第7話 自分にできること
「それって、つまり……ロッサムが危ないってことですか!?」
説明を受けたアルはそう結論を出し、思わず声を上げた。
そうした反応は予想されていたのだろう。眼鏡をかけた女性――セレナと名乗った彼女は、緊迫感を携えた顔つきで、ゆっくりと頷いた。
「ここで、アルさんと合流できたこと、そして、実際に目にしたアルさんから、付近の状況を知ることができたことが、非常に大きかったです。私どもが想定していたより、遥かに自体は進行している。それは間違いありません。そして、それは今もなお、進行し続けている。このまま手を打たなければ、町にも被害が出るのは、間違いないでしょう」
「……どうにかできないんですか?」
アルは休息のために、腰を下ろしていた。張り詰めた緊迫感の中を渡り抜き、瘴気の霧を潜り抜け、魔物に襲われたのだ。体力はかなり消耗おり、体にはいくつもの傷を作っていた。弱音を吐くのであれば、ここで座り込んだまま、立ち上がりたくないと思えるほどにアルは消耗していた。
しかし、それでも。
セレナの話を聞いたアルは、打開策を求めるよう、彼女へと向かって身を乗り出していた。
「アル。ダメ。まだ、休んでいて」
それを咎めるのは、後ろからアルの肩を押さえるシィだ。
瘴気の霧の中、魔物に襲われるアルを救ったのは、誰よりもアルが良く知る人物である、シィだった。それに同行していたのがセレナ、そして彼女の部下という男性二人だった。
魔物を打ち倒した彼女の動きは、まるで風と表現するのが正しかった。
そもそも、アルはシィと何度となく剣の手合わせを行ってきた経験があった。しかし、それがあくまでも、訓練のための剣技であり、実践とは程遠いものであったのだと、戦うシィを見て、アルは認識を改めざるを得なかった。
それほどに、シィの戦いぶりは凄まじかった。生まれたばかりで比較的脆弱な魔物であることを差し引いても、一騎当千と言わんばかりの速さを持ってそれらを一撃のもとに殲滅していた。それも、訓練で使う練習用の木剣を用いてである。
「シィ。でも」
「でも、じゃない。瘴気も、吸ったんでしょ? 安静にしてないと」
シィに助けられたことは、アルにとって驚きではあったが、それ以上に命が助かったことへの安堵感が上回っていた。だが落ち着いてからは、自分のせいでシィを危ない状況にあわせているという事実を実感した。シィに対しての申し訳なさと、自分の力不足を痛感させられたことへの恥ずかしさが浮上してきていた。
だからこそ、シィに対しては強く言うことができないでいた。元々、そう強く言えるような相手でないとはいえ、である。
それに実際、体にはだるさが残っているし、喉の奥には焼けつくような感覚があった。彼女の言葉に反発する理由など、一つもなかった。
「アルさん、まだ違和感が残っているようでしたら、治癒の魔法をもう一度かけておきましょうか? 話はその後で行いましょう」
「……はい。分かりました」
「じゃあ、顎を上げてください。息を吐いて」
言われるがままにアルは顎を上げ、視線を空へと向ける。視界の外から伸びてきたセレナの手が、アルの喉に触れた。
「私の触れている部分に、意識を集中していてください。行きますよ。――〈ル・エス・フィズ〉」
セレナが魔法を唱える。
視界の端に、淡い薄緑色の光が現れる。セレナの手が触れている部分が、マナによって淡く発光しているのだろう。次第に喉へ熱が伝わってくる。口や食道。血管や神経。それらを通してではなく、完全に別の器官を通って。
「あ――」
開いた口から、息が漏れた。くすぐったさと暖かさ、そして心地よさが入り混じった感覚。端的に言えば、気持ちがいい。身体が正常化されていくのを実感する。
「はい。これで終わりです。どうですか? 私の魔法はあまり効果も強くありませんが、二回重ね掛けともなれば、ある程度体内の正常化は行えると思います」
「――ありがとう、ございます」
喉を確かめるようにしてゆっくりと、アルは言葉を発した。
先ほどまで残っていた僅かな痛みも、もうすっかりと消えてしまっているようだった。腕を動かしても、問題なく可動できる。それ以上を行おうとしたが、肩を押さえるシィによって強く押さえつけられ、断念する。
「もう、ほとんど違和感はないです。大丈夫です。魔法って、やっぱりすごいですね」
「ただ、治癒の魔法とは言っても、即座に怪我を治したり、体力を取り戻させたりするものではないので、注意してください。特に私のものはほとんど基礎的なものでしかありませんし、実際のところは体内の自然治癒力を高めている程度です。体力も消耗したままなのは変わりませんし、もうしばらく休息が必要なのは確かなのですから」
