第9話 映画の帰り

 スタッフロールが終わりシアター内が明るくなると、風岡さんは席を立った。花園はまだ席に座っていて、風岡さんが立つのとほぼ同時に俺の方を振り返った。

「いやー面白かった。久しぶりに映画館で見たけどやっぱ家のテレビで見るのとは迫力が段違いだね」

 風岡さんと目が合った。風岡さんは俺を見て、そして微笑んだ。それからシアターを出て行った。

「おーい、聞いてるー?」

 花園の手が俺の視界を横から横へと行き来する。

「え、ああ、聞いてる」

「本当? なんか怪しい。まあいいや、外に出よ」

 そう言って花園は座席横の通路を降りていく。俺もその後に続いた。

「祐一くんはどうだった、今日の映画。面白かった?」

「まあ面白いと思ったよ」

 シアターを出て、通路を進む。

「だよね。やっぱり見に来て良かったー」

 いつもなら風岡さんがいるはずの場所には、誰もいなかった。

「ん? どうしたの」

 先を歩く花園が立ち止まる俺を振り返った。

 風岡さんはどこに行ったのだろうか? シアターを出て行く前に俺を見たのは、先に行って待っているという合図ではなかったのか? 何か急な用事を思い出して先に帰ってしまったのだろうか? 

「ごめん、俺、トイレ行くから――」

「あっ、私も行こっと」

 用を足し、トイレから出ていつもの場所に行くと、やはりそこに風岡さんの姿は無かった。今日はもう帰ってしまったのだろう。少し遅れて花園がやって来た。

 俺は花園と映画館の外に出た。外に出るや、花園は携帯を取り出してメールを打っているの、手を動かした。それが終わったのか、俺に向き直り、

「それにしても、昔と変わらないね」

 と言った。

「あの時の祐一くんのままでなんだか安心した」

「そうかな」

「そうだよ。久しぶりに会ってちょっと懐かしくなっちゃって。ごめんね。迷惑だったかな?」

「そんなことはないよ。俺も、話せて良かった」

 花園の携帯が鳴った。「あ、ちょっとごめんね」そう言って花園は携帯を開く。

「え、嘘」

 携帯を見た花園は突然声を上げた。

 どうしたのだろう。俺は尋ねる。

「今日は帰り遅くなるからって、お母さんに迎えを頼んでたんだけど、忘れててお酒飲んじゃったから迎え来れないって、今連絡が来た」

 花園はそう答えた。

 今の時刻は十時半。年頃の女性が一人で出歩くには遅い。

「お母さんはタクシー使って帰ってこいって言うけど、別に歩けない距離じゃないし……」

 俺は咄嗟に、

「もしよかったら、送ろうか?」

 そんなことを言ってしまう。

「えっ、車持ってるの?」

 花園は驚いた顔で俺を見た。

「いや、車じゃなくてバイクなんだけど」

「バイク? 祐一くん、バイク乗ってるの? 意外だなー」

 花園は何が嬉しいのか声をうわずらせた。

「そうかな」

「そうだよ。中学の友達に言ったらきっとびっくりするよ」

 そして花園は急に声をひそめ、

「……でも、どうしよっかな」

 と小さく声を漏らした。秋の静寂がその声を俺に届けた。だが、俺はそれに対する答えを持ち合わせてはいない。花園が答えを出すのを待った。

「……うん。じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 わずかな逡巡の後、花園はそう言った。

「いいのか?」

 俺から言い出したことだが、冷静になると躊躇いが生まれる。ヘルメットは二つ持ち歩いているから、乗せることは出来る。だが、男友達を後ろに乗せるのとは訳が違う。安全を心がけた運転をするのは当然のことだが、それ以外にも気を遣うことがあった。しかし、自分から言い出した手前、やっぱり駄目だと断るに断れなかった。

