二十三 幽霊旅籠

 私が番頭を務めておりました旅籠を夜遅くに訪れた女連れの商人を出迎えた女中が、二人分の漱ぎを用意いたしましたところ、その商人が怪訝な顔を見せました。

「こちらは、お連れの方の……」

 と女中が言って漱ぎの盥の一つを差し出すと、とたんに商人は顔を強張らせて振り向きましたけれど、

「連れなどない」

 と恐ろしげな声で言いました。

 でも、その後ろに、ずっぷりと濡れて髪を乱した女が立っています。

 私同様、こうしたものが見える女中でございますから、

「ああ、さようでございますか」

 と澄ました顔で後ろの女を手招きして商人の隣に座らせて、手拭で丁寧に髪を拭いて足も洗ってやりました。

 洗足もそこそこに逃げるように立ち上がった商人を、私が二階に案内しましたら、すぐに酒を持ってこいと言いました。階下に降りて女中に、

「あとで見にいってみようか?」

 私が聞きましたら、女中は女の髪を梳きながら、

「早い方がいいと思います」

 と答えましたから、私は酒と肴を二階の商人に持っていくよう他の女中に言つけて、すぐに闇夜の河原に出て確かめましたら、浅瀬に女が俯せに沈んでおりました。

 抱えて顔を見ましたら、さっきの幽霊の女に違いありません。

 それを私が担いで旅籠に戻りましてこれを帳場の裏の小部屋に寝かせましたら、その幽霊が枕元にしょんぼり座りました。それへ女中が来て、

「二階のお客さん、寒いからって、今、風呂に行きました」

 と申しまして先に立って二階に上がりましたから、私は女の骸を背負ってそれについていき、女中が敷いた布団に女を寝かせました。

 しばらくして風呂から上がった男が悲鳴を上げて、

「番頭! 番頭!」

 と大声で呼びましたから、私が馳せ参じましたところ、死人を指さして、

「こ、これはどういうことか」

 と声を震わせながら言いましたので、

「お連れの方で……」

 と当たり前のように返しましたら、寝ていた女が起き上がって、

「ひどいじゃありませんか」

 と商人に言いました。商人は魂消て大声を発しながら二階から転げ落ちるように下りて、それでも旅籠を飛び出して逃げていきましたけれど、女の幽霊がその背中に抱きついて、

「どこまでも離れないよ」

 と囁いていました。

 翌朝になって、その商人の屍骸が河原にあるのを見つけて私はその隣に女の亡骸を並べておいて、お役人に届けました。

 旅籠の女将さんからは、

「また宿賃を取りはぐれたじゃないか」

 と叱られました。

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