「はい。分かってます。でも、すみません。話の続きをいいですか……?」
アルは急かすように言うと、続ける。
「危ない、状況なんですよね……?」
「……ええ。手を打つ必要があります」
元の話を進めようするアルの意図を察したのか、セレナは切り替えるように、感情を抑えた口調をもってして、そう言った。
「手を打つ、っていうのは……魔物を駆除して回る、ということですか?」
「いえ」
セレナは首を横に振った。
「それも一つの手段ではあります。ただそれは、最終的な手段です」
「最終的、って……」
「ああいえ。言い方が悪かったですね。言い方を変えれば、詰めの作業ということになります」
「詰めの作業?」
「魔物の駆除は安全な生活を取り戻す上では必須です。ただそれは今の段階では、非常に効率が良くありません。まずは瘴気――魔物を生み出す瘴気の拡大を止めなければ、魔物は生み出され続けますから」
考えてみれば、それは自明のことだ。
いくら魔物を駆除しようとも、倒したそばから生み出されてはいたちごっこにしかならない。いや、むしろ、前線で対処を行う人間は疲弊していく。人員が少なければ、特にそれは顕著だろう。つまり、大規模な討伐隊でも組まない限りは、その意味はほぼない。
それに、アル自身も瘴気の危険性については、父を始め自警団の先達から耳が痛いほどに教え込まれていたことでもあった。瘴気は発生しただけで、その場の生態系を崩す。そして、瘴気に侵された木々や土もまた、周囲へその汚染を広げることがある。だから、見つけてしまえば、徹底的に処理する必要があるのだ。
アルはそのことを失念していた。内心で冷静ではなかったと反省する。
「でも、瘴気の拡大を止めるって、どうするんですか? 魔法で焼くにしても、範囲が広いとそれはそれで……」
同時にそんな疑問も湧き上がる。何より、その大きすぎる疑問こそがアルの失念を招いたのだからだ。
「細かな瘴気には魔法で対処を行いますね。ただ、アルさんもご指摘のように、先ほどのような瘴気の霧に対しては処理が追いつきません。
「セレナ、話が長い」
「あっはい。すみません、つい興が乗ってしまいまして。瘴気の駆除には、これを用います」
シィの鋭い指摘に慌てるように、セレナは腰のポーチから、小石程度の大きさをした結晶体を取り出した。それにはアルも見覚えがあった。
「これ。マナの結晶ですか? 魔法使いの人が使うやつ……いや、それにしては小さいから、冒険者が使う、強い衝撃を与えると爆発する炸裂式のマナ結晶……?」
そう口にして、アルは思い至る。
シィが颯爽と現れて魔物を打ち倒す直前、強い光と衝撃が瘴気の霧の中で炸裂していた。あれは、マナ結晶を用いていたのだろうか。
「ご存知でしたか?」
「アルも、わたしも、道具屋で働いてる」
「確かに。そうでしたね。なら納得です。ですが、これは一般流通しているものとは異なります。中が僅かに白濁していますが、ほとんど無色透明でしょう。これは、マナの純度が高い証拠で、属性の指向性をほぼ持ち合わせていません。これに、魔法使いが用いるように、外部からマナを通します。すると、内部に付与しておいた術式が起動します。瘴気などに触れれば、炸裂してマナを周囲に撒き散らすような術式です。瘴気とマナは相互作用が見受けられます。あ、はい。ええと。簡潔に、でしたね。説明すると非常にシンプルなことですが、高濃度のマナを散布することで、瘴気を無効化することができます」
説明の最中で、先ほど同じように長い説明をしてシィに諫められたことを思い出したのか、セレナは最終的に短く言い切った。
「ただ、これはまだ実証段階のものです。というのも本当は、今回の実地調査ではこれの実験も兼ねていたんです。幸か不幸か、ここに来るまでの間と、アルさんと合流した際に使用して、これがそれなりに効果があるのは確認できました。また瘴気が再活性化を行う可能性もありますし、規模によっては魔法による処理と同じように、効果が見込めないかもしれませんが――」
「それでも、それなりの効果は期待できる、ということですよね」
アルが期待感を込めて言った言葉に、セレナははっきりと頷いた。
それを確認して、アルはほっと安堵の息を吐いた。溢れる瘴気は自分ではどうすることもできなかった。これなら、町にも被害が出る前に食い止められそうだ。
