第10話 忘れられないあの日のこと
家に帰り、夕飯と風呂を済ませ、自室に戻ると、携帯に一件の通知が来ていた。見ると花園からのメールだった。
『花園です。今日は本当にありがとう。……「ありがとう」って言ったの、これで何回目だろう。まさか、映画館で会うだなんて思ってなくて凄くびっくりしたよ。それに祐一くんがバイクに乗ってるだなんて。かっこいいバイクだったね。
また見たい映画があったら、映画館に行くかもしれないからそのときはまたよろしくね。お礼もそのときにしようかな。おやすみなさい』
花園とこうして連絡を取り合うのも四年ぶりのことだった。
何て返すのが正解なんだ。
長文で返すと気持ち悪がられそうだし、だからといって素っ気なさ過ぎるのも違う気がする。あれもちがう、これもちがう。少し書いては消して考え直す。
そうしているうちに、昔の事を思い出した。
あれは、忘れもしない。俺と花園が付き合いだして丁度一年になる日だった。世間一般的に言うならば「一周年記念日」だ。なんだかその字面からもう恥ずかしい。
四年前の俺は、そういった記念日には何か特別な事をするべきだと思い、花園をデートに誘った。花園は「うん、いいよ」と二つ返事で了承した。
デートの行き先は都内にした。地元に行ったところで見るものなどないし、知り合いに見られるのは気恥ずかしかった。花園に行き先を伝えると、彼女は笑顔で頷いた。
当日、俺たちは地元の駅で待ち合わせて二人で都内に向かった。そして俺たちはデートを楽しんだ。と、少なくとも俺は思っていた。デートの最中、花園も笑っていたのだから。
日も暮れかけ、俺たちは帰りの電車に乗った。帰りの電車の中、花園は何か言いたげにもぞもぞとしながら、流れていく風景を見ていた。
電車が駅に止まり、扉が開いた。そこは俺たちが降りる駅ではなかった。けれど、花園は何も言わずに電車を降りた。なんだろうと、俺も花園にならって電車を降り、ホームに立った。
「買う物があるから。ケーキ、買うんだ。ここにおいしいお店があって」
「じゃあ、俺もついて行くよ」
反射的にそう言った。彼氏なのだから、着いていくのが当たり前だという風に。すると、
「いいよ」
と花園は言った。それは着いてこなくて「いいよ」という意味だというのは、花園の言い方で分かった。それでも、だからといってデート帰りの彼女を放って帰るわけにもいかなかった。俺は食い下がる。
「いや、もう降りちゃったし。それにもう暗いし」
「あと、私たち別れよ」
俺の後ろで電車のドアが閉まる音がした。
「え?」
俺は思わず聞き返す。聞き間違いだろうか。
「別れよ」
「っ……」
花園は手持ち無沙汰に、ホームから離れていく電車を見ていた。
花園が言っているのは、別れて別々に帰ろうという意味ではなく、俺たち二人の関係を終わらせようという意味だと言うことも、彼女の口調とその態度からわかった。
「……わかった」
俺の口から出たのは、そんな言葉だった。
「どうして」でも「別れたくない」でもなく、そんな言葉しか出なかった。
薄々気がついていたのかもしれない。花園がそう言い出すことを。だから俺の口から、理由を訊くのではなく、そんな言葉が最初に出たのかもしれない。
けれど、本当のところ何も分からなかった。なぜ俺は理由を訊かなかったのか、なぜ俺は花園の言葉を受け入れたのか、別れるつもりならなぜ花園はデートの誘いを断らなかったのか。なぜ花園は俺と別れたいと思ったのか。
あとから色々考える事は出来る。けれど、それは答えではない。考えつくのは全て俺の考えであり、花園の考えではない。それは答えになり得ない。
全てが今でも霧に包まれたかのように、俺の心の一部に巣くっていた。
ともかく、それで俺と花園の関係は終わった。終わったのだと自分に言い聞かせてきた。
それが今、あの日以来まともに話をし、あろうことかこうしてメールをやりとりしようとしている。
花園はあの日の事を一切気にしていないように見えた。いつまでも過去の事を忘れられずにいるのは俺だけなのだろうか。花園はあれから次の恋愛に進んだのだろうか。だから何でもないかのように俺に話しかけることが出来るのだろうか。
……これも、俺の考えに過ぎない。いくら考えようと花園の真意は見えない。
それでも考えをやめることは出来なかった。
思索にふけり、メールを返すのを忘れていた。時計を見ると、思いのほか時間が経っていた。
結局、『村瀬です。俺も久しぶりに会ってびっくりしました。わざわざお礼をしてもらうほどのことじゃないから大丈夫。本当に。おやすみ』と、返した。
明日も大学がある。携帯を閉じると布団に潜り込んだ。
翌朝、携帯を開くが花園からの返信は来ていなかった。
支度を済ませ、電車に乗る。大学に着くと講義室に向かう。講義室に入り、席に着く。息を落ち着かせ、暇つぶしに携帯を開くと花園から返信が来ていた。それを開く。
『ダメだよ。お礼はちゃんとする。私、貸し借りを作るのってあまり好きじゃないんだ。だからお礼はちゃんとさせて。私のためだと思って』
花園からのメールにはそう書かれていた。
さて、どう返事をしたものか。これが男友達からのメールであれば、『わかった』とだけ返したり、返事はせずに無言を持って肯定の意とする。さすがに、それは素っ気なさすぎる気がする。
「よっ」
携帯の小さな液晶相手に唸っていると、声がかかる。相手を見るまでもなく、結城だと分かった。結城は俺の隣の席に座ると、
「そんな神妙な顔で携帯とにらめっこしてどうした。噂の彼女とメールか?」
と訊いてきくる。
俺は携帯を鞄にしまった。
「……まあ、そんなところだ」
俺は曖昧に答える。違う相手だと言えば、結城はしつこく聞き出そうとしてくるに決まっている。
「そうか。順調そうでなによりだな」
頬杖をして携帯を弄りながら結城はそう言った。
それきり結城はこちらを向くことは無く、退屈そうに携帯を触っていた。
その様子を見ていると、結城に嘘をついたことがなんだが後ろめたくなってくる。
「なあ、講義が終わったら飯でも食わないか。……奢ってやるよ」
ついそんなことを言ってしまう。
「まじで? お前から誘ってくるなんて珍しい」
結城はガバッと身体を起こすと、笑顔と驚きを混ぜ込んだ表情をしながらこちらを向いた。
「しかも奢りだなんて」
「どうだ?」
「もちろんタダ飯と聞いて行かない手は無いが……裏があったりしないよな?」
結城は疑うような目で俺を見る。俺はそれに笑って答える。
「ないよ」
話をしているうちに、俺の中の罪悪感は消えていた。結城と話をしていると、不思議とその間だけは明るい気持ちになれる。こいつの人柄がなせる業だろう。
「やっぱり奢りはなしで」
そう言うと「えー」と大げさに文句を垂れる。
「冗談だよ、奢る奢る。ちゃんと奢るって」
そうしていると部屋の前のドアから教授が入ってきた。結城との会話はそれで一旦打ち切られた。
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