第13話 不吉な予感
銀の剣閃が瞬いて、魔物が両断される。
「よし。シィちゃんのそいつで最後だな。この辺りまで降りてきたら、数も減ってくれていて助かるぜ」
こびり付いた汚泥を払うよう、クロードは剣を素早く振るった。シィは何も言わず、汚れのない剣を鞘に仕舞った。
「眼鏡の姉ちゃん、瘴気の方はどうだ?」
「今からやります。……ええと、言いましたけど、私は眼鏡の姉ちゃんではなくセレナです。名前で呼んでいただけると……」
「おいおい。出会って間もない女に対して名前呼びだなんて照れるぜ」
「では
「分かった分かった。セレナ、頼んだ」
セレナはマナ結晶を瘴気の霧に向かって投擲する。激しい光と音、次いで衝撃を感じる。それが収まると、瘴気は綺麗さっぱり消えていた。
「完了しました。これで見える範囲は全て対処済みです」
「よし。それじゃあ町に急ぐぞ」
その号令を以て、シィたちはロッサムへの帰投を再進行した。
こうして立ち止まっていたのは、もちろん魔物の出現とその排除を行っていたからではあったが、一番の理由は瘴気の霧を放置してはおけないからだ。
あの巨大な魔物――魔獣の出現で、一刻も早くロッサムへ戻り、援軍の要請や住人の避難を行う必要はある。だが、瘴気の霧を放置したままでいれば、あの魔獣のようなものが更に生まれないとも限らない。そのため、時間を惜しんででも、こうして対処を行っていたのだ。
「シィさん、僕の剣の使い心地はどうっスか?」
走りながら、シィに寄せてきたグレアーが言う。グレアーはぐったりと眠りについているレインを背中に担いでいた。その腰に剣はない。
「十分、使える」
「そっスか。良かったっス」
シィが持ち込んでいた練習用の木剣は、既に度重なる戦闘で破損してしまっていた。そんなシィにグレアーが剣を渡した。レインの移動を支える役割があり、剣を使うに使えなかったからだ。消去法的な考えでもあったが、結果から言ってしまえば最適解だった。
生まれてからしばらく経つ魔物は、生まれたての魔物に比べると、泥を乾燥させたかのように肌は固く形状が整えられている。そして単純に強い。
熟練の冒険者であっても、易々と倒せるものではない。そんな魔物を、普通の剣を手にしたシィは、いともあっさり両断していた。特別業物でもない普通の剣であったが、切れやすさと重さはそれだけで十分な武器であった。
そうした立ち回りは、シィにとって特別でも何でもなかった。もちろん、実践と訓練の違いこそはあれど、アルと行っていた日々の稽古と気持ちは変わらなかった。
だが、たったそれだけのことが逆に周囲を驚かせ、この中で最も高い能力を持っているという信頼感を得るには、十分すぎた。そのため、帰路の行軍は、シィが完全に先頭を走り、全員を誘導する形となっていた。
「――もう少し、急ぎたい」
シィは、グレアーと入れ替わる様に横に並んだクロードに対し、そう告げた。だが、クロードは首を横に振った。
「今でも十分すぎるぐらい早い。もう少しで街道にも出る」
「でも」
「分かってる。アルが心配なんだろ」
先回りされて、シィは黙った。
シィにとって、クロードという大人は少し苦手だった。
普段は飄々とふざけてばかりいるくせに、時折なんでも見透かしたような態度をとる。そうした部分こそが冒険者のパーティーを率いる適性や、周囲の信頼感に繋がるものだとは理解ができる。
だが、そんな風に距離感を切り替えて生きるやり方は、シィの中にはない。拒絶反応を抱かざるも得ない。
「ま、あいつなら大丈夫だ」
こうして、根拠のない話に対し説得力を持たせてくるのも同じだった。
「ところでよ。シィちゃんの実戦は初めて見たわけだが、本当にすげえな。剣技に関してはアルから聞いていたし、実際に手合わせしてるところも見たことはあったが、実戦でここまで立ち回れるとは予想以上だ」
クロードは世間話をするような気軽さでシィに質問する。
「見てると、しっかりとした剣技……いや、剣術にもなってる。上品な部分も見え隠れしてる。独学じゃあ、普通こうはいかねえ。シィちゃん、どっかで学んだのか?」
「確かに、それは私も感じ取りました」
質問を重ねるように、セレナも口を挟んでくる。
「シィさんの立ち回りを見ていると、何と言いますか、白金騎士団の戦い方を見ているような感覚もあったんです」
クロードとは逆側、シィの隣に並んだセレナは興味津々といった様子でシィを見てくる。
