第16話 素直な気持ち
風岡さんは携帯の画面に夢中でこちらには気づいていない。俺は床に落ちた携帯を拾った。
どういうことだ。どうして風岡さんがこの時間にここにいるんだ。
突然に彼女が現れたことで俺の思考回路はオーバーヒートしかけていた。携帯を開き結城にメールを送る。
『いま隣に風岡さんがいる』
今の状況をそのまま伝える。送信してから気がついたが、結城には彼女の名前を言っていなかった。携帯が振動する。
『そうか、ちゃんと合流できたんだな。あとは頑張れよ』
「は?」
俺の口から素っ頓狂な声が出る。自分で聞いて恥ずかしくなる。
結城はあたかも風岡さんが来ることを知っていたかのような口ぶりだ。だがそんなはずはない。結城と風岡さんの接点はどこにもないはずだ。いったい何が起こっている。
横目で隣を窺うと、風岡さんも俺を見ていたようで目が合う。
一度目が合ってしまえば気づいていないふりをするわけにもいかない。俺たちは向き合った。
風岡さんは居心地が悪そうに軸足を変える。とりあえず話をしよう。そう思って鞄に手を入れるがスケッチブックは持ってきていなかった。風岡さんはスケッチブックを出す気配はない。
どうしたものかと困り果てていると、再び携帯が振動した。携帯を開く。
『これ花音のメアドな』
メールには1つのメールアドレスが書かれていた。
花音。風岡さんの下の名前だ。
いろいろと不可解なことはあったが、いまそれを後に回して風岡さんにメールを送った。
『村瀬祐一です。友人からアドレスを教えてもらいました。お久しぶりです』
風岡さんは携帯を取り出し開くと、俺を見た。そして手を動かす。
『お久しぶりです。風岡花音です』
返ってきたのはそれだけだった。気にせずそれに返信する。
『今日はどうしてここに? 俺は友人と会う約束をしたんですが、そいつが遅れてるっぽくて』
少し間があり返事が届く。それを見て、欠けたパズルのピースを見つけたような気になた。
『兄に誘われて来たんですが、さっき遅れると連絡があって……』
俺は友人に誘われ、風岡さんは兄に誘われて俺たちはここで再会した。偶然と言ってしまえばそれまでだが、第三者が意図的にいまの状況を生み出した気がしてならなかった。ふと頭に浮かんだ仮説を確かめるべくメールを送る。
『話は変わるんですが、結城昴って人を知ってますか?』
返事はすぐに返ってきた。
『兄と知り合いなんですか?』
『大学でよく話したりしてます』
俺は確信を得た。この状況をセッティングしたのは、俺の友人であり風岡さんの兄である結城昴だ。そもそも風岡さんとのことを知っているのは俺の周りでは結城だけだから、なんとなくそうじゃないかとは思っていた。それでもすぐに確信を持てなかったのは、二人の苗字が違っているからだ。結城という苗字は大学でもそう呼ばれるため間違いなのではない。ならば風岡という苗字は、彼女が名乗った偽名なのか?
