覚ました時、必ず近くにいてくれて、ほんの少し言葉を交わしてくれるだけでも、それはミュセルにとってはこれ以上ない至福の時であった。肉体に戻ることさえできれば、ほんの短い時間であっても自分が一人でないと知ることができた。ミュセルを支える絆であった。


 ただ――それでも。


 ミュセルは友達という存在を欲していた。


 家族は大切な存在だ。だが、妹はどこまで行っても妹でしかない。対等な立場の他人ではない。


 そして結局、あの何もなくて、何もかもがある世界には、ミュセル以外には誰もいない。


 声を聞くことはできても、話をしてくれる相手は誰もいない。


 誰もかれもが対等な相手ではなかった。


 ミュセルは、ずっと友達が欲しかった。


 誰かに声をかけるのは、決して珍しいことではなかった。

 何度も何度も、返事をして欲しいと願いながら、反応だけでも見せてくれないかと願いながら、ありとあらゆる人に声をかけ続けていた。それらが幾度となく徒労に終わっても、きっと次こそは、と夢のような世界で夢を見続けた。


 ――そして、ようやく。


 一人の少年が、応えてくれた。


 アルという名の少年が、友達になってくれた。


 何にも代えがたいほどに嬉しかった。


 色んなことを話したいと、思ってしまった。


 色んなものを一緒に見たいと、思ってしまった。


 だから、自分に会いに来てほしいなんて、思ってしまった。


 失いたくないと、思ってしまった。


 手放したくないと、思ってしまった。


 それらは全て、ミュセルにとって初めての感情だった。


 だから。


 だから。




 だから――

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