五十五 膝枕
旅先で相部屋になった男の話です。
その男は、鬢に白いものの混じった実直そうな男で、材木を商っている、と挨拶をしました。
私も挨拶を返しましたら、
「夜中に何か見えましても、決して怪しまないでください」
と言って、人懐こい目で笑いました。
私が黙って頷きましたら、男はそれが気に入ったのか夕飯にもう一本お銚子をつけるように宿の者に言って、私に振る舞ってくれました。
えらく話し上手な男で、旅先で聞いた面白い話や商いにまつわる苦労話などを語って、ずいぶん私を楽しませてくれました。
夜も更けて床についてしばらく、ふと妖しい気配を感じてその男のほうを見ましたら、真っ暗な中に、浴衣を着た女の、崩した膝が見えて、それを枕に男はかすかな寝息をたてておりました。
これかと思ってよく見ましたら、見えるのは腰から下ばかりで、女の手がときどき慈しむように男の髪に触れております。長い指の先までその手は白く、でもそれは幽霊の陰気な白さではありません。
男は、寝るときには宿屋の枕を使っていたはずでしたが、それはどこにやったのか見えません。女の膝枕でただ眠っているばかりで、寝返りをうちましても女の膝がそれを助けるように動きます。
一番鶏の声が聞こえて女の膝が消えるまで私は眺めていました。
男もそれで目覚めたのか、宿屋の枕の上でうっすらと目を開けて私を見ました。
「出ましたでしょ」
照れたように男が笑いましたから、私はやっぱり黙って頷きました。
「はじめのうちは驚いて八卦見なんぞにも観てもらって、このままでは執り殺されてしまうなんて脅されましたからお祓いもしたんですが、一向消えてくれません。でも、まあ、よくよく考えてみると、若いころに道を外した私を助けてくれた女で頼みもしないのによく膝枕をしてくれました。それを死なせてしまったのも私でしたから、これは執り殺されてもどうなっても仕方ないと思いましてね。そう心に決めて働いておりますと、どうしたものか商いもうまく回るようになりました。ただ、そんなことですから、いくら勧められても女房は持ちませんでした……」
聞きもしないことを男は一通り語って起きると、あとは朝飯もそこそこに先に発ってしまいました。
それから何年か経ってその宿にまた泊まって寝ておりましたら誰かが部屋に入ってきましたので、真っ暗な中、半身を起こしてそっちを見ましたら、材木を商っているというその男が膝を揃えて座っております。隣には、膝を崩して座っている、浴衣姿の女がいます。腰から下は、やっぱり私には見えません。
「近頃になって、ようやく執り殺してくれましたよ」
私に言って、男は女の膝に頭を乗せると気持ちよさそうに眠り始めました。
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