第13話 学生食堂にて

 話しはじめると、意外にも次々と言葉が浮かんできた。もう少し言い淀むものと思っていただけに喋りながら自分で驚いた。おそらくそれは、結城によるものが大きいのだろう。結城は俺の話を聞き、適当なタイミングで相づちをうち、俺の次の言葉を引き出してくれた。

 俺は、花園と過去に付き合っていて別れたことから、先週風岡さんから離別を告げられたことまで全て話した。勿論、二人の名前は伏せた。それは言う必要のない情報だ。

「――とまあ、こんな感じだ。先週授業を休んだのもそのせいだ」

「……やっぱりな」

 結城はフーッと息を吐くと席を立ち、「水持ってくるわ」と言った。全てを聞いた結城は少し驚いた顔を見せたが、ある程度は予想の範疇だったのだろう。結城が水の入ったコップを両手に戻ってきた。礼を言って水を口に含む。しゃべり続けて乾いた喉が潤う。

「それで、なんでその人が突然『もう来ない』って言ったのか、見当はついてるんだろうな?」

 水を一口飲むと、結城はそう話を切り出した。

「まあ、おおよそは。多分元カノと話しているのを見て誤解させてしまったんじゃないかと思う」

「そうだろうな。というかそれしか考えられん。それすら気づいてないとか言ったら殴るつもりだったぞ」

 結城は握りこぶしを見せた。

「怖いな。で、どうしたら良いと思う」

「そりゃ、正直に話して誤解を解くしか方法はないだろ」

 結城は手を下ろす。

「メールとかは送ったのか。怒らせたらメールでケアするのはマストだぞ。じゃないと後が怖い」

「――連絡先、聞いてないんだよ」

 結城は飲んでいた水を噴き出しかけた。

「は? 聞いてない? 知り合ってからもうだいぶ経ってるんだろ? それでお互い聞こうとしないって、お前もあいつも大概だな」

 結城は頭を抱える。別に理由もなく連絡先を聞いていなかったわけじゃない。

「週に一回映画館で話すだけでに満足だったんだよ。それにすぐ連絡先を訊いてくような軽い男だと思われたくなかったし、なにより……断られるのが怖かった」

「毎週わざわざ時間掛けて話してる時点で、連絡先を聞いたところで断られるわけがないだろ普通……」

 普通。普通とは何なのだろうか。何を基準とした普通なのか。この世界に誰一人として同じ人間は存在しない。なのに同じ違う人間同士が皆同じ尺度を持っているかのような話しはおかしい。普通という感覚が存在していること自体がおかしいんだ。人は皆違うのだから、考えることも感じるものも違っていて当然だ。だからこんなに悩んでいるのだ。

 そんなことを結城に言っても意味はない。結城にも結城なりの考えがあるのだから。

「――なあ、前々から思ってることがあるんだけどさ」

「ん、どうした」

「さっきの話で出てきた元カノとの間に、昔なんかあったのか?」

「――……どういうこと」

「お前の異性に対する接し方って、傍から見てて変なんだよ。絶対に超えないラインがあるっていうのか、全く近づかないわけじゃないのに、近づき過ぎず離れ過ぎず。どんな相手に対しても一定の距離を保とうとしてるように見えるんだ。あの時もそうだった。去年だかに、俺がお前に紹介した子、憶えてるか?」

「あ、ああ……」

 一年前、結城は突然俺に一人の女の子を紹介してきた。俺はその子を知らなかった。

 女の子の名前は、白崎友紀といった。俺たちと同じ学部の後輩だと言っていた。可愛らしい子だった。

「あの子は自分から、お前に紹介して欲しいって言ってきたんだ。この意味はわかるだろ

 ?」 

 俺は頷いた。そこまで人の気持ちに疎いわけではない。ある程度人の気持ちを想像出来るからこそ思考の沼に陥ってしまう。

「俺はすこし前から白崎の人となりをなんとなく知っていて、それで悪い子ではないと判断したからお前のことを紹介したんだ。お前だって別に悪い気はしてなかったんだろ。見てればわかったよ」

