第8話 “英雄”という存在

 予想していた以上に、舞い戻った山道の進行はスムーズに進んだ。


「――――ッ!」


 一歩。

 それ以上の無駄を限りなく省いた速度でシィが跳べば、相対した魔物は一撃のもとに葬られる。時折、複数出現することもあったが、それが二歩、三歩と変わるだけであった。身構えていたアルの出番はもちろん、攻撃魔法による支援も視野に入れていたセレナの出番すらなかった。


「――うん。周囲には、もういない」

 仕事の報告をするかのように、シィはさらりと述べる。


 その様子が普段とあまりにも変わらなさ過ぎて、アルは今ここが危険地帯であることを忘れそうにもなっていた。事実、一人で通り抜けた時と比べれば、ほとんどリラックスしていると言っても過言ではないほどであった。


 スムーズな進行のもう一つの理由として、セレナによる身体能力を向上させる魔法支援も確かに存在していた。普段以上の腕力を発揮でき、普段以上の速さで走ることができる。セレナが言うには、簡単な初期魔法とのことだったが、それでも今まで地道に身体を鍛えてきたアルにしてみれば、驚く他なかった。


「……流石は、シィさんですね。魔法の効果はあっても、それは本人が元から持っている素質も大きく影響しますし」

「元々の能力が高ければ、効果も大きい、ということですか?」

 進行方向を確かめながら、アルは隣のセレナに尋ねる。


 シィの的確で無駄のない先行によって、注意を払い続けることは当然ではあるが、会話を行えるほどには余裕ができていた。


「そうです。強化魔法は勘違いされがちですが、足し算での強化ではなく、掛け算の強化なんですよ。分かりやすく言えば、筋力を上昇させる効果の魔法を使っても、幼い子供が岩を砕くことは絶対できません」

「なるほど……」


「速度も同じですね。どれだけ早く動けようと、反射神経が追い付かなければ意味はありませんから。なので、シィさんみたいに優れた素質を持つ人は、とても高い効力を得られます。見たところ、アルさんだってかなり体は鍛えていらっしゃるようですし、十分に効果は得られると思いますよ」

「それは……ありがとうございます」

 比較対象が大きすぎるため、褒められている気がせずアルは無理やりそう返した。


 しかし、セレナの解説には納得だった。いくら高い身体能力や、優れた剣技を持っていても、シィがあれほど人間離れして動けることはなかった。もし、初めからそうであったのなら、アルとの手合わせは手加減も甚だしいことだろう。


「アル。こっちで、いいの?」

「あ、うん。正面に見える岩、あれを超えるように真っ直ぐだ」


「わかった」

 言うが早いか、シィは先行する。一歩、二歩と跳ぶと、それだけで間は開いた。


 この山道を進み始めてから、シィは積極的に行動をしているようだった。もちろん彼女自身がこうしたことを好むわけではないのをアルは熟知しており、一刻も早く終わらせて町に帰ろうと考えているのだろう、と予測した。


「……正直、ここまでだとは思ってもいませんでした」

 小走りでシィの後を追い始めたところ、セレナがそう言った。


「この山の状況が、ということですか?」

「ええ……。二度も、私の予測は悪い方に裏切られてます。一度目は、ロッサムに来る前までに立てていたもの。もう一度は、この山に直接入る前に立てていたものです」


 セレナの解説めいた話に、アルは僅かに目線を落とす。

 アルもまた、普段の山の在り方を知っているからこそ、今のこの状況が紛れもない異常事態だと把握している。


 しかし、外部から来た人間がそれほどに現状が良くないと断言するのは、更なる客観的事実を突きつけられているようで、気が滅入る他ない。


「あっ、いえ。すみません。空気を悪くするつもりはなかったのですが。私、つい悲観的な方だったり、遠回しに話してしまう癖がありまして……それで先生――上司にも直した方がいいとお説教されていたりして」


 セレナは少しおどけたように言った。自然な話し方で、おそらくはこうした気さくな話し方が彼女本来のものなのだろうと感じた。


「お話しましたが、私どもの予測だと、このロッサムでは十年周期で乱れが起きており、まだ猶予はあるはずだったのです。その間に、取れる対処を取っておこうとしたわけです」


 それはシィやセレナ達と合流してから、説明を受けた話だった。


 曰く、瘴気の活性化や魔物の発生には波がある。そして、ロッサムでは十年単位でそれが発生しており、前回は九年前に当たるとのことだ。


 九年前に起きたことは、アルにとっても忘れがたいものだ。故に、一概に否定できるものではなかった。むしろ、それが繰り返されるとなれば、何がなんでも防ぎたいと考えるほどだ。


「だけど、こうして実際に見てみたら、想定を遥かに超えるものだったわけです。実際、周期が早まったり、規模の拡大例が各地で確認されていたので、それも含めた予測はしていました。していた上で、です。これは、あまり口にしたくない、論証の乏しい話でしかありませんが……世界的に異常事態が起きていると考えられるほどです。例えるなら、昔話や、英雄譚で語られるような事態とさえ」


