八十五 人でなし

 そのとき、その方は七歳だったそうです。

 改易でお父様が浪々の身となり、お母様とおばあ様と、一家四人が落ちついた先が狭い裏長屋で、転居してすぐにおばあ様がお亡くなりになりました。

 通夜にお集まりくださった長屋の皆様がお帰りになって、深更に訪れた見知らぬ男が焼香するとすぐにおばあ様の亡骸を抱え上げて出ていったそうです。

 お父様とお母様はうつらうつらと眠っていたようで、見ていたのは七歳だったその方だけだったということですが、夜が明けて確かめるとおばあ様の亡骸はそこにあってお母様に話したところ、夢でも見たのだろうと笑われたそうです。

 明くる年、その方は高熱を発して生死の境を彷徨うほどの病に冒されました。 医者は難しい顔をして気休めのように煎じ薬を置いていきましたけれど、それで熱が下がることはありません。

 お長屋の皆様も家主様も親切なお方ばかりだったそうですが、だからと言って死にかけている子供を助ける手立てはありません。

 翌日、再訪した医者が、

「今夜が山かもしれない」

 そう御両親に告げた夜に、おばあ様の通夜に現れた男がその方の枕元に座ったそうです。そのときも、お父様とお母様はうたた寝をされていたようでした。

 朦朧としながらもその方が視線を向けたら、

「おばあ様には親切にしてもらった。だからお前を助ける。けれども、それでお前は人でなくなるが、それを決して他人に見せてはならんぞ」

 男はそう言ったそうです。

 おばあ様は厳しい人で、子供のその方にも優しい言葉をかけることはなかったそうです。しかし、曲がったことが嫌いで、穏便にことを済まそうとするお父様はずいぶん難儀されたということでした。

 この男はきっとそんなおばあ様だったから助けられたのだろう、とその方がぼんやり思ったら、その男の両手が胸の中にすうっと入ってきたように感じたとたん身体中が温かくなって、雀の鳴く声で目が覚めたら男の姿はなかったそうです。

 その方は、その日から快方に向かいすっかり元気になりました。どこか人と違うところもないまま年を重ねて身体も丈夫になりました。人でなくなる、と言われたこともいつのまにか忘れていたそうです。

 でも、あるとき、遊んでいた子供の上に崩れかかる材木の束をとっさに跳ね返したことから、並の人でなくなっていることに気がついたそうです。ただ、それが評判になって請われるままに人の力の及ばぬことに手を貸しておりましたら、却って奇異の目で見られるようになって人の世が嫌になっているということをおっしゃいました。

 その方を人でなくした御仁を探してくれと頼まれまして、本日はこれへまいりました。

 どなたかお心当たりのある方がいらっしゃったら……

 失礼しました。

 

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