第7話 ページはのこりわずか

「お前のノート、前より見やすくなったな。字が綺麗になったっていうか、読みやすくなった」

 水曜の講義の後、結城に頼み込まれて講義ノートを見せるとそんなことを言われた。自分でも見返してみると、確かに最初の方のページと比べてだいぶ整った字を最近は書いていた。

「まさか、俺のために綺麗に書いてくれたのか? わざわざ悪いなあ」

「そんなわけあるか」

 当然、結城のためなんかではない。

 意識して読みやすい字を書くようになったのは、風岡さんの影響が大きいのだろう。彼女に見せるのだからと、無意識のうちに丁寧な文字を書くようになっていたのかもしれない。結城に指摘されるまで気づかなかった。

 そしてまた木曜がやってきた

 俺は券売機で座席を選択する。いつも通りど真ん中、ではなく、今日は一列前の席を選択した。先週、前方の席で鑑賞したことで中央よりも良い席があるのではないかと思い、どの辺りが良い席なのか色々と試してみたくなった。

 発券されたチケットを手に売店へ向かう途中、風岡さんと互いに手だけで挨拶を交わした。

 入場が開始されシアターに入ってから少し遅れて、風岡さんも同じシアターの中に入ってきた。風岡さんが座席につく。俺が一列前に近づいたせいか、これまでより彼女との距離が縮まった気がした。

 ……いや、それだけじゃない。見れば、風岡さんの座る席がこれまでと違った。彼女の座る席は今までの席より一つ後ろの列にずれていた。

 一体どうしたのだろうか。ひょっとすると、先週俺が選んだ中央の席で映画を見たことで、中央の魅力に気がついて、俺と同じように丁度良い位置を探しているのかもしれない。そうだとしたら、少し嬉しい。



 この日の映画は、あまり面白いと評するのは躊躇われる出来だった。

 コミカルにもシリアスにもなりきれず、どちらの視点か見ればいいのか終始分からず終わった。

 面白くはなくとも妙な突っ込みどころが多い、いわゆるB級映画であれば、あれはこうだったなど湧き上がる不満などを互いに言い合い盛り上がるものだが、今日のはどうも話題にしづらい内容だった。風岡さんも同じ思いであろうことは、シアターの外で顔を合わせた時の何とも言えない表情から察せられた。

 自然と、俺たちはその日見た映画の内容には触れず、全く関係の無い話を始めた。

『祐一さんのお気に入りの映画って何ですか?』

 風岡さんは出し抜けにそう訊いてきた。「一番好きなもの」を訊かないあたり分かっている。

 これまで色々な映画を見てきたが、お気に入りと呼べる映画は両手で数えられる程度だ。その中でも、あえてそれほど有名ではないものを俺は選んだ。

『いくつかあるんですけど、「ジャンパー」っていう映画が結構好きですね。主人公が平気で犯罪を犯したりやりたい放題で世間の評価はあんまりなんですが、瞬間移動の能力を使った戦闘シーンがかっこよくて、たまに無性に見たくなることがあるんですよ』

『分かりますよ。確かにあの戦闘はかっこいいですよね。連続でジャンプして攻撃するシーンは迫力がありますよね』

『そうなんですよ! 原作小説も気になって読んだんですけど、ストーリーは原作の方が良いんですよ。原作はストーリー、映画はアクションと二回楽しめるオススメの作品ですね』

 俺が離すと、対は彼女の番だった。

『私のお気に入りは「ギフテッド」っていう映画なんですけど、知ってますか?』

 聞き覚えのない映画だった。俺の表情から風岡さんは察したようで、続けてペンを動かす。

『類いまれなる才能を授かった子供を、天才的数学者を姉に持つ凡庸な男が育てることに鳴るという話なんですけど、その男は子供は子供らしく育てようとするんですが、周りからは才能を磨くべきだと言われて、さらには……って、これ以上はネタバレになってしまいますね』

 風岡さんはそう言って途中で手を休めた。スケッチブックに書かれた文字は小さく読み取るのが少し大変だった。

『風岡さんは言うなら間違いないんでしょうね。今度見てみますね』

『是非! 私ブルーレイを持ってるんで、もしよかったら来週持ってきましょうか?』

『本当ですか、それじゃあお願いします』

 この日はそれで時間がきてしまった。

 風岡さんとの話は楽しかった。彼女と語り合いたい作品がたくさんある。だが、それには時間が足りなかった。

 風岡さんと言葉を交わす事ができるのは、週に一度で、その時間も三十分あるかどうか。おまけに、文字に起こす必要がある以上、三十分の内の半分ほどは互いに手を動かす時間に費やす事になる。その日見た映画の話をするだけで精一杯だった。

『また来週お話しましょう』

 風岡さんを乗せた車が駐車場を出て行く。

 もっと風岡さんと話がしたかった。彼女の事をもっと知りたい、その思いは日に日に俺の中で成長していく。けれど、俺は一歩踏み出すことが出来ずにいた。

 連絡先を訊いたり、週末に遊びに誘ったり、何か行動に移さなければこのままの関係が続いていく。何度もそうしようと思った。けれど、その度に「もし断られたら」と考えてしまう。そうなったら、このわずかな時間すら失ってしまいそうで怖かった。先に進めなかった。

 家に着くと、俺は自室でスケッチブックを開き、その中を見た。

 そこには、彼女との会話の断片が記されている。俺のスケッチブックには風岡さんの言葉は書かれていない。あるのは少し斜めに傾きがちな俺の字。けれど、風岡さんの言葉を記憶で補い、彼女との会話を脳内で再現する事ができた。

 スケッチブックのページは、残りわずかだった。

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