 大げさな話だ、とアルは率直に感じた。しかし、そう語るセレナの声には、真剣さがにじみ出ていた。


「もちろん! ……もちろん、仮定の話です。でも、調べているからでしょうか。単なる、一つの波ではなく、大きな、全てを飲み込んでしまうような波なのではないか、と。今はその一端を見ているだけなのではないか、と。そう思ってしまうんです」

「……想像が、付かないです」


「ええ。私もです。ただ、それを思わせるような、性急さが昨今の事例に見えてしまうのです。そして、そうだとしたら……」


 そこでセレナは一度、口をきっと結んだ。そこから先を口にするのは、恐ろしいと感じたようだった。それでも、セレナは考えとして得てしまった以上、逃れられなかったのだろう。口を開いた。


「それこそ、昔話や英雄譚に現れるような……“魔王”と呼ばれるような、特別なものすら現れてしまうのではないか、なんて、想像してしまうのです」


 “魔王”


 それは決して、作り話の中の存在ではない。歴史に語られる、深い爪痕を刻んだ人類の敵である。


 その正体は様々だ。


 魔物として生まれたものの一つが、偶然類稀な知恵と力を持ち合わせていた――


 無数の魔物を食らい、強大な力をつけたものがいた――


 瘴気に侵され、人としての理性を失い魔物と化した人間がいた――


 など、特別な力を持った魔物が“魔王”と称されるのである。


 語られるこれらの存在が現れるのは、必ずと言っていいほど、世界が悪化を始めた時である。

 これには分かりやすい理由がある。セレナの用いるようなな言葉を借りれば、瘴気や魔物の数が増えた結果、そうした特異個体が生まれる可能性が高くなるからだ。つまり、“魔王”によって世界が闇に包まれるのではなく、世界が闇に沈みつつあるために“魔王”が生まれるのだ。


 そう思えば、確かに今の状況は合致する――合致してしまう。


 点と点が線で繋がるような感覚。ぞわり、とアルは背筋が震えた。決して、笑い話にしてしまえるような、突拍子のなさはなかった。


「で、でも。それなら、“英雄ロール”が選ばれるんじゃないですか。“魔王”が現れるときに、“勇者ブレイバー”が出てくるのは、定番じゃないですか」

 話を無理やり明るくしようと、アルは思いついたことをそのまま口にする。


「はい。そうです。そこなんです!」

 それに対し、セレナは予想以上に食いつきを見せた。


「それを期待する……というのは、正直なところ、その前段階が存在することを前提とするため、決して素直に言えるようなものでもないのですが……。ただ、私も“英雄ロール”――“勇者ブレイバー”のような存在が出てくることには、期待をしています。やっぱり、格好いいですよね。というか、すんなり話が通じたあたり、アルさんも英雄譚や伝承なんかは好きだったりするんですか?」


「あ、え? ええと、はい。“英雄”には憧れますよね。俺が、男だっていうのもあるかもしれないですけど」


 質問の答えにはなっていない気がしたが、セレナは構わず話を続ける。


「私も好きで、色んな話を読んだりしていた時期があったんです。今でも、本として纏められているものがあったり、歌劇になっていたりすると、つい手を出しちゃったりして」

「は、はぁ……」


 セレナの研究者然とした口調はもう完全に崩れ去っていた。

 そこにあるのは、夢を見て、そこに熱を上げる一人の女性の姿だった。


 しかし、アルにもその気持ちは分からないでもなかった。“英雄”に憧れを持っている。それは、偽りようのないことだったからだ。


 “英雄ロール


 それもまた、“魔王”と同じく、この世界に実在する存在だ。


 “英雄ロール”と呼ばれる存在は、天によって選ばれる、と言われている。


 例えば、“英雄ロール”の一つである“騎士ナイト”は、世界で名実ともに最高の実力を持つものが選ばれる。同様に、“剣士ソードマスター”“魔法使いウィザード”“狩人ハンター”といったように、それぞれの分野で最も優れたものが選ばれるのだ。そのため、彼ら“英雄ロール”は各分野で必ず一人しか現れない。唯一無二の英雄なのだ。


 そんな彼らが“英雄ロール”であることを示すのは、その並外れた実力だけではない。

 彼らは身体のどこかしらに、必ず“英雄ロール”であることを示す証――“英雄刻印”を授かるのだ。天によって授けられたその証は、強力な魔法術式にもなっており、彼らの実力をより伸ばす特別な“能力アビリティ”を使用できるようになる。それこそが、真似しようもない、“英雄ロール”であることの証明となる。


「でも、“勇者ブレイバー”の話自体は幾つもあるんですが、詳しい話というのはほとんど残っていないんですよね……知りたくて書物を漁ったこともあるのですが、全く出てきませんでした」

