第4話 道なき道


「で、だ」


 クロードが、溜めに溜め込んだ息を吐くようにしてそう言ったのは、ロッサムから北に延びる街道から外れ、道のないような山道を進んでいる最中であった。


「アル。結局、お前シィちゃんとはどうなんだ」

 ほとんど言葉として成り立っていないものだったため、アルは半ば無視するように足を進めていた。だが、クロードは構わずそう続けてきた。


 思わずアルの足が一瞬止まる。


「く、クロードさん。いきなり何言ってるんだよ」

「ああ? だから、シィちゃんとのことだよ。店ではああ茶化したが、ちゃんと上手くやってんのか?」


 振り返ることなく答えたアルへ、クロードがぶっきらぼうに尋ねる。それにはアルも、クロードの顔を見ざるを得なかった。


「上手くも何も、いつも通りで変わらないよ」

「かぁーっ! いつも通りって何だよ。自慢か惚気か」

「いやそんなんじゃないって!」


 顔を逸らし、アルは再び歩き始める。


「いつも通りはいつも通りだって。一緒に暮らしてて、店の手伝いをしてもらったり、剣の稽古に付き合ってもらったり」


「あー、いいっスよねーそういうの。可愛い女の子とひとつ屋根の下。ドキドキしないわけもなく」

「アタシ、そういうの娯楽小説で読んだことあるなぁ」


「レインさん達まで! ひとの話で面白がらないでくださいよ!」


「だってー。ね」

「ま、そうっスね。面白いっスもん」


「下手なお話読むよりワクワクするしー」

「事実は小説よりなんとやらっスね」


「もう……全くこの人たちは……」


 肩をすくめる。クロードの適当さが目立ちはするが、結局のところこの三人組パーティーは全員が全員似た者同士なのだ。クロードの元に集まった人間である以上、そうなるのは自然なのかもしれないが。類は何とやら、である。

 アルは話を断ち切るように行軍を再開する。


「なあ、アルよう。行けるときはビシっと行っておかないとダメだぞ?」

「行くって何をさ」


「そりゃあ、アレだ。アレやコレやだよ。やだ言わせんな」

「自分から言い出したことでしょ!」


「節度は守らないダメよね。若いから、ってね」

「レインさんまで何言ってるんですか!」


 軽口を叩いてこそいれど、今は山道を行軍している最中である。

 アルの選ぶ道のりに信頼を置いてくれているのか、それとも魔物が出ても問題ないと思っているのかは分からないが、なんとも気の抜けてしまうような状況だと思ってしまう。


(まぁ、それでも節々で周囲への警戒は怠ってないのが見え隠れするのは流石だよなぁ)


 アルは横目で後ろを歩く三人を見やる。


 なんだかんだと言いつつ、彼らは熟練の冒険者なのだ。この山道を歩く上ではアルに軍配が上がるだろうが、総合的な能力では彼らの方が遥かに上なのだ。

 結局のところ、アルは一芸を持っている程度の一般人でしかない。


「ただなぁ。アルよ。シィちゃんがずっとお前の隣にいてくれるなんて保証はないんだぞ?」

「それは……」


 変わらず軽口めいて言われたクロードの言葉に、アルはほんの一瞬だけ足が止まる。


 それに気付いてか気付かないでか、構わずクロードは続ける。


「そりゃあ行く当てのない女の子を拾って、自分ちに囲ってればそう思うのも仕方ねえとは思うがよ」

「クロード。言葉が過ぎるわよ」

「ああ、悪い悪い」


 クロードは軽くそう言ってアルの肩を叩くと、隣に並んだ。


「だがまあ、どう言葉は選んでも、言いたいことは同じだ。シィちゃんが何かやることを見つけて出ていくこともあるかもしれねえし、お前以外に好きな奴ができて、どっか行っちまうかもしれねえ。先のことは分からねえんだぞ? ずるずる今のままやってても、上手く行くとは言えねえ。それでいいのか? もし何かあってからじゃ手遅れだぞ」

「手遅れ?」

 アルは隣を歩くクロードの顔を見上げた。


「ああ、そうだ。時間ってのは進むもんだ。俺もお前もシィちゃんも年を取る。レインは老ける」

「ああん?」

 背後から蹴飛ばされたのか、クロードがぴょんと前に跳ねた。


「あたた……。まぁ、あれだ。物事も変わっていく。気が付いたらシィちゃんとどうのこうのなんて言ってられなく場合がくるかもしれねえってことだ」

 尻をさすりながらクロードは言う。格好こそつかないが、口にする言葉も、その口調も普段より真面目なものだ。


 クロードのこうした口調は、たまに見せる、彼の年上らしい部分だった。

 滅多に出してこないが、だからこそ、そこに含まれているものは本心から出るものだと分かっていた。


「でも、俺はまだ――」

「自信がないってか?」

「っ!」


「お前が自信を持てないのは分からんでもない。ビビりだし臆病だし、剣でもシィちゃんに一度も勝ててねえんだろ? シィちゃん、仕事もテキパキこなすしなぁ。そりゃあ一緒にいれば、嫌でも自分がこの子に必要なのかって考えてしまうわな。俺なら泣いてるわ」

