第14話 エンゲージ

 息を殺す。気配も殺す。どれだけ離れていようとも、注意を払うことは怠らない。


 だが――


「……な、なぁミュセル」

「なに? アル」


 山の道なき道を慎重に進みながら、アルは耐え切れず口を開いた。


「……くっつきすぎじゃないか?」

 可能な限りの小声で。


「え、そう? ふつうだよ、ふつー」

「いや、普通じゃないと思う」


 声はほとんど耳元から聞こえてくる。首筋や鼻をくすぐる様に、ミュセルの白くふわふわとした髪の毛が流れてきている。もうおんぶをしているのに近しい状態に、アルは振り返るに振り返れない。


「だって、友達でしょ?」

「友達だからって、こんな距離は取らないと思う」

 アルの肩に両手を乗せるミュセルに対し、アルは小声で反論する。


 ミュセルがこうしているのには、理由があった。いや、ある、らしい。


 ミュセルには周囲の探知をお願いしている。それは勿論、あの魔獣との位置把握を目的としてのことだ。注意を引き始めるタイミングを見計らうため、可能な限り近づく必要がある。そのためにも、魔物との余分な接触や逃走劇も避けたい。そのために、ミュセルのマナを見る力を用いて、周囲の探知を行ってもらっているのだ。


 そして、集中して探知を行うことと、その報告をするためにこうしてくっついている、というのがミュセルの主張するところだった。本当に必要かどうかはアルには判別がつかない。助力をお願いしている立場である以上、必要だと言われたものは受け入れるしかない。それに、「できることはやる」と言った手前もある。


 とは言え、気になるものは気になるものである。


 最初こそ、必要なことならと特に何も思わないものであった。ただ、それがずっと続いているとなれば、多少はその意識が向くというものである。つまり、女の子がくっついている、という事実にである。


 アルにしてみれば、見た目も言動もどこか幼さを感じさせるミュセルは、妹のシェンナと同じように感じるものである。だが、女の子は女の子である。その上で、非常に可愛らしい容姿をしていることもある。どうにもくすぐったく感じてしまうのは仕方のないことなのだ。


「アルは友達だっから、なっかよくね、ね、ねー」


 それに、だ。

 当のミュセルがこうして嬉しそうにしているのであれば、強くは言えないというものである。決して気の抜ける状況ではないのだが、少なからずリラックスできているのも事実だ。


「……こんなところ、シィに見られたら困るなぁ」

「しぃ?」


 ふいに口をついて出た言葉に、背後のミュセルが反応した。


「ああ、うん。シィ。俺の、家族みたいなひとだよ」

「ふぅん。それって女の人?」


「うん。歳は俺の一つ上」

「ふぅーん」


 そこでふと、アルは思いついた。


「そうだ。これが落ち着いたらさ、ミュセルにもシィを紹介するよ」

「え?」


「ミュセルは友達が欲しいんだろ? シィはいい子だからさ、きっと友達になれると思うんだ。直接話せないかもしれないけど、俺が間に立つからさ。それならシェンナも誘おう。シェンナは妹で、ミュセルと年も――」

「いい」

 遮って、ミュセルがきっぱりと言い切った。


「別にいい。そんなの」

「え、でも……」


 ミュセルの口調は明らかに不機嫌なものだった。家でもたまにシェンナが似たような雰囲気を出すことがあり、アルには覚えがあった。


 戸惑うアルに、後ろから手が伸びてくる。そして、そのまま肩越しに抱き着くように、ぎゅっと閉じられる。


「ミュセル?」

「別にいいもん。ぼくには、アルがいるし。アルさえ友達でいてくれるなら、満足だよ」


 不機嫌な、どこか拗ねたような雰囲気を持ちつつミュセルは言う。いきなり別の……知らない人の話をされて困惑したのだろうか。誰だって知らない話をされれば面白くはないものだ。先走ってしまった自分を、アルは反省する。


