八十六 切り紙

 おっちょこちょいが親分の代参に出て帰ってこなかった。

「まさか預かった金を持って逐電するほどの器量もない野郎だから、途中で何かあったに違いない。探して来い」

 と親分は俺に白羽の矢を立てた。

 それで、こんな奴を見かけなかったかと尋ねながらおっちょこちょいが歩いただろう道筋を辿っていたら、ちょいちょい旅人の行方が知れなくなるという話を、泊まった宿の女中が教えてくれた。それはどの辺りか確かめて、明くる日、街道を外れた道を歩いたら、一軒の百姓家があったのでそこでまた尋ねようと思って声をかけたら、出てきた女の顔が宿の女中と顔立ちがよく似ていたのでそう言うと、それは姉だと答えて女は俺を家の中に入れた。

「これも何かの縁でございます。お茶でも飲んで休んでいかれたらよろしかろ」

 そう言って、女が茶を汲みに座を外したときに何気なく奥の間を覗いたら、神棚の下に牛を象った切り紙が三枚ぶら下がっている。茶を入れて戻ってきた女に、あの切り紙はまじないか何かか、と俺が尋ねたら、

「いいえ、まじないでもなんでもありません。近所の子供が喜びますので、手慰みに作ったもので、どこかに紛れてしまわないようにあそこに下げているだけです」

 女は笑った。

「ところで、俺の身内で行方の知れなくなったおっちょこちょいがいるんだが、どっかで見なかったか」

 改めて尋ねたら、牛の鳴く声が聞こえた。

「いいえ、この辺りは旅のお方が通るようなところでもありませんし……」

 女が答えたら、また牛の声が聞こえた。その鳴き声が何とも物悲しく聞こえて、あの牛はどうした牛か尋ねたら、

「なに、役立たずの牛で、無駄に飼っているんですよ」

 これは少しくだけた口ぶりで言って、女は口許を隠して笑い、

「それよりも冷めないうちにお茶をどうぞ」

 と勧めたから、飲んだところ変な味がしたと思ったらたちまち眠気が差して気がついたら夕日が俺の顔を照らしていた。眠り薬か何か入っていたお茶を、不覚にも飲んで睡りこけていたらしい。

 俺はそのまま眠ったふりをして女の様子を窺ったら、障子を閉めて土間で何かごそごそやっている。こっそり起きだして障子の隙間から覗いてみたら、牛の形に紙を切っている。神棚に下げた切り紙と同じで、

「何をしている」 

 俺が大きな声で言ったら、女は体で驚き振り向いた。

 とたんに聞こえた牛の鳴き声は、奥の間の切り紙の牛が発したようだった。

「切り紙、ほんの手慰み……」

 言いながら女が後ずさりすると、また牛の鳴く声が聞こえて、それがどうもおっちょこちょいが真似たような牛の声だったから、奥の間を見たら、三枚下がった右の牛が揺れている。

「もう少し寝ててくれてりゃよかったのに」

 口惜しそうに言うなり逃げ出す女の襟を掴んで引き倒したら、着物だけが残って女の姿はどこにもなかった。

 それでもその辺りをよく見ると、赤い蜘蛛が這っていた。俺がそれを踏み潰したら、奥の間で何かが落ちる音が響いてそっちを見ると、裸の男が三人、尻餅をついていた。

 一番右で尻をさすりながら罰が悪そうに笑っていたのがおっちょこちょいで、牛の鳴き真似をした。

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