 ただなぁ、とクロードは頭を掻く。


「自信なんてもんはな、一生付かねえもんだ」

「そう、なの?」


「ああそうだ。少しできるようになったってな、大抵そこで別の問題も見えてくるもんだ。なあ?」

 クロードは後ろを振り返り、仲間に尋ねる。


「そうねぇ。今の自分に満足することなんて、ないわね」

「僕もそうっスねー」

「うるせえお前は黙ってろ!」

「ええええっ!? 何でっスか!?」

「お前はまだ未熟だからだよ! 戦闘中の位置取りもダメ、武器の手入れも甘い、鍛錬もちゃんとやってないのを知ってんだぞ。言わせんな恥ずかしい!」

「それただのガチ説教じゃないっすか!?」


 肩を落とすグレアーに、レインがその肩を叩く。耳元で何かを囁いているようだったが、「慰めになってないっスよ!?」と叫んでいたあたり、追い打ちを受けたようだった。


「ま、切っ掛けなんて待っててもやってこないってことだ。俺はなぁ、お前にあいつみたいになって欲しくはないんだよ」

「なんでそこで僕を見るんスか!? 僕ってそんなに悪い見本なんスか!?」


「ま、それは冗談だが。俺はいくつも来もしねえチャンスを待って勝手に潰れていった冒険者馬鹿野郎も見てきたわけだ。お前にはそうはなって欲しくはないんだよ。それに、シィちゃんが心配するように、だ。お前に何かが起こる可能性も十分にあるんだよ。そうなっても、同じだぞ」

 顔を寄せ、真面目に語られるその言葉に、アルは何も返せなくなる。


 クロードがどうしてそう言ってくれているのか。それは十二分に理解できる。冗談めかして言いこそしたが、父のことがあるからなのは間違いない。


 父は九年前に、魔物との戦いで命を落としている。


 まだ若い母と、幼い自分たち二人の子供を残して。


 人は死んでしまえば、もうそこで終わりだ。そこから何かを為せることなんて何一つない。心残りがいくらあろうと、それに触れさせてすら貰えなくなる。


 それは、痛いほどに、分かっている。

 自分を導いてくれていた父が死んだときに、アルはそれを味わったのだから。


 それ故に、アルは死への恐怖を防ぐことができないのだから。


「ま、別にいいじゃない? とはアタシは思うけどね。ってか、アルくんもシィちゃんも端から見てると好き合ってるの露骨だし。なるようになるって見てて思っちゃうしね」

「青春オーラってヤツっスよね。見てて眩しいというか、むしろ目と心に痛いというか」

 レインとグレアーが続けて言った。しかしそんな二人をクロードは聞き流して、話を続けた。


「結局お前は体のいい言い訳を並べてるだけなんだよ。そういうのは見てて何となくわかるってもんだ。だから、それなりに心配もしたくなる。まぁ、俺も別にお前をおもちゃにして遊んでばかりいるわけ――ではあるんだが」