 そこからしばらくの間、ミュセルは引っ付いたままで静かにしていた。時折、魔獣の方向と距離や、周囲の魔物について教えてくれるぐらいで、それ以外は何もしゃべってこなかった。


 アルもまた、何も言えずにいた。拗ねた子供。それがミュセルに対するシンプルな感想だった。そして、そうした相手はシェンナや町の子供で慣れてはいる。だが、得意ではない。だからいつものように、勝手に機嫌を直してくれるのを待つ外なかった。


 何より、リラックスはしていても、集中を切らしてはいけない場面なのだ、と自分に言い聞かせながら。


「そうだ!」


 そうしてアルが地道に、かつ順調に魔獣との距離を測っていたところ、突然背後のミュセルがそう叫ぶように言った。それまで静かにしていただけに、アルは驚く。


「な、なんだ……? どうしたんだ?」


 ミュセルの声は周囲に聞こえていない。それを理解しつつも、アルは周囲へと警戒するように目線を巡らせた。魔物も、魔獣の気配もない。ほっと安心する。

 だが、それも束の間。


「ね、ね、ね! アル! ぼく、いいこと思いついちゃった!」

 再びミュセルがくっつきながらそう大きな声を上げた。


 今更だったが、ミュセルがこうして接触してきているのは、どういう理屈なのだろう、などとアルは思った。マナによる体だとは言っていたが、物理的に触れるようなものなのだろうか。背負っている風にくっついているミュセルの重さは全く感じない。だが、感触は僅かに存在している。背中に何かが触れている、流れてくる髪がくすぐったい、回された腕はしっかりと自分を包んでいる、とその程度ではあったが。ただ、ミュセル側は意識的にアルに触ってきているようでもある。相手が女の子であることもあり、自分から触れようとは思わなかったが、もしそうしたら触れられるのだろうか――


「どうしたの? アル。なんだかぼーっとしちゃって」

「……いや。ちょっと、耳がキーンとして、変に頭が回ってたみたいだ」


「だいじょうぶ?」

「まぁ、大丈夫だ」


 肩から顔をのぞかせてくるミュセルに、アルはそちらを見ずに答えた。


「そうそう! で、ね! いいこと思いついたの!」


 ミュセルはそう言うと、更に顔を伸ばしてくる。目を合わせてこないアルの顔を覗き込んでこようとするようだった。アルはその逆側に顔を引く。


「いいことって?」

「うん。これが終わった後のことなんだけどね。アル、ぼくに会いに来てよ!」

「ミュセルに?」


 会うも何も、今ここで会っているじゃないか。そう反射的に答えようとして、ふと思い至る。


「それって、ミュセルが言っていた、眠っているっていう体にってことか?」

「そうっだよ! さすがアルだね、話がはやい!」


 にっこりと嬉しそうにミュセルは目を細めた。先ほどまで不機嫌にしていた女の子とは思えない、にこやかな笑顔だった。


「ぼくはね、アルケイディアってところにいるんだ」

「アルケイディア!? それまた、遠いところだな……」


「え、そうなの?」

「自分で分かってなかったのか……。ここはロッサムで、エルラド聖王国の北にある町だよ。アルケイディアはエルラドからかなり東に行ったところにある国。どうだったかな。行商の人に前聞いたことがあったけど、馬車で二十日近くかかったとか言ってたような気もする。まぁ、途中で商売をしたり、滞在したりで時間は取られてるだろうけど、かなり遠いのは間違いないな」


「そうなんだ。ふーん。全然知らなかったやぁ。というか、ここがロッサムってところだっていうのも、今知ったし」


 自分のいる場所がどこか知らない。不思議な話である。ただ、ミュセル自身が何よりも不思議な存在なのだ。マナに乗って漂っていると言う彼女であれば、そうした不思議も起こりえるのだろう。


