四十四 暮れ六つ
いつのころからか、暮れ六つの鐘の音が聞こえると、姿を現す若い男の幽霊があった。
街道から脇にそれる道の分かれ目にある小さな道祖神の背中にもたれかかるようにしゃがみこむ。
人には見えないから、はじめは俺も見えないふりをしていたけれど、あるとき、見える者があってそれが幽霊に話しかけるところに行き合わせたことがあった。
声をかけたのは、脇差しだけを差した初老の男で、声をかけられた幽霊が顔を上げたら、はっとして、
「お前、死んでいたのか」
と少し驚いたように言った。
けれども幽霊はその男の顔を見てもぼんやりしている。
初老の男は、わしだわしだとしきりに名乗ったけれど、幽霊が視線をそらせたら、暮れ六つの鐘が鳴り始めた。
幽霊は恍惚とそれに聞き入るばかりで、初老の男などはじめからいなかったかのような顔をしている。
それでも初老の男は道祖神の傍らにしゃがんで、
「あれからどうしていたんだ?」
と尋ねるが幽霊は答えない。
何があったんだ? ここでお前は死んだのか? 何か言ってくれ……
初老の男が問いかける姿は、おかしな言いようになるが、気づいてもらえないのに生きている人に向かって幽霊がしきりに話しかけているかのようだった。
そのうち、暮れ六つの鐘が鳴り終わって幽霊は姿を消した。
翌日、同じ頃合いに初老の男は若い女を連れて道祖神の前に来た。
鐘が鳴る前に現れた幽霊に、
「覚えているか?」
と己の後ろに立たせた女を指さしたが、やっぱり幽霊はそんな女など見えないように、鳴り始めた鐘の音に耳を傾けた。
初老の男は女に、
「見えるか?」
と尋ねたけれど、女は首を横に振った。それでも、鐘が鳴っている間に女は幽霊にいろいろ話しかけていた。
鐘が鳴り終わって、昨日と同じように幽霊が姿を消して、
「もういなくなった」
と初老の男が声をかけるまで、女は己には見えない幽霊にずっと話しかけていた。
それから三日経って、初老の男は、その暮れ六つの鐘を突いている寺から坊主を連れてきて法要をさせた。しかし、その日も幽霊は現れた。
初老の男が、
「成仏できないのか?」
と問うたら幽霊は、しばらくしてから、
「どうでもいいや」
と独り言のように呟いた。
それきり初老の男は来なくなったけれど、女は毎日道祖神の前にしゃがんで、見えない幽霊と暮れ六つの鐘の音を聞いていた。
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