四 火事場

 火事と喧嘩が華というところでございますから、あっしら火消しの出番は少なくありませんでした。

 ただ、火事場に駆けつけますと、怪しいものに魅入られることがあります。

 たとえば、大火事になって皆が逃げ惑う中、喧嘩が始まります。

 あっしら町火消しと大名火消しが火事場を争って小競り合いを演じるぐらいは、特にどうということはありません。どっちがどうでも、一番の役目は双方わかっておりますから。

 もちろん、それとは別に我れ先に逃げる者どもが言い争うということもございますが、気をつけなければならないのは、あっしらの行く手ですでに始まっている喧嘩でございます。うっかりこれに気を取られて、早く逃げろ、などと間に入っているうちに、たちまち火の勢いが増して、次の瞬間には喧嘩をしていた野郎たちの姿が見えなくなって、こっちが煙に巻かれてしまっている、ということにもなります。

 ……いいえ、決して洒落を申し上げたわけではなく、ほんとうに命に関わる大事でございます。

 しかし、たいがいは年期を積んだ仲間が気づきます。それに引っかかった間抜けも、一喝されて正気を取り戻します。

 いちばん恐ろしいのは、逃げる人たちの中でしゃがんで泣いている女の子です。親とはぐれたのか、などと声をかけておぶった奴が、消し終わってから焼け死んで見つかることが幾度かありました。にもかかわらず、その辺りにそんな女の子の亡骸などは見つかりません。身体を張った火消しに命を助けられた女の子がいた、という話も出てきません。

 ひょっとすると、それも火事場の喧嘩と同じ類いではないかと火消しの間では噂されましたけれど、それを確かめた者もおりません。と言って、目の前で泣いている女の子をそうと決めつけて見捨てていけるはずもありません。ですから、命知らずの火消しの中にも、火事場で泣いている女の子を見かけませんように、と冗談半分で口にする者もいたぐらいです。

 そんなときに、あっしが火事場でその女の子を見つけてしまいました。

 夜中、火の粉が舞い飛ぶ暗がりでしゃがんで泣いている女の子を目にして、ああ、これか、と一瞬思いましたが、それでも、親にはぐれたのか、と声をかけて背負って立ち上がろうとしたところ、子供とは思えぬほどに重くなって、とっさに振り落とそうとしましたけれど、落ちません。

 そのまま火に巻かれて焼け死ぬような身体はしておりませんが、それでも地面にめり込んでしまうのではないかと危惧しましたから、右手に握ったままの鳶口で、そいつの背中を突きました。背中のそれは短い悲鳴を上げて少し軽くなりましたから、あっしは二度三度と鳶口で突き刺し仰向けに倒れ込むとすぐに横様に転がりました。それでそいつはあっしの背中から離れましたけれど、鳶口でとどめを刺そうといたしましたら、たちまち姿が見えなくなりました。

 今までは、正体のわからぬ魔物だと思いこんでいましたが、ここでお話をしておりますうちに、あっしの背中に必死にしがみついていた女の子は、火事場で親とはぐれて心底怖かったんだろうと、ふと思いました。

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