第3話 北の交易町”ロッサム”

 アルの住む町であるロッサムは、エルラド聖王国の王都からは遠く、北部に聳える山脈の麓にある町である。


 王都エルラドを始点として伸びる街道は、ロッサムから更に北の山に向かって続いている。つまり、ロッサムは山を越えた隣の地方との中継地点であり、同時に交易町として機能していた。それを示すように、町には毎日のように商人や旅人といった、新たな人の行き交いが発生している。王都から離れた、いわゆる田舎町にしては十分な賑わいを見せているともいえた。


 そんな町の活気を支えるのは、町を訪れる者たちの為の施設である。

 つまり、宿屋や酒場、そして商店である。そのうちの商店こそが、アルの実家であり、その姓をそのまま看板に持つクーベルク商店であった。


 クーベルク商店は、ロッサムの中央通りに面する目立つ立地にある。

 取り扱うものも基本として日用品を始め、珍しいものでは北からの交易品、場合によっては旅人や冒険者の扱う武器や道具も用意する。町にこれだけの商材を取り扱う商店はない。長年町の中心に根を下ろし続けたという積み重ねもあり、ロッサムを訪れる人間であれば、ほぼ必ず立ち寄ると言っても過言ではない店だと言えた。


 店内には四人の人物がいた。一人はカウンターの向こう、三人は椅子と机の用意された店舗奥の休憩や準備を行うスペースである。


 アルが店に入るや否や、カウンターの向こうに立っていた女性が鋭い声を飛ばす。

「アル、お客さんを待たせているわよ」

「ごめん、母さん」


「あなたが信頼されて任せられているお仕事なんだから、しっかりしなさい」

「うん」

 素直に頷いて答えるアルに、母さんと呼ばれた女性――クレアは笑顔を浮かべた。


「おーいおいアルー。クレアさんを困らせるんじゃねえぞ」

 そんな声と共に、アルはがしりと肩を掴まれ引き寄せられた。力任せに引っ張られる先を見れば、金髪を短く刈り込んだ頭と、彫りの深い、いかつい顔があった。準備スペースで待機していた冒険者の一人だ。


「クロードさん、痛いって」

「おーおー。アルよう。またでかくなったか? ちゃんと飯は食ってるか? 筋肉は結構付いたみたいだな」


「前に会った時からそんなに経ってないよ」

 アルは頭をわしゃわしゃと荒っぽく撫でまわすというよりはかき混ぜられながら、以前この男性――クロードに会った時のことを思い返す。そう昔の事ではない。ほんの二十日程度前のことでしかない。


「あ? そうだったか? 悪いな。年取ると物覚えが悪くなってな」

「いや、クロードさん、まだ三十そこらでしょ」


「三十四だな。まだ若いぞ俺は!」

「言ってること違うじゃん!」


「冗談だよ冗談」

「もう。クロードさんはいつも俺をおもちゃにして」


「本当は五十五歳だ」

「えっ!? 嘘っ」

「ああ、嘘だ」

「クロードさん! 言ったそばから!」


 アルは体をべたべたと触ってくるクロードの手をようやく跳ね除けることに成功すると、疲れたように溜息を吐いた。


「おいおい、どうしたアル。今から仕事だぞ。何そんな疲れてんだ。あ、もしかしてお前、シィちゃんといちゃいちゃして疲れてんじゃないだろうな。お前なー。まだ明るいうちから何やってんだ。若いからって節度ってもんは必要だぞ?」


「違うよ! 何言ってんだよ! シィとはいつもの剣の訓練をしてただけ。疲れたのはクロードさんのせい」

 クロードは短い無精ひげを撫でながら感心したように頷く。


「……お前って本当にいい子だなぁ。俺の面倒くさい絡みにもちゃんと反応してなぁ」

 そして見当違いの話を一人で始めていた。


「レインにグレアーときたらなぁ。最近じゃあ俺のことは無視だぞ無視。いや、無視ならいいけどレインなんかは冷たいのなんの。時々魔物に向けるのと同じ目を向けてくるんだぞ。マジ怖いっての。思春期の子供とお父さんかよってな。グレアーにしだって、俺らと組み始めたころはまだ初々しくて遊び甲斐もあったんだけどなぁ。最近じゃ淡白で面白くもねえ。どうしてこうなっちまったんだか」

