九 鮒侍

 昔は、腰抜けの田舎者を、鮒、と蔑んだそうでございます。

 陸奥のどこやらからお出でになったというその若いお侍は、わたくしが中居をしておりました川魚を専らとする料理屋に、同輩と思しき三、四人連れで何度か来ていました。

 若侍は、同輩らから、想いを寄せる娘に袖にされたことやら昔の失態やらを、何度も酒の肴にされて笑われても、怒るどころか、

「いやはや……」

 などと、自ら額を叩いて調子を合わせておりました。ですから、同輩どもはますます若侍を莫迦にしておりました。

 ある晩、帰りがけに人気のない川端を通りかかりましたら、その侍が二人の浪人者に因縁をつけられているところに出くわしました。

 少し離れた物陰から隠れて見ても、辻斬りや追いはぎを生業としていそうな、いやな気配をまとった二人でございます。それが、若い侍の衣服、立ち居、言葉遣いから、

「鮒侍か」

 と一言吐き捨てると、次に合力を求めました。強請です。

 若侍は、

「持ち合わせがございませんので」

 と平身低頭しておりましたが、その様子に相手は嵩にかかって、

「あるだけ出せ」

 と申しました。

「いや、もう誠にお恥ずかしい次第で……」

 などと言いながら、その若侍は周囲に眼を配ると、反り返った一人の脇差しを抜く手も見せずにそいつの腹に突き立てました。あっ、と驚いたもう一人が刀の柄にかけた手もすばやく押さえて、やはりそいつの脇差しを抜いてその腹に突き入れました。悶絶する二人の背後に回り込んで足を蹴って座らせますと、己の太刀を抜いて若侍は、手も無く二人の首を切り落としてしまいました。

 若侍は、首を刎ねた一人の着物の袖で己の太刀を拭って鞘に収めると、近くの番屋に立ち寄って、腹を切った浪人者に介錯を頼まれた、と告げると、それでもう義理を果たしたかのように立ち去ろうとしました。そのおり、尋ねられて答えた名前もところも藩名も、偽りだったようでした。

 番屋を出たその侍に、たまたま通り合わせたような顔をしてわたくしが呼びかけましたら、はじめは誰だかわからなかったようでした。でも、

「いつも御贔屓にしてくださり……」

 と挨拶をいたしましたら、すぐに思い出してくれました。

 そのとき、袖に血がついていることを申し上げると、気持ちがまだ高ぶっていたのでしょう。先ほどの顛末を、番屋に届けた偽りではない経緯を語ってくれました。

 それで、

「それほどお強いのに、いつもはどうしてあんなに御自分を蔑んでおられるのですか」

 伺いましたら、

「あれで、相手がどんな奴かよくわかる」

 そう言って、若侍は淋しげに笑いましたから、わたくしがその顔を覗きこみますと、

「おれは、川魚を扱う料理屋で泥臭いことをやって人を試している鮒侍だ」

 ひとりごちるように言いましたから、

「うちは泥臭い料理は出しておりません」

 答えましたら、若侍は声をあげて笑いました。

 そのうち、お仲間の一人が店にお見えにならなくなりましたので、

「お国元へお帰りになったのですか」

 と伺いましたら、若侍は、

「目の前で腹を切ったので、介錯してやった」

 澄ました顔で言いました。

 

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