「やっぱり、遠いとダメ?」

「え。いや、そんなことはないぞ」


 遠い、という言葉や説明で出鼻をくじかれたのか、しょげたようにミュセルが言ってきたので、アルはあっさりと返した。


「遠いのは遠いけど、まぁ、行けない距離じゃないな」

「ほんと?」


「ああ、本当だよ」

「じゃあ、会いに来てくれる?」


「そうだな……」

「えっ、そこはすぐ返事してくれないの!?」


「そりゃあ、俺も家の仕事とかあるからさ。すぐに行けるとは、流石に言えないよ」

「……アルってそういうところあるよね」

 顔をぴょんと出したままのミュセルが頬を膨らませた。


「まぁ、でも、そうだな……。仕入れとか、そういうのも兼ねるなら、すぐにできるかも」


 実際のところ、仕入れに出るにしても王都程度だ。それも、ほとんどが母であり女主人であるクレアが行っている。


 ただ、そろそろ自分がやりたいと言えば、任せてもらえはするだろう。そのついでに、時間を貰って更に東のアルケイディアまで足を延ばす。多少強引な計画のような気はするが、決して無茶ではなさそうだ。それに――クロード達に言われた、シィを遊びに誘えということ。それも一緒に達成できるかもしれない。ちょっとした旅行。悪くはない。


「ほんとっ!? 嘘じゃないよね?」

「ああ、本当だよ」


「えへへ、嬉しいなっ。アルはぼくのはじめての友達だから、こうしてじゃなくて、ちゃんと自分の体で会って、お喋りしたいもん」

「それは、俺もだよ。ミュセルとはちゃんとゆっくり喋りたいしな」


 アルの本心だった。

 まだ出会ってから少ししか経っていないが、ミュセルがとてもいい子であることは分かっている。そんないい子が、自分を友達にしてくれて、会いたいと言ってくれているのだ。それは、何よりも嬉しいことであり、自分もそれに応えたいと思うのは、当然だった。


「うん。すぐに行けるとは約束できないけど、いつか必ず、会いに行くよ。約束する」

「うんっ。約束だからね。えへへ、楽しみだなぁ」


 二人目を見合わせて、くすりと笑う。


「ともあれ、全部ここを切り抜けてからだ」

「そうだねっ」


「ミュセル、魔獣の位置を確かめて貰えるか?」

「うん、任せて」

 ミュセルは言って、目を閉じて意識を集中させた。その間に、アルは目視で周囲を確認する。


 お喋りこそはしていたが、魔獣との距離は、ミュセルの定期的な探知を頼りに、余裕をもって確保している。


 それを継続して保ちつつ、隙を見てこちら側から仕掛ける。そこからは、再び追いかけっこの始まりだ。一度、あっさりと逃げ切ることもできた。それに今度は初めからミュセルとの意思疎通ができている状態だ。ならば、注意を引きつけながら、時間を稼ぐのも、決して難しいことではないはずだ。


「――――っ!」

 そう考えるアルの肩の上で、ミュセルが顔を跳ね上げた。


「どうした、ミュ――」

「アル! 一旦引いて! あの悪いマナの塊が、近づいてる! こっちに向かってきてる!」

「なっ……!?」


 アルは反射的に踵を返し、駆け出す。


 休息も挟み、その後もリラックスできていたことで、体は整っている。アルはすぐに全速力で来た道を戻る。


 だが、


「うそ……。なんでなんでっ。早すぎる! だめ、だめだめ、だめだよっ。どんどん近づいてきてる! もう、すぐそこまで――――――あ」

「――っ」


 風が吹いた。思わず、顔をしかめてしまうような、良くないものを纏った風だった。


 一瞬だった。


 逃げる。逃げ切れる。

 それが、あまりにも脆い幻想でしかなかったのだと、アルは思い知らされた。


 背後にいたはずのそれ――魔獣は、まさしく風のように素早く距離を詰めると、アルの頭を飛び越え、正面に立ち塞がった。


「――――あ」

 思わず、声が漏れる。


 そこにいたのは、魔獣であった。だが、知らない姿だった。


「なに……? 姿が、変わった、の……?」

 ミュセルが驚いたように呟いた。


 魔獣の存在感は変わらない。死を撒き散らす、その姿そのものも変わらない。だが、シルエットが異なっている。


「――っ! 中の悪いマナの形も違う。動物みたいな感じに……もしかして、森の動物を取り込んで、そのマナの形をマネしてる……? ぼくたちに気づいたのも、そうやって頭が良くなったから……?」