「まあ、愛嬌があって可愛らしい子だなとは思ったよ」

「だったらなんで付き合おうとしなかったんだよ。お前が付き合おうって一言言えば、彼女は一つ返事で受け入れただろう。自分から紹介してくれって言い出したんだから、そう望んでいたんだろう」

「そう、かもしれないな」

 結城の言うことはほぼ間違いない。白崎後輩はことあるごとに俺にアプローチを仕掛けてきた。大学で顔を合わせればちょこちょことこちらに走り寄ってきたり、連絡先を交換すれば一日一回はメールが届いた。

 別に目障りだとは思わなかった。可愛らしい後輩に慕われているような感覚で心地よくもあった。

「なのにお前は、白崎の好意に甘えてふわふわと。彼女の好意を知りながら、それを受け入れるでもなく拒むでもなく、曖昧な態度を取り続けて。それで白崎は最後にはお前の元から去っていった。彼女がお前を諦めると決めたとき、俺に何て言ったか分かるか?」

「……いや、わからん」

「『村瀬先輩って男色家なんですか?』だぞ。あの時の白崎が俺を見る目は今でも忘れられない」

 結城は寒気がしたかのように手で腕をさすった。

「……まあ今のは軽い冗談だが、外から見たらお前はそんな風に見られてるってことだ。お前は白崎の好意から逃げてたんだよ。自分の想いに向き合ってもらえず、のらりくらりとかわされ続けた彼女の気持ちを考えたことあるか?」

 ……あまり考えたことがなかった。自分が好意を寄せている相手から、拒むでも受け入れるでもない中途半端な態度を取られ続けたらどうだろうか。話しかければそれに応えてくれるが、相手から話しを振ってくることはない。どこかへ遊びに行こうと誘っても曖昧な笑顔で「そうだね、機会があれば」とうやむやにされたら。……気持ちの良いものではない。

 それが、去年俺が白崎後輩にとった態度だった。我ながら最低で不誠実なことをしていた。結城に指摘されて、今更ながら後悔の念が俺を襲う。

「お前のその態度は八方美人で、逃げだ。お前は人と向き合うことから逃げてるんだ。今回のこともお前のその態度が原因になってることをわかってるのか?」

「……手厳しいな」

 自分でもわかっていることだったが、こうして面を向かって言われるのはそれなりに心苦しいものがある。

「悪い、少し言い過ぎたか」

「いいよ。この年になってそこまで言ってくれる人なんていないからな。それこそ親でさえ――」

 そこまで言って俺たちは顔を見合わせて笑った。なんだか気恥ずかしくなり笑うしかなかった。ひとしきり笑い合うと、空になったコップに水を入れ直した。

「さっき話しに出た彼女と付き合ってた時はどうだったんだよ。その時は上手くいってたのか?」

「うまくいってたら別れてないだろ」

「まあ、そうだよな。じゃあそれ以降は? その子以外に付き合った子はいないのか?」

「いない。それ以来、誰とも付き合ってない」

「てことは、その彼女との間で何かあったのか? 二股かけられたとか?」

「そんなことはない! と、思う……」

 言い切ることが出来なかった。花園はそんなことをする人ではない、と思いたかった。

「思う、ってなんだよ。そもそも別れ話を言い出したのはどっちだ? お前か? その彼女か?」

「相手からだ」

「それで理由は? どうして別れたいって言ってたんだ」

「わからない」

 水を一口飲む。

「どういうことだ? それはその相手が言ったことをお前が理解出来なかったってことか? それとも――」

「そうじゃなくて、知らないんだよ。何も聞いてない」

 結城はそれを聞くと信じられないようなものを見る目で俺を見た。

「本当に何も聞いてないのか? ただ、別れたいとだけ言われて、お前はそれを許したのか?」

「許すも何も、彼女が別れたいと言ったらもうどうしようもないだろ。そう思わせてしまった時点でもう手遅れだ。理由を聞いたところで変えられることじゃなかったし」

 結城がゆっくりと息を吐き出す音が聞こえた。

「別れ話ってのはな、互いのこれまでの付き合いで抱えた不満を伝え合って、それでお互いの気持ちに区切りをつけるためにするんだ。お前たち二人がしたっていうのは別れ話なんかじゃない」

