三 髪

 わたしが稽古に通っておりました常磐津の師匠が、

「旦那が浮気をしなくなった」

 と機嫌よさそうに言いましたから、一緒に稽古をしておりました太物問屋の娘が、

「どうなさったんですか」

 と聞きましたら、

「うちの旦那の浮気、何とかならないかって、近所に越してきた女髪結いに話したら……」

 と言って、懐から師匠は守り袋を取り出すと、

「これにね、旦那の髪を縫いつけてもらったんだよ」

 わたしどもの顔を交互に見ながら、

「もう一つ、おんなじ守り袋にあたしの髪を縫いつけて旦那に持たせると、浮気ができなくなる」

 と愉しそうに笑いました。

「だったらあたしも」

 太物問屋の娘も、好いた男が浮気をしないようにその女髪結いに頼んだら、

「どこでもいいから二人でお参りに行って、お守りを買い揃える。それに、それぞれの髪を添えて一晩私に預けなさい。あとはあんたの髪を縫いつけたお守り袋を相手の男に渡すだけでいい。ただ、男が肌身離さぬように、財布か紙入れなんかに入れさせておかなければいけないよ」

 と言われたそうで、そうしたら、男はほんとうに他の女にもてなくなった……

 岡場所の女にもも相手にされなくなったようだと、半月ほど経って娘も言いました。

 ところが、それからまた半月ほどして、旦那がその守り袋を叩き返して二度と会ってくれなくなった、と稽古を終えて師匠が歎きました。これには太物問屋の娘も驚いて、どういうことかと師匠に尋ねましたら、守り袋から髪の毛が出てきて、相手の女の首を絞める、というようなことを旦那は言ったそうです。

 浮気相手と寝ていて旦那はずっと気づかなかったという話でしたけれど、たまたま厠に立ったおりに、女が何十本という髪に首を絞められいるのを目にして、解きほどこうと髪の元を手繰ったら、それが守り袋から出ていたそうで、明くる日、すぐに旦那が飛んできて別れ話を切り出したということでした。

 それを聞いて娘は男から守り袋を返してもらうと、すぐに燃やしてその灰を、買った神社の境内の隅にこっそり埋めたそうです。それからしばらくして、その男とは別に縁談が持ち上がったので、男と別れて己の手許に置いていた守り袋も娘は焼き捨てました。けれども、祝言を挙げたその夜に、どこからかざわざわと髪が伸びてきて、娘の首を絞めたそうです。

 まだ夜の明けぬうちに、娘はわたしのところに駆け込んできました。夜を待って伸びてきた髪の元をわたしがたどりましたところ、それはあの女髪結いの家から出ていました。わたしが中に飛び込みましたら、そこには行灯の灯に黒々と映ってわだかまる髪の塊があるばかりでございます。その髪の塊を掴みますと、それはわたしの首に巻きついてきました。それでも、行灯の火を取ってそれへわたしがつけようとしましたら、たちまち髪はずるりと火から逃れると、髪結い女の身体を現しました。ただ、女は白目を剥いて気を失っておりましたから、わたしは髪結いの道具箱から挟みを取り出し、その髪をばっさり切りました。それで髪はすっかり動かなくなりました。

 わたしが娘のところへ確かめに行きますと、あの忌まわしい髪はまったくなくなっていましたので、とんぼがえりに戻りましたが、髪結い女は散乱した髪を残して姿を消していました。

 娘は、

「おかげで髪にわずらわされることはなくなった」

 と喜んでわたしに礼を言って帰る道筋で、捨てた男に刺されて死んでしまいました。

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