3章

第12話 それでもまだ

 次の日、俺は初めて大学の講義をサボった。

 寝過ごしたわけではなかった。携帯で目覚ましをセットし、いつもと同じ時間に起きた。けど、どうしても大学に行く気になれなかった。しばらく布団の中で携帯を弄り、そのままもう一度寝た。次に目を覚まして窓から外を見ると、空が赤く染まり始めていた。

 寝過ぎて少し頭が痛かった。

 身体を起こして携帯を見ると、一通の通知。結城からだ。

『どうした? 講義室にいなくて驚いた。風邪でも引いたのか?』

 俺の事を心配するメールが届いていた。結城からこうしてメールが送られてくるのは珍しかった。大学に入って知り合った当初に連絡先を交換してから、初めてかもしれない。というか、毎週大学で顔を合わせているからわざわざメールをしてまで話すことはなかった。一度授業を休んだだけで、わざわざメールを送ってくるとは律儀な奴だ。そういうまめなところが女性を惹きつけるのだろう。俺とは真逆だな。

 俺はそのメールに『ちょっと頭が痛くてな。心配かけて悪い』と返す。嘘ではない。実際、今頭痛がする。

 携帯を置き、伸びをする。すると、腹が音を立てた。朝ご飯も昼ご飯も食べていないと俺の腹が訴えかけてくる。階段を降りてリビングに入ると台所に立つ母親から声がかかった。

「あんた、今日大学休んだでしょ」

「頭が痛くて」

 それから少し早めの夕飯を食べた。

 ***

 そしてまた木曜がやってきた。

 昨日、大学で結城にメールの礼を改めて伝えようと思ったが、結城は授業に現れなかった。結城が授業をサボるのは珍しくはなく、それほど気にはしなかった。

 俺はバイクを走らせる。向かうのは映画館。

 風岡さんが言ったあの言葉『もう来ない』。それを自分の目で確かめておきたかった。

 バイクを駐め、映画館の中へ入る。ロビーに着くと、券売機でチケットを買った。それからロビーのソファに腰掛ける。それから、風岡さんが姿を現すのを待った。

 俺が選んだ映画の入場開始がアナウンスされる。だが、俺はそのまま、ソファに座ったままで待った。

 ……もうすぐ予告編が終わり、本編が始まる時間になる。ギリギリまで待った。しかし、結局風岡さんがロビーに現れる事はなかった。

 今から急いで入場すれば上映開始に間に合うだろう。けれど、今は映画を観るような気分ではなかった。購入したチケットを財布にしまうと、俺は映画館を後にした。

 家に帰ってからは何をするでもなくただただ無意に過ごしていると眠気が俺をベッドに誘った。アラームをセットしようと携帯を開くとまたも一件の通知表示。結城からだろうか。

 見るとそれは結城からのメッセージではなく、花園からだった。一体何の用だろうか。正直、今は誰かとやりとりをする気にはなれなかった。けれど、中身を見ずに寝てしまうのも花園に悪い気がしてメールを開いた。

『夜遅くにごめんね。もしかしたらもう寝てるかな? それでね、実はまた見たい映画があるんだ。それで来週辺りに見に行こうと思うんだけど……もしよかったら一緒に見ない?』

 タイミングが良いのか悪いのか。

 俺はベッドの脇にあるバッグからスケッチブックを手に取り、最後のページを開く。そこに書かれているのは風岡さんが書いた『もうここに来ることはありません。さようなら』という別れの言葉。

 本当にこれで最後なのか。本当にもう風岡さんと話す事はできないのか。

 花園のメールに返事をする気は起きなかった。アラームをセットして携帯を閉じる。メールの返事は明日すればいいだろう。俺は瞼を下ろした。

 翌日、大学の講義室で授業の開始を待っていると、いつものように結城が隣にやって来た。

「よっ。一週間ぶりか。なんか久しぶりに顔を見た気がするな」

 そう言って結城は自分の鞄に手を突っ込む。

 たった一週間会わなかっただけで久しぶりというのもおかしなものだが、結城の言う通りなんだか久しぶりな感じがした。

 そんな事を思っていると、結城は鞄から一冊のノートを取り出して俺の方へ向けた。

「ほら、先週の授業のノート」

「え?」

 結城は手に持ったノートを俺の目の前に置く。

 こいつがノートを取った? 

 にわかに信じられなかった。これまで二年ほど一緒に授業を受けてきたが、結城が真面目にノートを取っている姿を見たことがなかった。それどころか、ペンを持っている姿すらまともに見たことがない。

 そんな男がまともなノートを取れるのかと思いながら、結城が置いたノートを開く。

「……え?」

 俺はノートの中身を見て驚いた。あまりの汚さに、ではない。結城の取ったノートは俺のノートよりも綺麗にまとめられていた。何より、書かれている文字が整っていて美しさすら感じた。風岡さんの書く文字にも引けを取らない。

「……ありがとな。ありがたく使わせてもらう」

「いつもの礼だ。気にすんな……それで何かあったんだろ?」

「なんだよ、急に」

 出し抜けに結城がそんなことを言った。

「お前がただの頭痛で授業を休むとは思えない。それくらいなら薬を飲んで来るだろ。それに、この前と比べて顔がやつれたというか、なんか暗い」

「そうか。自分じゃわからないが」

「いーや、間違いないね。何かあったんだろ、話してみろよ。相談乗るぜ」

 講義室のドアが開き、先生が入ってくる。

 結城が言ったのは、先週の木曜、俺が風岡さんに言ったことだった。俺のこの気持ちも誰かに話すことでどうにかなるものなのだろうか。話すことで余計にツラくなってしまうのではないだろうか。

「授業が終わったら学食な。そこで聞かせてくれ」

 結城は俺の返事を待たずに話を進める。

 今で自分の気持ちを誰かに話したことがなかった。風岡さんのことも……花園のことも。それで俺は後悔してきた。今も後悔している。誰にも話さず、ずっと一人で後悔しつづけることにもう疲れた。こいつになら話してもいいんじゃないか。二人のことを知らない結城になら。

「……わかった。あとでな」

「おう」

 ***

 授業が終わり、俺は結城と二人で大学の学生食堂に向かった。

 夕方ということもあり、人の数は多い。食堂は広く、中高の体育館ほどの広さがあるが、今はそこにある席のほとんどが埋まっている。これからサークル活動がある人やだらだらとだべる人など、様々な目的の人が集まっている。ざわざわと雑多な音が途絶えることはない。

「ここにしよう」

 丁度一つのグループが席を立ち、一つのテーブルが空く。その隙を逃さず、俺と結城はその席にテーブルについた。座るやいな、結城はテーブルを備え付けの布巾でさっと拭く。

「それじゃあ、聞かせてもらおうか」

 結城は身を乗り出してそう言った。

「面白い話じゃないし、長いけどいいのか?」

「俺から話を聞くって言ったんだ、最後までしっかり聞かせてもらうさ」

「……わかった」

 そうして俺は結城にこれまでの事を話し始めた。

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