「そこはあるって言っちゃうんスね」

「否定はできないよねー」


「ともかく、だ。お前をガキの頃から知ってる先人なりに、な」

「……うん、分かったよ」

 アルは頷く。


 心配も、指摘も、その通りだ。決して否定はできない。

 シィに対して、甘えていたし、甘く考えていた。


 自分たちはまだ子供で、大人になる。変わっていく。関係性も、いつかは変わる。それを、考えないようにしていた。

 このままでいられればいいとだけ、考えてしまっていた。


「よし。アル! この仕事が終わったら、お前はシィちゃんとどっか遊びに行け!」

「えっ!? いきなり何なんだよ」


「いつも仕事に訓練にって自分で言っただろ。だからだよ。いつもと違うことぐらいやってこい」

「違うことをって……」


「マンネリってのは何にしても良くねえ。こんな田舎の町にずっと住んでて、見えるもんも同じってのが良くねえ。シチュエーションを変えろ。そしたら、何か起きる」

「クロードの言うことは雑だけど、アタシもそれには賛成ね。どこか旅行がてら遊びに出て、そうね。プレゼントなんてするのもいいんじゃない?」

「プレゼント! いいっスねぇ。そういうのが、二人の記念になって、思い出になるんスよね」


「そういえば、シィちゃんが腕に布を巻いてるじゃない? スカーフみたいなの。アレって結構オシャレで可愛いわよね。何か意味があってやってるとかはあるの?」

「ああ、えーと。アレは、あんまり腕を見せたくないからって」

 アルは若干言葉を濁して答えた。


 シィは常に右腕に布を巻いている。その理由はシンプルで、腕に大きな傷痕があるから、だそうだ。というのも、アル自身もそれを実際に見たことがない。物が物だけに見せてくれとも言い難いことでもあった。こうして言葉を濁したのも、本人のいないところで話すのが躊躇われるからであった。


「そう。そっか」

 だが、レインはそれを察したようだった。やはり、同じ女性ならではの感覚があるのだろう。


「じゃあ、アルくんは、シィちゃんにそれ用のスカーフでもプレゼントなさい」

「えっ」


「きっとアルくんからのものなら何でも嬉しいだろうし、内容はあまり気にしないでいいわよ。って言いたいんだけど、どうせそう言われてもアルくんは考えちゃうだろうし、アドバイス」

「それをデート……っと、じゃない。遊びに出てからプレゼントっスね。うーん、いいじゃないっスか!」

「で、でも……」

 勝手に話が進んでいく流れに、アルは思わずそう言葉をこぼした。


「でももヘチマもへったくれもねえってんだよ。クレアさんには俺から言っておいてやるから」

「ま、そうね。次の仕事のアテもないし、クーベルク商店でアルバイトするってのもありかもしれないわね」

「そっスね。結構楽しそうっス」


 アルは続ける言葉に詰まった。


 頭に浮かんだのは、遠慮の言葉だったからだ。それを、グッと飲み込む。


 シィと遊びに行くこと。それは、想像するのが難しいことではあった。なにぶん、二人してずっとこの狭い町で暮らすのに一生懸命だったからだ。


 ただ、ほんの僅か。思い描けた予想図は、とても楽しそうだった。アルから渡されるプレゼントを、嬉しそうにシィが受け取ってくれる。それはとても幸せそうな光景だと思った。


 それなら。


 頼れる兄や、姉や、父のような人たちがそう言ってくれているのだ。それなら、頼るのが正しい――いや、頼りたいと思ってしまう。


「――うん。分かった。シィを誘ってみるよ」

 そうアルが言うと、クロードはアルの背中を強く叩いた。思わず前によろめく。でも、それは気持ちのいいものだった。


 一歩前に進めたような、気がしたからだ。


(シィと遊びに行く、か。確かに、今までなかったな。どこがいいだろう)


 少しだけ足取りを軽くしながら、アルは考える。シィは喜んでくれるだろうか。喜ばせるためには、どうしたらいいだろうか、と。


 頭を巡る想像は紛れもなく、アルがこれまで望んでいたような幸せなものだった。




 ――だが、そうした幸せな未来が訪れることは、なかった。





                ◆





 違和感。


 それを覚えたのは、そうした話をしてから少し経ってからの事だった。


「クロードさん」

「ああ。ここからは俺が先を進む。お前は俺の後ろにいろ。グレアー。お前は殿を頼むぞ」

「ういっス」


 つい先ほどまで軽口を叩いていたクロード達にも、緊張が走っているのは分かった。そこにいるのは気さくな年上の友人ではなく、熟練の冒険者の姿だった。


「あそこ。木の根っこが黒く腐ってる。向こうにもいくつも見える。左手奥の大きな木に見えるのは、魔物が付けた傷。それに、その木の向こうに見えてるのは、たぶん、動物の死骸、だと思う。魔物が狩りをした痕跡だ」


 アルは周囲の警戒に集中し、見えたものを端から三人に報告する。


「……うん、間違いない。一週間前に見た状況より、悪化してる」


「お前が前に見たってのは、このあたりだったのか?」

「いや。もうちょっと先だった。この辺りには何もなかった」

 アルは以前、警戒任務パトロールで来た時のことを思い返しながら言う。山の地形を完璧に把握していることもあるが、アルはどこに何があったのかをはっきりと記憶している。


「瘴気が広がってきている……」

 だから、アルはそう結論を出すように呟いていた。


 見た目こそ黒く不気味な霧。人や生物が触れれば肌を焼き、植物がそれに覆われれば腐食してしまう。万物に対する毒。それが瘴気である。


 瘴気はどこからともなく現れ、様々なものへ悪影響を及ぼす。


 例えば、こうして山の森に発生すれば、木は枯れ土は死に、そしてそれに触れた野生動物も死ぬ。広がるのなら、最悪森そのものが死滅してしまうことすらある。昔話では、一つの森が瘴気に沈められたことがあったと、アルは聞いていた。


