♠『本人が一番悔しかったと思いますよ』
平坂に「先に行っててー」と言われて、とにもかくにもぼくと古塚先輩は奥へと進んだ。
「稲見さんもここを走りましたか?」
園路の中程で古塚さんがそう尋ねてきた。
「もちろん。東高生ですから」
市内有数の観光スポットたる蓮華寺池公園だが、東高生にとってはどちらかと言えば地獄のマラソンコースというイメージが強い。
「入学したての頃に四周走らされたときは死ぬかと思いました」
「体育はあまり好きじゃなさそうですね」
「松野さんとは正反対の文化系人間ですから」
「確かに。あの人とは違って、人の気持ちを察することができる優しい人みたいですね」
「優しくないんですか、松野さん」
思わず聞き返すと、小塚先輩はふふっと笑ってこう言った。
「そうは言いませんけど『俺が、俺が』と自己主張の強い人だから。オリンピック選手に選ばれそうになったときも『絶対お前をオリンピックに連れて行ってやる』なんて息巻いてて。そりゃあ、嬉しくないと言えば嘘になりますけどね。そういう“お姫”扱いも過ぎれば及ばず、ですよ」
「でも……そうだとしたら残念でしたね」
「本人が一番悔しかったと思いますよ。あの頃にはもう随分膝を悪くしていたそうですし、次はないってことは本人が一番よくわかっていたはずです。でも私が一番悔しいのは――」
「え?」
「いえ。それより稲見さん、ご家族は?」
「父母とそれに兄がひとり。古塚先輩は?」
「うちは大家族よ。パパとママ、上のお兄ちゃん、下のお兄ちゃん、妹。それに、ええ。ちょっと前まではおじいちゃんも。大分ボケが進んでたけど、体だけは元気だったから、心不全で急死したときは悲しさよりも驚きが先に来たものだわ」
そう言って古塚先輩は車椅子を止めた。
「おじいちゃん、今度のオリンピックを楽しみにしてたのよ。延期にならなくても間に合いはしなかったけど……残念ではあるわね」
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