答えは彼女が教えてくれた。
『そうなんですね。幼い頃に父と母が離婚して、それで苗字が違うんです。でも仲が悪いわけじゃなくていまでもよく連絡を取ったりしてるんです』
なるほどそういうことか。俺の想像は杞憂に終わった。
最初より人の数が増えてきた。このまま立っていては疲れるし、周りの人の通行の邪魔にもなりかねない。『少し座りませんか?』とソファを指さすと、風岡さんは頷いた。
ソファの端に二人分の空きを見つけ、俺たちは腰を下ろした。スペースにあまり余裕がなく、座ると肩が触れ合った。俺はできる限り端に身体を寄せる。
ここからが正念場だ。俺は大きく息を吸い込んだ。
『話したいことがあるんですがいいですか?』
風岡さんは携帯の画面を確認したが、返事を返す気配はなかった。沈黙を肯定と受け取り俺は続けた。
『この前、最後に風岡さんと会ったときに、俺の近くに一人の女性がいたと思います。覚えていますか? その女性は俺の昔付き合っていた彼女です。中学三年から高校生一年の間付き合っていて、あのとき別れて以来四年ぶりに顔を合わせました。それで少し過去を懐かしんだというか話をしたんです。俺と彼女の間にはそれだけです』
『……昔の彼女をバイクの後ろに乗せたりするものなんですか? 私にはそうとは思えません』
なぜそのことを知っている。顔に表れてたいのか、続けてメールが届く。
『見てたんです。車の助手席から。信号で止まっていると隣にバイクがやって来て。運転しているのが祐一さんだということは服を見ればわかりました。あのとき映画館の中で着ていた服と同じでしたから』
見られていた。あのとき感じた既視感は風岡さんの迎えの車からだったのか。
『いや、あのときは彼女が迎えがなくて困ってたから。そんなに時間がかかるわけじゃないしどうせならって思って』
『でしたらタクシーなりなんなりと方法はありますよね。それなのにわざわざそうしたってことは、どこかでそういう思いがあったということではないんですか?』
風岡さんはどこか俺を責めるようだった。
彼女の言うとおり、他にもやりようはいろいろあった。それこそあのとき花園が言ったとおりタクシーを使うのが一番正しかったように思う。けれどそうしなかったのは、あの瞬間俺の中で花園に対する気持ちに整理がついていなかったからだ。だからあんなことをしたんだと思う。それこそが俺の落ち度だ。
もう隠していることはできない。何かを隠そうとすると必ずどこかで綻びが生じる。俺は全てを隠さずに話すことを決めた。
『たしかにあのときはそうした思いがあったかもしれません。自分でもわかっていなかったんです。だからあんなことをしてしまったのかもしれません』
『いまは違うと言うんですか』
『はい。いまは違います。
数日前に彼女と会って直接話をしました。話をするまでは自分のなかで彼女のことをどう思っているのか分かっていませんでした。そんなふうになってしまったのも、彼女と別れたときのことが関係していて、その時に納得のいかない別れかたをしてしまったんです。そのせいでつい最近まで未練というか、もやもやした思いがずっと彼女に対してあったんです。それでその気持ちに決着をつけるために彼女と話をしました。
そして俺たちは切るに切れていないままだった思いにしっかりと区切りをつけたんです。彼女とはもう別れました』
涌いてくる言葉を、伝えたいと思ったことをそのまま文字に起こす。
風岡さんから返ってきた言葉は冷たかった。
『それで、それが私とどういう関係があるんですか? あなたがその方とどうなろうと私には何の関係もない話だとは思いませんか』
『関係はあります。あなたのことが好きだからです』
俺が風岡さんの顔を見ると、彼女も俺の顔を見た。
彼女から返事はこなかった。
『付き合ってくれとは言いません。ただ、あなたのことが好きなんです。そしてもう一度あなたと時と空間を同じくして映画を見たい。それから映画の話をしたい。
だから来週、またいつもの時間にここに来てくれませんか?』
縋るような思いで隣に座る風岡さんを見る。彼女は静かに携帯の画面を見ていた。そして手を動かす。
手の中の携帯が振動を伝えた。
『兄がちゃんとここに辿り着けるか心配なので迎えに行こうと思います。なので帰ります』
風岡さんが席を立った。そして俺を振り返ることはなくそのまま人の波の中へと歩き去って行った。
彼女は否定も肯定もしなかった。だから後は待つしかなかった。
それから映画館を出た。
紺碧の空が俺を出迎える。雲ひとつなく晴れわたった空。けれど吹きつける風は冷たく、車から降りた人々はコートの襟を寄せ合わせ、小走りに建物の中へと駆け込んでいく。彼らを尻目に駐輪場に足を向けた。
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