「――――」
シィはどう答えたものか、と考えて、視線を二人から逸らすように正面に向けた。
とはいえ、基本的に隠すような話ではない。剣技に関しては、特別なことなど何一つない。考えてしまったのは、説明が煩わしいと思ってしまったからに過ぎなかった。
「――単に、昔、見たことがあるから」
だから、シィは説明を省くように、それだけを言った。
「おいおい。見たから真似できるってことか? シィちゃんも面白い冗談を言うな」
「――――」
「……って、マジかよ。そんなの、普通誰もできねえぞ。グレアーなんざ、毎日手の皮が破けるぐらい剣を振って一定の型を身に着けたって言うのに」
「わざわざ僕の名前で例えに出す必要はないっスよね!? 剣を使う人なら大抵そんなもんっスよ」
少し離れて追走するグレアーがそう叫んだ。
「いや、しかし……。確かにそう考えれば、納得がいく、というか。ううむ。にわかには信じがたいが、シィちゃんの立ち回りは、実際に見せられたわけだしな」
「どういうことなんですか?」
一人納得の様相を見せるクロードに、セレナが尋ねる。
「まぁ、単純な話だが、色んな剣技や剣術を、見て覚えたってんなら、シィちゃんの色々入り混じったような、剣の扱い方ってのも納得できるってだけの話だよ。ああ、確かに、思い返せば右に振り抜きながら下に体重移動をしていく動きは、ホーラの剣士がよく使うやつだ」
「ホーラって、かなり遠くの国ですよ!? え、シィさんっていくつなんですか?」
「十七。たぶん」
「昔って、いったいいつのことなんですか……?」
シィは話すのが煩わしいと示すように、もう何も答えなかった。
クロードはこれ以上は何も聞き出せないと悟ったのか、一人納得したように頷いていた。
しかし、セレナはまだ興味が尽きないようで、シィにその視線を向けていた。そして、
「……多くは語らない。それもまた、格好いいですね」
などと独り言のように呟いた。それが着火点となったのか、セレナは続けて口を開く。
「こんな場所で、こんな事態……。しかしてそこに存在するのは美しい少女。それもその少女はベテランの冒険者が息を巻くほどの実力を持って襲い来る魔物を次々と倒していく――普通に考えれば冗談みたいな物語のような話ですが、これは事実です。不謹慎かもしれませんが、私は胸が高鳴りつつあります」
長い走行によって紅潮していた頬を、セレナは更に朱に染めながら語る。シィは更に、触れると面倒だと察し、走ることに集中しようとする。
「そういえば、アルさんはどうなんですか? シィさんがこれだけ腕が立つ、ということはアルさんも?」
だが、そうして投げかけられた質問に、シィはあっさりと集中を乱された。
「いや。あいつはてんでダメだ。ダメダメだ。基礎はできているし、体もそれなりに鍛えられているが、まぁ、一般人に毛が生えた程度の弱っちいガキだよ。シィちゃんには、天地がひっくり返っても勝てっこねえだろうな」
答えたのはクロードだった。
言い方こそ乱暴だが、シィは反論しない。アルの評価としては、十分に正確だったからだ。
「やっぱり……あ、いえ。そう言ってしまうと失礼ですけれど、納得、と言いますか」
自分の言葉に焦りながらセレナは言った。
「初めに出会った時、状況が状況でしたけど、魔物に手も足も出ていないようでしたので、どうにも……。ただ、クロードさん達と合流してからは、的確に状況を判断して動いていらしたようで、私が第一印象でそう思っただけで、実際はシィさんのようにすごい方なのかな、と」
「少なくともあいつは普通だよ。な、シィちゃん」
雑に投げられたパスに、シィは「そう」とだけ短く答えた。
「ただ、そうだな。さっきも勢いでシィちゃんには言ったが――」
クロードはどこか遠くを見るように、首を大きく振った。
「あいつは、誰よりも死ぬのを怖がってる臆病者だ。そこは、評価してる」
「臆病……? そこを評価しているんですか?」
よく分からないといった風に、セレナがオウム返しをする。
「ああ。付け加えれば、行動できる臆病者、ってところをな」
クロードは周囲を見渡した。周囲に魔物の気配はないことは確認していたが、シィも念のためにとつられる様にして目を向けた。