「うん。祐一くんが構わなければ」

 こうまで言われては、俺に選択肢は無かった。

「わかった」

 俺は花園を連れ、バイクのもとへ向かった。

「バイクはいつから?」

「大学入った年の夏頃に免許取ったから、二年前から」

「車は取らないの?」

「就職前に取ろうとは思ってる。そっちは?」

「私もそうしようと思ってる」

 駐輪場に着く。俺はバイクの脇に立つと、メットホルダーからヘルメットを二つ取り、一つを花園に渡した。

「ありがと。いつも二つ持ち歩いてるの?」

「ああ、うん。友達を乗せることが割とあるから。紐、顎のところでしっかり留めといてね」

 花園がヘルメットを着用するのを見届ける。ついでに、花園の服装も確認する。花園の服装は、当然と言えば当然だが、バイクに乗るのに適したものではなかった。

「乗ると冷えるから、これ着て」

 俺は上着を脱ぎ、彼女に渡す。厚手の生地でできている。これを着れば多少はマシになるはずだ。

「いいよ。そしたら祐一くんが寒いでしょ」

「いいから。中にも何枚か着てるから俺は大丈夫」

 花園は「でも……」となかなか着ようとしなかった。しかし、最終的に花園は根負けして俺の上着をしぶしぶと羽織った。

 俺はバイクに跨がる。それから花園が後ろに座った。

「……家ってどの辺? 前と変わってない?」

 昔と変わっていなければ昔の記憶を辿って行けばたどり着けるはずだ。

「うん。変わってないよ」

 ならば大丈夫だ。

「それじゃあ肩でもどこでもいいから、しっかり掴まっといて。ふらふらすると危ないから」

 エンジンを始動させる。俺はいつになく慎重にクラッチを繋ぎ、バイクを動かした。

 駐輪場を出て、公道に出る。いつも通り車通りは少なく、ちょっとかっこつけたくなって少しスピードを上げた。

 スピードを上げるにつれ、冷たい秋の風が容赦無く俺の身体をうつ。

 やめておけばよかった。

 花園の手前、強がってみるが想像以上の寒さに震える。すると、これまで遠慮がちに肩に置かれただけだった花園の手に力がこもり、彼女の身体が俺の背に近づいた。

 俺の震えが花園に気づかれたのだろうか。どちらにしても、おかげで一体感が増し、これまでより走りやすくなった。そして何より花園のおかげで寒さがすこしマシになった。

 前の信号が赤になり、手前から徐々に減速して止まる。後ろに乗っているのが花園だという事実が、いつも以上に神経を使わせた。そう意識すると、背中ごしに花園の体温がより強く伝わってくる気がした。

 思えば、花園と付き合っていた当時よりも俺たちの物理的な距離は近いかもしれない。あの頃は、こうして身体をくっつかせることはなかった。

 信号が変わり少し進むと、次の信号で止められる。道路は二車線で、隣の車線に一台車があるのみ。他に車は見えなかった。なんだか隣に止まった車はどこか見覚えがあるような気がする。誰かの車がこんなだったような……

 信号が変わり、再び動き始める。後ろに乗る花園も慣れてきたのか、周りの景色を見渡した。花園が首を巡らせようとすると、何度か互いのヘルメットがぶつかりコツンと音が響いた。

 それから少し走ると、住宅街に入った。エンジンの音が家々に反響し、いつもよりうるさく聞こえた。速度を落とし、ゆっくりと徐行運転へと変える。

 かつて見た景色が俺を迎える。四年ぶりにこの近辺を訪れたが、あの時とさほど変わった様子はなかった。少し進むと花園の家を見つけた。俺は家の前にバイクを止め、エンジンを切った。花園がバイクから降り、俺の背中が外気に晒された。

「……さむっ」

 思わず言葉が漏れる。

「これ、ありがとう」

 ヘルメットを脱いだ花園は、羽織っていた俺の上着を脱ぎ俺に返した。俺はそれを受け取ると、すぐさま羽織った。このままだと本当に風邪を引きかねない。

「わざわざ家まで送ってくれて、ありがと」

「いいよ。これくらい」

「それに上着もありがと。暖かかったよ」

 花園はいつのまにかに伊達メガネを外していて、その姿は俺の記憶の中の花園と被った。四年ぶりに再会した花園は、纏う雰囲気は大人びたが、あのときと同じく俺の心をざわつかせる。いや、それ以上だった。

「じゃあ、俺はもう帰るよ」

 用は済んだ。後はこの場から去るだけだ。

「待って!」

 動き出した俺の足は、花園の声で止まる。

「あのさ……せっかくだし連絡先、交換しない?」

 花園はそう言うが、俺の携帯のアドレス帳には花園の連絡先がある。花園は俺の連絡先を消したのだろうか。

 ――いや、そうとは限らない。アドレスそのものが俺の知らない間に変わっているのかも知れない。四年も前のものだ、変わっていたとしておかしくはない。

 携帯を取り出す。それから花園と連絡先を交換した。

「……これでよし。今日は本当にありがと。今日はもう遅いから、また今度ちゃんとお礼するから」

 そう言って花園はささっと家の中へと消えてしまった。去り際、花園は俺に向かって手を振った。俺はそれに応えようと手を振り返すが、その時にはすでに花園は見えなくなっていた。

 虚空を切った手を下ろし、バイクに跨がる。帰りは寒さに震えることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る