二十七 涙貝

 私は、長く貝殻を商うておりました。

 打ち身や切り傷の塗り薬を入れる貝殻で、得意先は薬売り。蝦蟇の油売りにも卸していましたが、まれに、大名家お出入りの蒔絵師にまとめて卸すこともありました。

 もちろん、どちら様に関わらず、喜ばれるのは、傷もなければ欠けてもいない貝殻ですが、殊に蒔絵師が求めますのは、お大名のお姫様の遊びごと、貝合わせ、と言うのですか、その遊び道具になる貝殻で、きれいな上に大きさも揃っていなければ、まとめて買ってはくれませんでした。

 それに、蒔絵師からはいつ注文があるかわかりません。ですから、そんな貝を見逃さないように、薬入れとなる貝を買いに回っているときも気をつけていました。

 そんな苦労をして収めた貝に、

「曰く因縁のある貝は困る」

 と蒔絵師から文句をつけられたことがありました。

 蒔絵師が細工を施している間には不思議なことはまるでなかったそうで、さるお大名にお収めして、さて、お姫様がお遊びなさろうと広げてみたら、中の一つに水が溜まっていたということでした。

 お大名から呼び出されて詰問されて、平身低頭持ち帰って調べてみても変わったところはなく、ただ、数日すると、確かにわずかばかり水が溜まる貝殻が一つある。他にそのようなものはないとのことなので、これはきっと仕入れた貝に何かあるのではないかと思い、私に苦情を持ち込んできたようでした。

 私もその貝を見て、しばらく預からせてほしいと言って一晩置いてみましたら、確かにわずかに水が溜まります。

 それから、蒔絵師に収めた貝殻を買ったところを歩いて回ると、貝になった女の言い伝えが残っているところがありました。

 死罪となった盗賊の娘が、世間から責められ、末を誓った人からも捨てられて、こんなことなら深い海の底でひっそり暮らす貝になりたい、と願って海に飛び込んだという話でした。

 人が貝になることなどあり得ません。

 でも、改めて蒔絵師を訪れて、

「信じられないことかもしれませんが、この貝殻に溜まる水は、世間に責められ、愛しい人にも去られた、罪人の娘が貝になって流した涙かもしれません」

 と申し上げましたら、

「そのような戯けたことが……」

 と言いかけて、何か思いついたのか、蒔絵師はしばらく思案を巡らせる顔を見せてから、

「いや、それは罪人の娘ではない。やんごとなきお方のお心を失ったお姫様が、海に身を投げて姿を変えた貝に相違ない。貝に溜まるのは、そのお姫様の涙じゃ」

 と言って、

「奈良は猿沢池の畔に建つ采女のお社は、帝の御寵愛を失って池に身を投げた采女の霊を慰めるために建てられたもので、このお社が一夜にして池に背を向けたという言い伝えもある」

 これは己を得心させるかのように口にして、

「よいな」

 と私に向かって念を押すように言いました。

 その貝殻がまだお大名家にあって涙を溜めているか否やは存じません。

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