五十九 鬼面石
石工をしておりましたときに、出入りしておりました寺の住職と親しくなりました。
御仏に仕える身でありながらこの住職が商い上手で、あるとき、
「小石に鬼の顔を彫ることはできるか」
と私に尋ねました。
「それぐらいは朝飯前でございますよ」
と答えましたら、
「掌に乗るぐらいの石に、なるべく恐そうな鬼の顔を彫ってもらいたい」
と宣いましたので、
「そんなものを、いったい何になさいますんで?」
伺いましたら、住職はしたたかにお笑いになって、
「誰かを怨む心、妬む心、執着心を封じるのじゃ」
要は、あっしが彫った鬼面の石に、香を薫き染めた組紐を十字に結わえてそうした心を封じ込めるものを売る、ということでございます。
「そんなもので怨みや妬みが抑えられましょうや」
と疑念を呈しましたら、
「人は皆、心に鬼を宿して生きておる。その鬼とうまくつき合うていかねば、世渡りはできぬ。それがわかっていても、堪忍袋の緒が切れてしまうのが人というもの。そのときに、この石を見て念仏を唱えれば刹那の情に押し流されずにすむ、と説き聞かせるじゃ」
そうお答えになりました。
「もし、その組紐が、たとえば擦り切れたらどうなりましょう」
「組紐はめったに切れぬ。たとい擦り切れるにしても、擦り切れる前に持参させてまたかけ直させればよい」
なるほど、それでまた懐に幾ばくかか入ってくるというわけでございますね、とは申しませんでしたが、あっしは河原で手頃な小石を幾つも拾ってきて、人が恐れるであろう鬼の顔を彫ってみせましたら、住職は喜んでかねて用意の組紐をかけて己で握るとさも満足そうに笑みをこぼしました。
それが売れていることは、その後の住職の注文からも推量できました。
ところがあるとき、
「お前さん、石に何か細工をしたか」
と住職に尋ねられました。
いくらあっしでも鬼面を刻むより他に河原の小石に細工なんぞできようはずはありません。
どうしたことか住職に聞いてみましたら、何日か前にさる武家の妻女が夫に斬りつけたときに持っていた鬼面石に何か曰くがあるのではないかとお上から問い合わせがあったということでした。住職が確かめたところ、その鬼面石が赤子の頭ほどの大きさになっていて、組紐はずたずたに切れて石にめり込んでいたそうにございます。
その一件が評判になって鬼面石は一時飛ぶように売れましたけれど、お上から目をつけられもしましたせいか、怪しからぬ石を売って民心を誑かした罪によってまもなく住職は捕らえられました。
あっしにも手が回りましたが、間一髪、逃れることができました。
それにいたしましても、もともと霊験なんぞないただの石ころを大きく膨らませてしまうほどの妻女の怨み辛みというのは、いったいどのようなものだったのでしょう。
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