二十六 長頭尼

 長頭尼、という尼僧が、近くの寺におりました。

 その寺は、元々、何とかという皇后が創建されたという由緒ある尼寺だったということでしたけれど、何年か前に押し込みが入って、庵主さんをはじめ、そこに御座った三人の尼さんもその身を汚され、金も命も奪われたそうでございます。

 数年、無住の荒れ寺となっておりましたその寺に、いつのころからか、身丈は五尺に満たぬのに、頭は三尺あまりという尼さんが住まうようになりました。

 よんどころないお血筋だというお話でしたが、自ら長頭尼と称する異形の尼僧に近隣の者は近づこうとはいたしませんでした。ただ、どうしたわけか子供らには好かれるようになって、それからその親どもも寺に出入りするようになりました。

 その親の一人から頼まれて、わたくしは長頭尼にお仕えするようになりました。

 お寺の御本尊は、鯰観音。押し込みに入られる前は、眉目のよい聖観音を御本尊としておりましたが、それも盗まれておりましたから、この長頭尼が持仏を本尊に据えたというわけでございます。その鯰観音、鯰のようなお髭を二本、横に長く伸ばして、お顔も鯰を思わせるように丸く、口は大きゅうございました。

「馬頭観音や魚籃観音など、世に知れた変わり観音は少なくありませんが、鯰の観音様は他におられませぬ」

 とは、長頭尼の口癖でした。

 ある日の暮れ方、閉門してすぐに、着の身着のままといった女が、二人の女の子の手を引いて門を叩きました。すぐにわたくしが出ましたら、亭主の乱暴に堪えかねて逃げてきた、と早口で申します。それを聞き終える間もなく背後から、女を追う男の胴間声が聞こえてまいりました。わたくしが親子を中に入れて門を閉めて閂を掛けましたら、男は門を叩いて開けろ開けろとしばらく怒鳴っておりました。

 それに気づいて駆けつけた長頭尼が、わたくしに早く親子を匿うようにおっしゃっいましたから、わたくしは庫裡へ回って竃の陰で動かぬように母娘に言って長頭尼の下へ戻りました。長頭尼は、いつのまに持ってこられたのか、御本尊の鯰観音を胸に抱いて門の前におわします。

 外の男は、開けろ開けろと怒鳴りながら、叩き割ろうかという勢いで門を叩いておりましたが、

「今、開けます」

 高い声でおっしゃると、本堂の前まで下がって長頭尼が目配せをなさいましたから、わたくしは閂を外しました。とたんに乱暴に門扉を蹴って入ってきた男に、鯰観音を胸に抱いた、頭の大きな長頭尼が微笑みましたから、男は一瞬息を飲んでその場に立ち尽くしました。

 けれど、

「化け物め、女房を返せ。ここに逃げ込んでいるのはわかっているんだ」

 と凄みました。

 それを長頭尼は鼻で笑って、

「鯰観音の法力を知りたいか」

 とおっしゃいましたから、頭に血の上った男が長頭尼の喉に手をかけようとしたとたんに、左右の地面から黒く長い髭のようなものが伸びてきたかと見る間に、男の両の手首を捕らえて宙空に持ち上げました。瞬時、何が起こったのかわからないといった表情を見せた男の足下に、今度は地面が大きく裂けて穴が開き、その中に、二本の髭が男を投げ入れました。

 すぐに外に誰もいないことを確かめて、わたくしが門を閉じて閂を掛けましたから、それが世間に漏れることはありませんでした。

 逃げてきた母娘は、しばらく寺で過ごしてから、男のいなくなった家に帰りました。

 それで、駆け込み寺として知られるようになり、何人も女が救いを求めてくるようになりました。

 ただ、大地震があったときに大地が大きく裂けて、長頭尼は寺ごと地中に呑み込まれてしまって、それきりその亡骸も見つかりませんでした。

 もちろん、鯰観音の行方も知れません。

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