 泥をかき集めただけのようだった姿は、いつしか整えられたかのようになだらかに。地面に突き立てる四肢も関節が生まれており、より動物的な骨格に近づいている。虚ろで不気味だった顔は、その瞳こそそのままだったが、顔だと認識できる程度には、形作られている。


 そして最大の違いは、その大きさだった。


 実際、大きさに関しては、ミュセルから報告を受けてはいた。アルも、泥を介して周囲のあらゆるものを取り込んでいるのを実際に見ている。肥大化していくであろうとは、少なからず予想していた。ミュセルの探知を基に取っていた距離も、そうした成長の予想も織り込んでいた。


 それなのに。


 そこに立つ姿は、その想像を超えるものだった。


 一回りでは足りない。二回りか、それ以上。木の背丈に届きかねなかったものが、完全に追い越している。


 魔獣。


 姿を動物により近づけ、巨大化したそれは、紛れもなく“魔獣”と呼ぶに相応しい姿だった。


 まさしく、『死』の具象化であった。


「……………………」

 アルは、想像を超える恐怖に、体がすくまざるを得なかった。


「アル、逃げて!」

 そこへ、ミュセルが叫んだ。それはただただ、感情的なものだった。アルを奮い立たせようとする、意思だとアルは感じ取った。


 だが、


「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」


 重ねるように、魔獣が吠えた。


 空気が、肌が震える。まるで嵐が生まれたかのように風が巻き起こる。剥きだされた牙が、獰猛なまでの敵意を伝えてくる。

 体の奥がざらつく。生物としての『生』の部分が危険を訴えている。


 しかし、それだけではなかった。

「きゃああっ! あ、アル――っ。たすけっ」


 咄嗟にアルは後ろに意識を向けた。背中に張り付いていたはずのミュセルが、風にあおられる様に引き剥がされていく。ミュセルの体はところどころ薄くなり、姿を維持できているとは言えないほどだった。


 ――マナの流れ。


 アルはそう連想した。あの魔獣の咆哮で、周囲のマナがの流れが乱された。マナで構築した体を持つミュセルは、その影響を受けたのだ、と。


 致命的なまでの失点。

 ミュセルがいればどうにかできると、高を括っていた。普通と違う存在のミュセルが安全だとばかり思いこんでいた。


「やだ……アル……」

 かき消えてしまいそうに姿を薄くしたミュセルが泣きそうな声で言った。


「ミュセル!」

 だから、アルは咄嗟に左手を伸ばしていた。

 彼女を巻き込んだ後悔が、体を動かしていた。


 ミュセルは自分に触れていた。なら、アルからも彼女の手を掴めるはずだ。そう、考えた。


 だが――その手は、何も掴めなかった。


 空を切った手の、その先でミュセルは溶けるように、消えた。


 そして――


「あ――あああああああああああああああああっ」


 代わりに、その手を取ったのは、魔獣の凶暴な口だった。


 勢いよく持ち上げられ、そこでようやくアルは自分の腕に噛みつかれていると理解した。しかし、理解したところで、何も変わらなかった。


 魔獣はアルの腕を噛んだまま、振り回した。世界が回る。意識を失いそうになるほどの痛みが、左腕に走る。


「あ、ああああ、あがああっ!! あああ――――っ!」

 そして、何かが、ぶつり、と切れた。


 繋がりを失ったアルが、振り回された勢いのまま、飛ばされた。地面に叩きつけられるも、止まらない。山肌を転がっていく。


 視界が、揺れる。


 光が、明滅する。


 アルの意識は、急速に失われていった。

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