「……遊び甲斐とか聞こえてんスけどー」


「うるせえ、お前は黙ってろ!」

「ぇぇー……オレの話っスよね……理不尽っスよ……」

 店の奥、椅子に腰を下ろしたまま口を挟んだ若い男性――グレアーと呼ばれた青年が渋い顔をする。


「ねぇクロード、いい加減仕事の話したら? アル君もほら、クロードは面白がってるだけなんだから、真面目に取り合っちゃダメ」

 その向かいに座っていた青髪の女性――レインはそう言うと、場を切り替えるように手を大きく鳴らした。


「はい。じゃあ仕事の話。とりあえずうちのリーダーがこんなだから、代わりにアタシが進めるわね」

「あっはい」


 レインの場を締めるような口調に、アルは佇まいを直す。レインは椅子に腰を下ろしたままアルの方へ向き直ると、足を組んだ。そして、きちっとした笑顔を浮かべる。


「アル君が遅れたのは気にしないでいいわ。アタシ達もさっき付いたばかりだから。すぐにシェンナちゃんが呼びに行ってくれたしね。でも、忘れてたのはダメよ。クロードの戯れ言とは違って、ちゃんとしたお仕事なんだからね」

「はい。ごめんなさい」


「うん。ま、アル君はいつもしっかりしてるし、こんなの滅多にないからね。大丈夫よ。とりあえず言っているだけ。まぁでも、仕事内容が仕事内容だからなるべく早めに行動はしたいの。急いで準備してもらうかもしれないけど大丈夫?」


 アルはそこでレインやグレアーの陣取る机と、その付近に目を向けた。

 応急薬や携帯食料、ランタンなどの野営道具。それらが詰められるであろうバックパック。その傍らには彼らが冒険者であることを示すような剣や弓、矢筒などが鎮座していた。


 クロード達の準備はおおむね済んでいる。残るのは自分だけだ。


「はい。大丈夫です。俺の準備はそんなにありませんし」

「おやつは銀貨三枚までだぞ」

「クロードは黙ってて」

 レインにぴしゃりと言われ、クロードはわざとらしく肩をすくめた。


「ま、それでも準備はしっかりしておいてね。今回は魔物退治がメインになるし、アル君も気を張っておいて損はないだろうしね」

「そう、ですね」


 魔物退治。

 それをはっきりと耳にして、アルは若干歯切れが悪くなった。心に緊張が走ったのは明確に実感できていた。言葉だけで影響を受けるなんてまだ全然だめだな、と自分のことながら呆れそうになる。


「アル、魔物退治って?」

 そこに言葉をかけてきたのはシィだった。


 シィは詰め寄ると、その黒く澄んだ瞳で真っ直ぐに見上げてくる。思わずアルは後ずさるが、構わずシィは距離を詰めた。


「いや。魔物退治ってのは、クロードさん達のことで。俺はいつもの道案内」

「でも、魔物を退治しないといけない仕事での道案内、でしょ?」


「あ、うん……」

「魔物が増えたから、退治する。違う?」


「違わない」

「道案内でも、魔物と逢うかもしれない」


「それは……」

「アルが行くのは、危ない」


「いや、でも。山の状況を知ってるのは、俺だし」


 アルは、実家であるクーベルク商店の仕事も行っているが、それ以外にもロッサムの自警団も手伝っている。その自警団の仕事の一つが、近隣の警戒任務パトロールである。


 そしてアルが積極的に行っているのも、この警戒任務パトロールであった。町への危険を察知しなければいけない重要な任務であることが第一の理由ではあるが、複雑に入り組んだ山へ実際に入り、見て回ることが自分の訓練にもなると判断しての事でもあった。


