二十五 獄門首

 同業に、博識多芸、踊りもうまいし浄瑠璃を語らせても絶品、声色も使えば即興で落とし噺も創ってしまうという、座持ちのいい太鼓持ちがおりました。けれども、評判はよくありませんでした。

 幇間仲間で呑みにいく、なんてことはめったにないことでしたけれども、どこをどう気に入ってくれたのか、その太鼓持ちは私をよく酒に誘ってくれました。

 そんなときに、

「贔屓の旦那衆にかわいがられて芸者衆の受けもいいけれど、あいつほど芸のない太鼓持ちはいない。まったく、見る目のない奴らばかりでうんざりだ」

 と別の太鼓持ちをけなします。

 同業ばかりではありません。売れっ子の芸者でも、

「しょせんはちょいときれいだ、容子がいいってだけで、芸がない。せめて俺ぐらいの芸がなけりゃ、芸者は名乗れねえよ」

 と難じなます。

 贔屓にしてくださっている若旦那のことも、

「まったく世の中ってもんをなめているよ。あのままお店を継いだって、すぐに潰してしまう。太鼓判を押してやるよ」

 と切って捨てるように言って大仰に笑っては酒をあおります。

 そうやって、人を悪く言うことでお座敷も盛り上げてはいるようでしたが、ある晩、その太鼓持ちがたいそう怒って座敷を途中で立って帰っていったことがありました。

 私は、他の座敷に出ておりましたから、あとからその話を耳にいたしまして、懇意にしております芸者にその話を聞きましたら、

「ちょいとお灸を据えてやったのよ」

 と実に気持ちよさそうに言いました。

 他の旦那の座敷でその太鼓持ちに悪口を言われた若旦那が、同じようにけなされた芸者と太鼓持ちを座敷に揃えて、

「芸のない太鼓持ちってのは、あっしのことですかい?」

「ちょいときれいで容子がいいってだけの芸者ってのは、どこの芸者なんです?」

「世の中ってもんをなめて、店を潰す間抜けな若旦那ってのは、誰だ?」

 と詰め寄ったそうで、それでも何とか言い逃れようとするそいつに、

「『太鼓持ちあげての末の太鼓持ち』とはよく言ったもんだ。若旦那だったころがいつまでも忘れられないで、人を小馬鹿にしては己がどれだけすばらしいかなんてことを周囲に見せようって、そのひん曲がった根性が鼻についてどうしようもないんだよ」

 と皆で散々笑い飛ばしたということでした。

 話をしてくれた芸者の傍らに、年季を積んだ幇間がやってまいりまして、

「わしらの商売、しっかり人が見えてなけりゃ務まらねえ」

 しんみりとそう言ったのが、忘れられません。

 半月ほどして、面子を潰してくれたその若旦那と芸者が連れ立って茶屋から出てきたところを待ち伏せて、二人を刺し殺して行方をくらました幇間と私が巡り会いましたのは、それから十年は経っていたでしょうか。

 真夜中、人の絶えた刑場の側を通りかかりましたおり、

「どいつもこいつも、見る目のねえくずばかりだ……」

 と聞こえてまいりました声に私が目を向けましたとたんに大仰に笑いましたのが、獄門台に乗っていた、あの太鼓持ちの首でした。

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