十八 魔童

 二人の若侍を伴って、若君がお忍びで外に出られたことがあった。ただ、若君と言ってもまだ六歳の子供で、道端で独楽回しに興じる三人の子供らを見つけて近づくと、そこで一段力強く回る独楽に惹かれた。それで、その独楽を差し出させるように若君が供侍に命じたが、

「その独楽を、若君が所望じゃ。差し出せ」

 という言葉がまったく聞こえないように、子供らは独楽を回していた。

 ならば仕方ない、と供侍が唸りを上げて回る独楽を取り上げようとしたら、子供は独楽を回す紐でその手を鞭のように叩いた。

 叩かれた供侍が激高して、叩いたその子供の胸ぐらを掴み上げたら、その子は両の袂から一つずつ独楽を取り出した。

「若君の所望は、今、そこで回っておる独楽じゃ」

 という供侍の言葉が終わらぬうちに、子供は左右の手に持った独楽の軸の先を、その侍の両の耳の穴に突き入れた。

 悲鳴を上げて掴んでいた子供の胸ぐらを突き放した供侍は、両耳を押さえてそれへしゃがみ込んだ。その隙に、子供らはめいめい己の独楽を拾い上げ、おのおの勝手な方へ駆け出した。もう一人の供侍が慌てて同輩の元に駆け寄ると、

「早く、あの小童を追え」

 耳から血を流し痛みを堪えながらも供侍が言ったので、そいつは若君を置いて同輩の耳を刺した子供を追った。

 人だかりがして、どうしてよいかわからなくなった若君が泣きだしそうになったところへ、一度逃げた子供の一人が帰ってきて、

「とにかく、お医者を呼ばなきゃ」

 と若君の手を取って集まった野次馬の間を抜けて連れ出したのは、人影もまばらな小川のほとりに生えた柳の陰で、そこから誰にも見られていないことを確かめると、えい、と若君を川に突き落として走って逃げた。

 両耳を破られて七転八倒する侍は、それでもいつのまにか若君の姿が見えなくなっていることに気がついて、しきりに若君を呼ばわったけれど返事は得らなかった。それでその供侍が、誰か屋敷に急を知らせてくれ、と集まった野次馬に懇願したら、いつのまに戻ったのか、独楽を刺した子供と一緒に逃げたもう一人の子供が、

「おじちゃん、さっきはごめんよ。おいらが代わりに知らせてくるよ」

 と言って走りだしたから、誰もそれで知らせがいくものだと思ったけれど、知らせに走ったはずの子供は再び姿を消して、誰も迎えにこなかった。

 いつまでも帰らぬ若君の身を案じて五、六人の侍が駆けつけたときには、その辺りに耳を傷つけられた供侍も、刺して逃げた子供を追った侍もいなかった。もちろん、川に突き落とされた若君の姿もない。

 それでも、若君は川で溺れかけているところを助け出されて、独楽の軸で耳を突かれた供侍は戸板に乗せられ近くの町医者に運び込まれていた。二人は、夜になって密かに駕籠で屋敷に連れ戻された。同役の耳を破った子供を追いかけた供侍は、翌朝、屋敷の近くをふらふら歩いているところを見つけられた。

 その若君の父親でもある主君の下で、表には出せないいざこざに始末をつける役を担っていた私がその子供らの行方を追ったら、二人の子供はそれぞれどこの子かすぐにわかったけれど、二人ともそのときのことはまったく覚えていないようだった。

 供侍の耳に独楽の軸を刺した子供が住んでいた貧乏長屋を見つけて訪ねたときには、その父親と思しき浪人の遺骸が、粗末な仏壇の前で刀を抱いて座っているばかりで、刺した子供の行方は結局知れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る