 その結果、アルはこの町で誰よりも近隣の山の状況について把握していた。

 クロード達がアルへ道案内を依頼したのは、そうした能力が評価されたことが最も大きい。また、今回に限って言えば、山に魔物が増えたと判断される瘴気などの痕跡を、アルがつい先週に複数見つけ自警団に報告していた。


 発見者が同行し、道案内を行うというのは、至って当然の話であった。


「アルは、魔物が怖いでしょ?」

 ただし、その案内人が魔物に対して、強い恐怖感を抱かないのであれば、である。


「それは……そうだけど」

 最後に向かうにつれて、アルの言葉は小さくなっていっていた。そうシィが指摘することが、紛れもなく真実だからだ。


 アルは自分が臆病であることは明確に自覚していた。


 アルが魔物を怖がるのは、それこそ物心付く前の幼い頃からだ。あの冬の日、シィを助けるために魔物と戦ったことは、例外の中の例外である。普段であれば、魔物を見ただけで足がすくんで動けなく程である。


 更に言うなれば、実際は剣を始めとした武器を扱うことすら苦手であるともいえる。シィとの訓練に使うような、模造剣であればまだしも、何かを殺すために作られた武器だ、と理解できてしまうものには、言い知れぬ恐怖のようなものを感じ取ってしまうのだ。


「魔物が出るようなところに行って、大丈夫?」


 シィが心配しているのは、そうした部分である。いくら体や剣技を鍛えていたとしても、アルの根っこにあるものは変わらないし、変われない。そんな中、魔物との戦闘になってしまえば、すぐに連想されるのは、彼らが振り撒く死に他ならない。


「大丈夫……だよ。俺は、戦うわけじゃないし」

「だけど――」


「アルの言う通りだよ、シィちゃん。こいつにゃ、戦わせねえさ」

 助け舟を出すように口を挟んだのはクロードだった。


「ってか、鹿の足音にビビッて悲鳴を上げるようなヤツの腕は当てにしてねえよ」

 クロードは大げさに笑った。


「ま。戦うのは俺らだから、シィちゃんも安心しな。それが俺らの本業だからな。俺らが期待してるのは、こいつの道案内能力だよ。そこはシィちゃんも分かるだろ?」


「そうね。本当にアル君の案内には助けられてるわ。普通じゃ知らないような道。魔物と遭遇しないで済む道。そしてそういうのは時間で変化するから、アタシ達みたいな根無し草は知識の更新もそうそうできるものじゃない。だから、そうした土地勘を持ってる人がいるのは、アタシ達にとって非常に心強いわ」


「そういうこった。臆病でビビりで小心者で魔物を見たらチビるぐらいだからこそ、見えるもんがある。俺らはそこを頼りにしてるってわけだ。それ以外は正直、邪魔だ」

 しっしっ、とワザとらしくクロードは手で追い払うような仕草を見せる。


「……レインさんに、クロードさん。ありがとうございます」

「アルくん、褒めてはいるんスけど、褒めてない部分もあるんスから言うことは言っておいてもいいと思うっスよ?」


「いや、本当の事ですし、大丈夫です」

「え。マジっスか?」


「……って、いやいや、流石にチビりはしないけど!」

 慌ててアルは目の前で打ち消すように手を振った。


「俺が怖がりだってことは、自分が一番分かってますから」

 アルはそう言って、シィに再び顔を向けた。


「だから、無理はしないよ。それに、臆病なところは本当に自慢じゃないけどさ、俺が把握してるルートは、ほとんど魔物は出ないと断言できるよ」


 これは、嘘でも大袈裟でも無い。アルが自信を持って断言できる、数少ないことである。


 アルはロッサム北の山について、誰よりも細かな変化を把握している自信がある。一年単位で見れば、誰よりも長く滞在しているだとう。

 裏を返せば、臆病な人間がそれだけ把握できているということは、魔物の場所を的確に掴んでいるからに他ならない。アルの根気と慎重さを合わせた成果である。クロード達が期待してくれているのも、この部分なのだ。


