第11話 最後のページ
講義が終わると、結城を連れて大学近くのラーメン屋に入った。店に入ると鶏がらスープの良い匂いがした。店内はそれほど広くなく、厨房の周りをカウンター席がぐるっと囲む形式の良くあるレイアウトだった。この店に入ったのは、結城の行きつけで是非と言ったからだ。俺は券売機に千円札を二枚吸わせる。
「おすすめは?」
「最初はやっぱこれだな」
結城は店主オススメとポップで強調されている、鶏白湯を指で指した。
「どれも美味いんだけど、まずはこれで店の味を知るのが一番だな。それに店長のオススメだし」
結城は言いながらそのまま指でボタンを押し、鶏白湯の食券を手にした。
俺も鶏白湯の食券を購入した。
食券を店員に渡し、空いてる座席に着く。テーブルは掃除が行き届いていて、手を置いてもベタついたりすることはなかった。結城が備え付けのピッチャーで水を入れてくれた。
「ありがとう」
「ん」
入れてくれた水を口に含む。喉を潤わせると、すこし前から気になっていたことを尋ねる。
「なあ、鶏白湯ってどこ発祥なんだ?」
「さあ? なんか読みが独特だし、中国由来なんじゃね?」
「言われてみればそうかもな」
訊いてはみたもののそれほど興味があるわけでもなかった。結城も詳しくは知らないみたいだ。
ほどなくして、目の前にラーメンが届けられた。
「早いな」
「味はもちろん、注文して提供までの早さもここの良いところだ」
いているうちに結城の前にもラーメンが届いた。割り箸を二膳取り、一つを手渡す。結城はテーブルに置かれたきざみみネギをトッピングしていた。
見様見真似で俺もネギをラーメンの上に適量ばらまいた。
それからレンゲでスープを口に運んだ。
「美味いな」
「だろ」
結城が自慢げにそう言う。自分の好きな物が他人にも気に入ってもらえて嬉しい気持ちはよく分かる。
一度箸をつけたら止まらず、すぐにどんぶりは空になった。スープも全て腹に収めてしまった。俺のコップが空になっているのを見ると、結城は水を注いでくれた。それを一気にあおり、火照った身体を冷ました。
「ふぅ……そろそろ出るか」
「そうだな」
「ごちそうさまでした」
店の外に出ると少し肌寒く、脱いでいた上着を羽織る。
「美味かった」
店を紹介してくれた礼として、素直な感想を伝えた。
「お気に入りの店なんだ。まあ、女の子と行くにはあまり向いてないけど」
「また今度、他の店も教えてくれよ」
「もちろん」
それから結城に別れを告げると、俺は家路に着いた。帰りの電車の中で花園からのメールに返事をした。
『わかった。じゃあ今度飲み物か何かで返してくれればいいよ』
それに対する花園の返信はなかった。
そして七日が経ち、木曜が訪れる。
夜になると俺は映画館に向かう。途中、ガソリンスタンドに立ち寄る。そろそろ秋が終わり、冬となる。静電気除去のパッドを念入りに触ってから給油を完了させた。
チケットとポップコーンを買うと、ソファに座って待つ。今日の座席は先週より更に一つ前の列にした。先週使い切る筈だったスケッチブックも、今日で使い切るはずだ、
それから待ち続けていると、風岡さんが階段を登ってくる様子が見えた。彼女がロビーに入ってくると、すぐに彼女と目が合った。
俺がいつものように手を上げると、風岡さんは微笑んだ。そして彼女は券売機の方へと歩いて行く。俺はその様子に違和感を抱いた。
いつもと同じように見えて、少し違った。今日の彼女はなんだか元気がなさそうに見えた。なんだか無理して笑っているように見えた。そしてチケットを買うと、風岡さんはどこかに行ってしまった。
入場のアナウンスが聞こえてくる。どの映画を選んだにしてもすぐに時間が来るというのにどこに行くというのだろう。
シアターに入り席に座っていると、予告映像が流れ始める直前に風岡さんが姿を現した。そしてそそくさと席に座った。彼女が俺の方を見ることはなかった。
「あれ?」
風岡さんが座る席を見て、思わず声を出してしまった。幸い他の人には聞かれていないようだ。彼女が座るう席は元の、入り口にごく近い前方の席に戻っていた。やはり元の位置が一番見やすかったのだろうか。俺はスクリーンからの反射光で青白く照らされる彼女の横顔を見ていた。そうしていると映画の上映が始まった。
***
スタッフロールが流れている。すると視界の隅で、席を立つ人の影が見えた。レイトショーの客層でそうする人は珍しく、つい視線が引き寄せられる。席を立ったのは、風岡さんだった。薄暗いが、あのシルエットと位置からして彼女に間違いなかった。
風岡さんは早足で、まるで逃げるかのようにシアターを出て行ってしまった。いつもならスタッフロールが終わって照明が戻るまで座っている彼女が。その行動には何かの意味があるはずだ。けれど、それが何を意味するのか分からなかった。スタッフロールが終わりシアターの外に出ても、風岡さんは見つからなかった。
そして、その次の木曜。
またも風岡さんは上映ギリギリにシアターに入ってきた。そして、上映が終わってスタッフロールが始まるとすぐに席を立った。俺はその後を追う。先週から明らかに彼女は様子がおかしい。その理由が知りたかった。
シアターの外に出ると、ひとりで早足で遠ざかっていく風岡さんの背中が見えた。俺は走り、彼女の腕を掴む。その腕は細く、俺の指で作った輪の中に収まる 彼女は俺の方へ振り返った。
俺の顔を見るや、風岡さんは顔を伏せてしまった。一瞬見えた彼女の顔は、やはりどこか暗い影をたたえていた。
『どうかしたんですか? 先週から、なんだがいつもと違う気がします』
のこりわずかのスケッチブックに、二週間振りに俺はペンを走らせた。彼女は俯きながらも、横目でそれをチラリと見た。けれど、彼女は自分のスケッチブックを出そうとしない。
『やっぱり、何かあったんですよね? 俺でよければ相談にのります』
それを見、風岡さんはゆっくりと顔を上げて俺の顔を見た。その顔からは、彼女が何を考えているのかわからなかった。
風岡さんは自分のスケッチブックを使うでなく、俺のスケッチブックとペンを貸してくれるように俺に手で示した。少し疑問に思ったが、俺は彼女にスケッチブックとペンを手渡した。彼女は書き終えるとそれらを俺に返した。
『あなたに話しても、意味のないことです』
風岡さんの言葉は拒絶だった。彼女は俺に関わるなと言っている。けれど、それで「はいそうですか」と引き下がれるほど、彼女を他人だとは思っていない。他人でありたくなかった。
『それでも、誰かに話すことで心の澱を吐き出すことはできます』
もう一度彼女にスケッチブックを渡す。これで彼女が心を開いてくれれば。しかし、風岡さんの答えは俺が求めたものとは異なった。風岡さんがスケッチブックを俺に返す。
『もうここに来ることはありません。さようなら』
そこにはそう書かれていた。スケッチブックから顔を上げると、風岡さんの背は小さく遠ざかっていた。俺は彼女を追いかける事ができなかった。
皮肉なことに、彼女の別れの言葉がスケッチブックの最後のページを飾った。スタッフロールが終わったのか、シアターからぞろぞろと人が出始めた。
また、聞けなかった。今回も理由を聞くことが出来なかった。
どうしてこうなってしまうのだろう。俺にはもう、わからない。
わからなかった。
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