「例えば、こうした山の道だが、俺らが山に入るときはアルに道案内を頼んでる。全部教えてくれるからだ。通りやすい場所、瘴気が出やすい場所、見逃しやすい場所、魔物の目撃情報、食える植物や木の実、動物の住処、山に関しては思いつく限りなんでもだ。セレナもそれを見込んでアルに依頼しようとしたんだろ?」
「ええ、はい。町の代表や衛兵、自警団に話をしましたら、案内に適任がいると言われまして」
「そういうところだよ。あいつは、しっかりと仕事をしてる。そんで、周囲が高い評価をつけるぐらいに。それが出来てしまうのは、怖がりで、魔物を見ただけで震えちまうような臆病者だからだ。臆病だからこそ、無理はしない。多少腕が立つような奴なら、無茶もするが、それもない。自分にできることを、限りなく可能な範囲でやり遂げる。それも、徹底的に。そうやって作られた、あいつの頭ん中にある地図は想像もつかねえよ。何せ、臆病者が魔物を避けながら探索して作った、魔物を避けるための地図なんだからな。こうして普段と違う状況でさえなければ、アルの案内は子供を連れ回しても大丈夫なぐらい安全だよ。ここまでのやり方をアル以外にできるやつを、俺は知らねえ」
「それは……確かに。そう聞くと、職人のような気質すら感じられます」
「そんなに立派なもんでもないんだろうけどな。一言で言えば、あいつは自分の能力を過不足なく分かってんのさ。自分がビビりで弱いってことも分かってる。それでも自分にできることはあるからと、それを最大限やろうとする。欠点や問題点を自分で見つけて、それをどうにかしようとする努力が上手いともいえるな」
「だから……なんでしょうか。あの魔獣に対して、自分から囮を買って出たのは」
「……ま、そうだ。自分なら土地勘もあって、若いから体力も運動能力もそこそこ持っている。だから、引き付けた上で逃げ切れるって判断したんだろう。あいつは臆病だが、死にたがりじゃない。死なない算段がなけりゃあ動きはしないし、算段があったからこそ、飛び出したってわけだ。言ってしまえば単純な話だよ」
そう言い切ったクロードに対し、セレナは噛み砕くのに時間がかかっているようだった。
「理解できます。アルさんはアルさんで、すごい人物だと分かりました。ただ、あの状況で、あの――ひとりで引き付けようだなんて、無茶な判断をできるのは、理解が及びません」
「そりゃ、そうだよな。俺も真似しろって言われても、無理だよ。多分、誰もできやしねえさ、あんなの。俺はリーダーだから、何かしらの判断を下す必要もあった。ただ、迷っちまってた。そんな俺より、アルは早く考えて、早く判断をして、選択した。そこが、あいつの――アル恐ろしいところだよ。そういうのを、まぁ、有り体に言えば……勇気があるとでも、言うのかね」
急ぐ帰路の会話はそれで終えられた。クロードはそれ以上語ることがないと満足げにし、セレナは分かったような分からないような複雑な表情を見せていた。
そして、その間にいたシィは、複雑な――まるで逃れようのない事実を突きつけられたような表情をしていた。
クロードの評価は、紛れもなく正しい。
アルは怖がりで臆病で、死ぬことを何よりも恐れている。
だけど、逆に言えば――それ以外のことなら、何でもできると考える。
そして、やるべきだと判断したら、それらを天秤に掛け、僅かにでも可能性が見えれば実行する。
それは、シィにとって非常に恐ろしいことだ。彼との出会いからずっと見続けた自分だからこそ、それが十二分に理解できるのだ。
――放っておけば、彼はきっとどこまでも行ってしまう。
そんな、確信があるからだ。
裏付けるような、胸の奥の悪い予感も、まだ残り続けている。
そんな折であった。
遠くから音が響いた。思わず、シィは足を止め、そちらへと目を向ける。進行方向とはまるで逆側。深い森の更に奥。おそらくは、アルが向かっていった方角。
「――アル」
周囲も遅れてそれに気づいていた。それぞれに思いながら、シィと同じ方向に目を向ける。
クロードが、シィの肩に手を置いた。
「大丈夫だ。これがアルの仕業ってことなら、少なくとも今はまだ元気にしてる証拠だ」
「…………」
「とにかく、今俺らがやるべきなのは、町に急いで戻ることだ。もうすぐ街道に出る。そこからはすぐだ。急ぐぞ」
それぞれが返事をし、再び走り出す。
シィは何も言えず、ただ町への道を急ぐだけだった。
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