 そして、それ以上に厄介な特性が瘴気にはあった。


 それは、瘴気は魔物を生む、ということだ。


 瘴気はただ発生するだけでは、周囲を死に絶えさせるものでしかない。だが、それが濃くなり蓄積し、沈殿するほどになれば、瘴気はそれ自体が姿を形成する――人や動物を形作るのだ。


 それらは瘴気が持つ特性が如く、生在るものへ敵意を向け、死を振り撒いてくる。

 決して、人を始めとして生在るものでは交われない存在。魔物はこうして生まれるのだ。


 故に、瘴気の発生というのは、それだけで非常に危険な印である。それに加え、魔物の痕跡が見つかっているというのは、それだけ濃い瘴気が生まれた証左でもあり、ここが危険地帯になっているということである。


 そして、加えて言うのであれば、それが広がりを見せているということは、その危険度はアルの想像を超えるものであるということでもあった。


 その実感に、アルは背筋が冷たくなり震えを覚えた。


「想定していたより、早かったな。アル。予定地点までは、あとどのくらいだ?」

 そう感じたのを見計らってか、クロードは言ってきた。


「あ、ええと。中間地点はもう過ぎたし、あと少しだよ。ここから、山肌に沿ってまっすぐ進んでいくだけ」

 アルは言いながら、進行方向に指を向ける。しかし、それが指差すのは、どこか不気味に薄暗くなった森の景色であった。


「――そうか」


 クロードは立ち止まり、一瞬だけ考えるように顎を引いた。そして、振り返り二人の仲間へと目線を送る。三人はそれぞれ頷き合う。


「分かった。ここから先は俺たちだけで行ける。アル、お前はここで戻れ」


「えっ――でも――――――ッ! 前!」


 反論を口にしかけた瞬間、まるで跳ね上がるかのように、振り返っていたクロードのその奥、遠くの木をアルは指差した。


 そこにいるのは、黒い二つの陰。黒く、歪な姿。紛れもない。魔物である。


 瞬間。


 アルは頭に不思議な感覚が走った。


 線が――神経が――何かが繋がるような、感覚であった。


 しかし、時間にして刹那にも満たないそれは、意識を向けるより前に霧散していく。そして、それを上書きするかのように、世界は動き続ける。


 クロードが機敏に体を回転させ、その手を腰の剣に伸ばす。しかしその刹那、風を切るような音が鳴った。まるで閃光。二つの線が、薄暗い森に走っていた。


 それに遅れて、遠くに見えた二つの影が、続けて倒れた。


「大丈夫。他にはいないわ」

 何事もないかのように、涼やかな声だった。それを発したレインの手には、小弓と矢が握られていた。それを見て、アルは彼女が即座に矢を放ったのだとようやく理解した。それほどの早業だった。


「……助かったレイン。分かっただろ。十分ここも危険だ。それでこんだけビビってるお前が付いてきても、ここから先は役に立つどころか、足を引っ張る。今のうちに帰っておけ」


 そう言われて、アルは自分の手足に震えが起きていることを実感した。咄嗟に掴もうとした腰の剣にも、自分の手は震えて触れてすらいなかった。顔を拭えば、べっとりとした汗が手に付いた。


「というかだ。経験上、瘴気ってのは一度広がりだすと一気に来る。今はまだその前段階かもしれないが、実際のところその保証がない。ただ、魔物が生まれているってのは十分な変化だ。お前は安全な道を案内してくれたが、それが、変わってる可能性もある」

「……うん」


 クロードの心配せんとすることは、アルにも予想がつかないことではなかった。


 目的地周辺に予想以上の変化が起きていたのであれば、それが帰り道には起こっていないとは断言できない。ここで見えるものが氷山の一角である可能性は高い。

 ならば、少なくとも見える範囲で安全が確認できる現状でなるべく早めに行動するのが最善だ。道案内をするだけの一般人が引くには、ここが限界だ。


「ああ、ここまで助かった」

「気を付けて戻ってね」

「急いで帰るっスよ」


 三人は口々にそう言う。既に目線は方々へ向けられている。冒険者としての彼らの姿だった。アルはその姿からすぐに目を外し、来た方角へと向き直った。決まった以上、悠長にしている余裕なんてない。


「――じゃ、じゃあ、みんなも気を付けて」


 絞りだすように、アルは声を発した。少しでも、普段通りを繕いたかった。


 そして、すぐに駆け出した。


 それが何よりも精一杯の行動だった。



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