「言ったろ? 自分にできることをするって。これも、俺にできることだと思うし、やらなきゃいけないことでもあると思うんだ。こういうことをやっていく事で、みんなを、シィを守ることに繋がると思えるんだ」


 アルの言葉に、シィは僅かに目を伏せた。それは肯定を示す合図――ではなかったが、これ以上の問答が意味のないものだと悟った合図であった。


「大丈夫だよ。すぐ終わらせて帰ってくるから。そしたら、さっきの続きをやろう」

「……うん、わかった」

 向けられたシィの大きな瞳に向かってアルは微笑んだ。


 心配してもらえることは嬉しいことだ。


 決して自分を過小評価も、過大評価も行わないアルは、素直にシィの気持ちに対してそう思う。だからこそ、気持ちには応えないといけないとも思う。


 自分にできることをやって、無事に帰る。

 少しずつ、できることを増やしていく。


 そうしていれば、いつかは心配をしないで貰えるほど、頼れるような人物になれると、信じている。いつかはこの世界に本当に存在している、誰からも頼られ、尊敬される“英雄”と呼ばれるような存在にもなれると信じている。


 それが、あの日彼女を助けた時に抱けた、アルにとっての夢であり目標であり――責任だ。


「なぁアルよぉ。そういういちゃいちゃするのは、どっか別の場所でやってくれないか?」

 シィの瞳を見つめつつ、心の中で小さな決意をするアルは、どこか気の抜けるようなクロードのそんな声を聞いて、慌てて背筋を正した。


「いちゃいちゃ、って。別にそんな……!」

「青春っスねぇ……」

「若いっていいわねぇ」


 その傍らでは彼の仲間二人もしみじみとしながら、暖かい目を向けてきていた。アルはシィとの距離が近すぎることをそこでようやく実感すると、顔を赤くさせながら距離を取った。


「み、見ないでくださいよっ」

「目の前で始めたのはアルくん達の方っスよ」


「おっさんには眩しすぎてちょっと見てられなくなりそうだったぜ。ま、ともかく。話は済んだみたいだしな、行けるんならすぐにでも出発したい」

「あ、うん。分かったよ、準備をすぐ済ませる」


「ああ。そうしてくれ」

「わたしも、手伝う」

「うん。頼むよ」


 アルは照れ臭い気持ちもあり、足早にカウンターの奥にある自宅スペースへと逃げるように向かった。



                ◆



 シィとシェンナがアルに付いていくのを見送り、クロードは細く長い息を吐いた。


「いやはや、やっぱりあいつもまだガキんちょだな」

 そして、カウンターに肘を乗せ、どこか独り言を呟くようにして言った。


「そうよ。なんだと思ってたの?」

 それに返事を出したのは、カウンターの向こうで静かに立っていたクレアだった。


「もう少し大人びた考えができるやつかと思ってたよ」

「あの子はまだ、十六だもの」


「年相応ってところだよな。珍しいぐらい、子供だ。そこが、あいつのいい部分でもあるが」

 クロードは息を吐いた。


「ねぇ、クロード」

「ああ、大丈夫だよ。安心してくれ」

 クレアの呼びかけに、クロードはすぐに答えた。


「あいつを危険な目には遭わせないよ。仕事はきっちりしてもらうが、状況を見てこっちも判断するさ」

「そう。それならいいんだけど」


「あいつがジークさんの背中を追ってるのは分かる。でも、ジークさんとは違うよ」


 ジーク。

 ジーク・クーベルク。


 アルの父にして、クレアの夫。そして、クロードの友人だった、今はもうどこにもいない人物。


「そうね。うん、そうね」

 言い聞かせるように、クレアは繰り返した。そうしてクロードとクレアの会話は終えられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る