 俺は黙って結城の話を聞いていた。確かにあの時のやりとりは話といえるほどの言葉のやりとりはなかった。「別れよう」「わかった」このたった二つの言葉で会話とは言えない。

 結城の話は続く。

「これはお前だけの問題じゃない。もちろん理由を訊こうとしなかったお前にも非はあるが、聞かれずとも言おうとしなかった相手にも問題はある。そのせいでお前はずっと、いまでもその彼女のことを引きずってるんだ」

「そんなことは――」

 ――ない。そう続けようとしたが言葉は出なかった。

 今でも夢に花園が現れることがある。映画館で再会する前はそれほどでもなかったが、それ以来は現れる頻度が多くなっていた。

 夢は深層心理の表れだという。それが本当かどうか知らないが、俺の心のどこかに今でも花園が住み着いていることは否定できなかった。乾いた喉を水で潤す。

「――今でもその彼女のことが好きなのか?」

「っ……」

 言葉に詰まる。

 俺は花園のことが好きなのか?

 俺は自分自身に問いかける。

「……嫌いではない。けれど、だからといって好きだとは、わからない。ただ、どうして忘れることができないんだ。それが未練なのか、それとも――」

「――知りたいのか」

 結城が俺の言葉を引き取った。

「……そうだ。俺は答えが知りたいんだ。どうして花園は俺を振ったのか。どうしてあのタイミングだったのか。どうして今になって俺をまた悩ませるのかを」

「お前の気持ちはわかった。それと、もうひとつ聞いておかないといけないことがある。あいつ……じゃなく、映画館で会った子のことはどう思ってるんだ。好きなのか?」

「好き、だと思う。だから誤解は解きたい。今花園と付き合ってるという事実はないから。けど、その前にやっぱり一度花園と話をしておかないといけない気がする」

「ああ、そうだな。そうすべきだ。しっかりと過去を清算してから次に進むべきだ。……遅すぎるくらいだけどな」

 それで俺たちの会話は一息ついた。水を飲もうとコップを口に運ぶと、中身が空になっていた。いつの間にか飲み干していた。

 水のおかわりを持ってこようと席を立ち首を巡らすと、ここに来たときよりも明らかに人の数が減っていた。時計を見る。

「もうこんな時間か」

 時計の短針が八時を過ぎていた。結城も時間の確認したのか「そろそろ帰るか」と席を立つ。

「ありがとな、色々と」

「気にするな。お前のためでもあるし、俺のためでもあったから」

「ふーん、そうか。でも礼はさせてもらうよ」

「じゃあ、ありがたく」

 俺の相談に乗ったことが結城にとって何の益があったのかはわからないがそう思ってくれるのは嬉しかった。

 学生食堂を出る。外はすっかり夜の帳を下ろしていた。

「彼女と会う約束は取り付けられそうか?」

「ああ、それに関しては問題ない」

 俺たちは大学の正門に向かって歩く。さすがにこの時間になると構内を歩く人の数はすくない。最短距離で正門に辿り着くことができた。

「ちょうど映画館で映画を見ないかって誘いが来てたんだ」

「……大丈夫かそれ? 本当に話せるのか? そんな雰囲気で昔振った理由を教えてくれとか言い出すの地獄じゃないか?」

 結城の言うとおり、その瞬間をイメージをするだけで胃が痛くなりそうだ。

「けど、ここで逃げたらずっと変われない気がする」

 ここでまた逃げてしまったら、もう二度とそのチャンスは訪れないような気がした。だから今しかない、このチャンスを逃してはいけない。

「そうか、頑張れよ。俺も見守ってるからな」

「じゃあな」

 それから結城と別れ、俺は電車に乗った。

 携帯を開く。

『返信遅れてごめん。映画の件、了解した。前会った時と同じ時間の木曜の夜なら都合が良いんだけど、どう?』

 送信ボタンを押す。そうして携帯を閉じた。

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