「確かに、“魔王”がいるところに現れて、その“魔王”を打ち倒した、みたいな話ばかりですよね」


 “勇者ブレイバー”という“英雄ロール”は特別な存在だ。

 一言で表すならば、“魔王”を唯一討ち滅ぼせるのが“勇者ブレイバー”なのだ。様々な英雄譚でも登場し、共通してそう語られている。だが、話したように、語られているのはそれのみで、それ以外に関しては残っていない。


「不思議ですよね。“英雄ロール”の中心的人物として語られるのに、その詳しい話はほとんどないなんて。周りの“英雄ロール”の方が、目立っているぐらいですし。山斬りの“剣士ソードマスター”シンや、竜の血を引く“騎士ナイト”ハルジオンなんかは特に」


 英雄譚において、“勇者ブレイバー”以外の“英雄ロール”は、“勇者ブレイバー”を補佐するための役割だと語られることが多い。“魔王”を討ち倒す役割が“勇者ブレイバー”である以上、そうなるのであろう。


 しかし、アルが名を挙げた“英雄ロール”は、彼らのみで英雄譚が紡がれるほどに知名度と人気があった。その他にも、そうした“英雄ロール”はいくつもいる。


「アルさんはとてもお詳しいですね。こうした状況でなければ、ゆっくりと語りたいぐらいです」

 そう言って、セレナは前を行くシィ、そして周囲に目を向けた。


 こうして会話を行えているとはいえど、決してここは談笑できるほどの安全地帯ではない。シィが先行し、魔物の露払いをしてくれているからこそ余裕が多少生まれているに過ぎない。


 しかし、緊張感を維持し続けることもまた、難しいことだ。セレナがこうして話をしてくるのは、そうしたものを少しでも紛らわせようとする意図があるのだろうと、アルは思っていた。

 だから、話を意識的に続ける。


「ええ、本当にそうですね。セレナさんはエルラドの人なんですよね。ウォルター騎士団長の話も聞いてみたいですし」

「ああ、確かに。彼はまさしく今を生きる“英雄ロール”ですからね。私も何度かお会いしたことはありますが、気さくなお方でしたよ」


 セレナはどこか誇らしげに口にする。


 ウォルター・アシュクロフト。

 エルラド聖王国が誇る、世界最大の騎士団である白金しろがね騎士団を束ねる長。同時に“騎士ナイト”の“英雄ロール”。現代に生きる伝説。そして、アルが憧れを抱く存在であった。


「しかし……そうですね」

 ふと、思い至ったように、セレナはその語調を沈めた。


「既に、白金騎士団に兵は回してもらえるよう、助手に手配をしてもらっています。ですが、もしも、それでも手が足りないようでしたら……助力を要請しないといけないかもしれません。“騎士ナイト”ウォルターに。会うことが、できるかもしれませんね」

「それは……そう、なって欲しくはない、ですね」


 憧れを抱く騎士に面会をしたい。だが、アルが望むのは、そのような場面ではないのだ。


「すみません。また悪い癖が出ました」


 セレナはアルの心情を感じ取ったのか、小さく頭を下げた。そして、正面へと目を向けていた。


「危機を楽しむつもりなんて毛頭もありません。それを防ぐ為に私たちはやってきて、今もこうして走っているのですから。……でも、僅かにですが……思ってしまうことがあるんです。“英雄ロール”や“勇者ブレイバー”のような存在が生まれ出てくるのは、それだけ世界が、私たちが危機に陥っている証左だとしても、彼らを目にしてみたいと――英雄譚で知るのではなく、同じ時代を生きたいとも、思ってしまうんです」

「……それ、は」


「ああいえ。すみませんでした。戯言だと思って聞き流してください。さて、シィさんばかりに任せてはいられません。私も微力ながらお手伝いしますよ」


 話を断ち切る様に、セレナは前に出てシィの援護の態勢へと入った。アルは、それを見送る。


 “英雄ロール


 アルはそれに憧れを抱き続けていた。


 きっとその根底にあるのは、町と家族を守った父がいたからだ。

 そのようになりたい。そんな風になれれば、同じようにみんなを守れる。それならば、“英雄ロール”のようになれば、もっともっとみんなを守れる。だから、“英雄ロール”になりたい――

 ――たったそれだけの、単純な想いで。


 その光が輝くための、闇の存在を見ないふりをして。


 アルは歩みを止めぬまま、そう考えることもまた、止めることができなかった。



                ◆




 反射的に剣を振るう。

 最早そこにシィの意思はなく、機械的な反復作業であった。


 故に、後ろで交わされている会話は耳に入っていた。だが、何も口を挟まなかった。


 もとい、挟もうとはせず、挟めるはずもなかった。


 時折、誰にも見えないところで切なげな眼をして、己が右腕に撒かれた布を、確かめるようにもう片方の手で押さえるだけだった。

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