六十五 畳

 再婚の口を世話した女が離縁させてほしいと言ってきた。

 はじめに妻合わせた畳職人にこの女は大切にされて幸せだったように見えていたが、子のないままに亭主に先立たれて実家に帰っていた。

 実家と言ってもすでに二親はなく、あとを継いだ兄夫婦が三人の子供を抱えて細々と暮らしていたから、女は肩身の狭い思いをしていた。それで、うまい具合に舞い込んだ再婚の口を持っていったわけで、相手の男も女房を亡くした男だったから決して悪い話ではなかったはずだ。

 何が不満なのか詳しく女に聞いてみたら、死んだ前の亭主と再婚はしないと約していたからだと言った。

 生前、おれが先に死んでも再婚はするな、と亭主が何度も言っていたそうで、そのたびに女は疎ましく感じたけれど、そのときは、

「そんな縁起でもないことを……」

 と聞き流していた。

 前の亭主が亡くなって三年経って話を持ち込んだときには、そんなことは小指の先ほども口にしなかったのにどういうことかと聞いたら、新しい亭主が家にいると何でもないが、泊まりで家を空けると夜中に怪しいことが起こる。女が一人で寝ていると、誰かに鼻をつままれたり頬をつねられたり耳を引っ張られたり、ひどいときには髪を掴まれて引きずられる。そんなことがあると、前の亭主の言葉をつい思い出してしまって心持ちが悪くなる。

「決して今の亭主が嫌いになったわけではないけれど、そういうことだから離縁を申し入れてほしい」

 と女はわしに手を合わせた。

 わしはすぐには承知せず、次に亭主が家を空けた夜にそれへ行って前夫を説き伏せようと試みた。ところが嫉妬の念は恐ろしいもので、よもすがら女は何かに髪を掴まれ引きずり回されるばかりでどうにもならなかった。

「もう、いい……」

 すっかり諦めて言う女に、わしはふと思いついて、

「この家の畳は、前夫が拵えたものではないか」

 と尋ねると、女はそこに敷かれていた畳をじっと見て、そうだと答えた。

 そこでわしは、帰ってくる二度目の亭主に畳替えをさせるように、女に言った。もちろん、女が前の亭主の嫉妬の念に取り憑かれている、などとは言えない。八卦見に観てもらったら畳を替えると運気がよくなると言われた、ということにした。

 ただ、取り払った畳をそのままにしておいては嫉妬の念は消えない。それで、畳の目を縫い針で一つひとつ突き刺すように言ったら女は驚いて二の足を踏んだけれど、

「こんなふうに死んだ亭主にいつまでも縛りつけられていいのか」

 そう言ってやったら、女は前の亭主が残した畳の目を一つひとつ突き刺しはじめた。

 女が突き刺すたびに、それらは小さな悲鳴のような音を上げた。

 ただ、その家にあったすべての畳の目をことごとく突き刺し通すには日がかかる。

 しかし、暇を見つけては女は根気よく畳の目を突き刺した。そのせいか、今の亭主が泊まりで一晩家を空けても女の身に変事は起こらなくなった。起こらなくはなったけれども、なぜか女はそれからも畳の目をずっと突き刺し続けていた。

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