「ですので、私たちはまだ周囲の調査と対処を行うつもりです。なので――」
セレナがそう言うと、アルの肩に乗せられていた手に、力が込められた。
「わたしが、ここから先も同行する」
そして、シィがそう宣言した。
「ええっ。それは、こちらも願ってもいないことですが。シィさんの実力は、ここまでの間で十分に見られましたし」
「うん。だからアルは、ここで町に戻って」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。案内だったら、俺がやるよ。元々、そういう話だったんだろ。それに、シィに危ないことは――」
言いかけた言葉は、肩を押されて封じ込められる。
「アルこそ、あんな目にあったのに、まだやるの?」
「それは……」
アルは肩を押さえつけられ、シィの顔色を伺うことはできなかった。代わりに、セレナを見やる。セレナはシィに期待の表情を向けていた。
それも仕方のないことだ。アルは確かにそう感じる。
シィはきっと、ここまでの道のりでも活躍を見せたのだろう。道案内にしたって、アルと一緒に山へ入ることもあるため、それなりにはできるはずだ。
それに加えて、アルはみっともないところしか見せられていない。今も、治癒魔法を受ける、庇護対象としての扱いがほとんどだ。そんな人物を同行させるというのは、クロードの言葉ではないが、足手まといになりかねない。
「アルは、町に戻って、危ないことを伝えて」
それでも――
「俺も、一緒に行くよ。行かせてください」
「アル」
理屈はある。役に立てる自信はある。元々培ってきていたこの山の知識は、誰にも引けを取らない。それに加えて、今の山の状況を誰よりも把握しているのも、アルなのだ。
それ以上に、意地もある。
「大切な女の子を前に行かせて、自分が役に立てるところで何もしないでいるのは、嫌だよ」
アルは肩に乗せる手に、自分の手を重ねた。
「シィがセレナさんの調査に同行するというなら、俺も行かせてください。瘴気が発生していた場所は、はっきりと把握しています」
シィの隣に立っていたいのだ。
アルにとって、シィという女の子は紛れもなく特別だ。だからこそ、気後れすることも多い。彼女に先を歩かれている、と思うことも無数にある。
前を歩きたい、とまでは今は思えない。
ただ、一緒にいたいと思う。置いて行かれたくないと思うのだ。
そのために自分にできることをやらなければいけないと思うのだ。
「それに、クロードさん達も心配です。今の危険性を伝えないといけない。みんながいる場所を把握しているのも、俺です」
「先に向かったという冒険者の方たちですね。確かに危険性を伝える意味でも、調査に協力してもらう意味でも合流はしておきたいです。案内していただけるのは、助かります。でも、本当にいいんですか?」
セレナはアルとシィの顔を交互に伺う。
アルはシィの手を掴んだまま、立ち上がった。シィが押さえつけてくることはなかった。
そして、シィの顔を見た。
複雑そうな、困ったような、悲しそうな表情だった。
シィはたまにこうした表情を浮かべることがある。そこに込められた感情は、アルには読み取れない。ただただ、そんな顔をしないで欲しい、と思うだけだった。
「シィ。一緒に行かせて欲しい。俺は、情けないけど、シィがいるなら安心できる」
「アル……」
アルはシィの手を、しっかりと握り込んだ。
「助けに来てくれて、ありがとう。でも、まだ俺は、このまま黙って帰るよりは、やれることがあると思うんだ。シィが一緒なら、もっと」
シィは何も言わなかった。ただ黙って、切なそうな顔を、アルに向けているだけだった。
アルはそれを静かな肯定だと、受け取った。
「セレナさん。俺はもう、大丈夫です。いつでも出発できます」
「あ、は、はい。分かりました。では、ここからは私とアルさんとシィさん。三人で進もうと思います。助手達には伝令のためにここでロッサムまで戻ってもらいます。騎士団にも、今のうちから出兵の要請を出そうと思います」
セレナはそう言うと、同行していた男性二人に指示を出した。彼らは頷き合って、すぐに町の方角へと向かった。
「それでは、行きましょう。アルさんは道の指示を、シィさんは周囲の警戒をお願いします。私は可能な限り魔法で支援を行います。瘴気が見つかれば、マナ結晶を用います」
「はい」
「――分かった」
そうして、アルは再び悪意と死の渦巻く森の中へ戻ることとなった。
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