第6話 チケット
そして次の木曜。
昼から夕方までは大学の講義がある。鞄の中にスケッチブックとペンが入っていることを確認してから家を出た。
そつなく講義を受け、いつものように映画館に向かうべく帰りの電車に乗った。
風岡さんと何を話そうか。頭の中で色々と思考を巡らせながら電車に揺られた。途中で電車を乗り換え、大学を出てから一時間と少しで地元の駅に辿り着いた。
そこからは駅の駐輪場に駐めておいたバイクで映画館へ向かう。駅から十分ほどバイクを走らせるとショッピングモールの影が見えてくる。駐輪場にバイクを駐めるとモール内の映画館へ。
ロビーには、珍しく風岡さんがいた。今日はいつもより早く来たようだ。
もう少し近づいてから挨拶しようとして、なんだか風岡さんの様子が少し変なことに気がついた。映画のチケットを手にして、なにやらキョロキョロと落ち着かない様子だった。
もう少し近づくと、彼女は俺に気がついたようだった。
『こんばんは。どうかしたんですか?』
スケッチブックにそう書き、尋ねる。
『こんばんは。実は、チケットを間違って購入してしまって……』
風岡さんはそう言うと、おずおずとチケットを俺に見せた。
セプテンバー(吹替) 上映開始時間 20:10分
チケットにはそう書かれていた。
『見たことがある映画のチケットを買っちゃったんですか?』
尋ね返す。
『いえ、まだ見たことはないんですけど……』
俺はもう一度彼女の手の中のチケットを見た。
セプテンバー(吹替)
「……あっ」
どうやら彼女は誤って「吹替」の方を買ってしまったようだった。
しかし、間違えてしまったのなら劇場スタッフに言えば返金対応してくれるだろう。原則的に返金はできないとホームページには書かれているが、風岡さんの事情を話せば快く対応してくれるはずだ。
そのことを風岡さんに伝えると、彼女は気まずそうな表情を見せた。
『そうかもしれませんが、どうにも気が進まないんです。私の間違いのせいで、お店の方の手を余計に煩わせるのはどうしても……』
考えすぎではないか。そう思ったが、もしかしたら風岡さんは以前にそのような経験を味わったのかもしれない。
字幕の方のチケットを買い直さずにいるということは、もしかするともうお金が無いのかもしれない。仮に、俺がお金を貸そうかと提案しても風岡さんはそれを断るだろう。知り合ってまだ間もないが、そうだろうと確信が持てた。
『しかたないですよ、自分のミスなので。今日はもう帰りますね。良かったらこのチケット貰ってください。私には無用のものですから』
風岡さんは俺の手の中に、彼女が買ったチケットを握らせた。そのまま彼女はロビーを出て行こうとする。俺は風岡さんの腕を掴んで引き留めた。
『ちょっと待っててください』
俺はそう言って券売機へ向かった。
なぜ、風岡さんはいつもより早く映画館に来ていたのか。それはもちろん映画を見るために決まっている。だとしたら――
「よかった、まだ間に合う」
俺は風岡さんが購入した映画の字幕版のチケットを選択する。座席は中央を選択。あとは適当に選択し購入画面まで進むと、財布を取り出し代金を払った。急いで風岡さんの元に戻る。そして俺は彼女の手に、購入したチケットを握らせた。
『チケットのお礼です。貰ってください』
風岡さんはスケッチブックを開こうとするが、俺はそれを止め、時計を指さす。
字幕版の上映時間からすでに八分が過ぎていた。あともう少しで、予告映像が終わり本編が始まってしまう。
風岡さんは何か言いたげな顔をしたが、頭を下げると入場口へ駆けていった。俺はそれを見送った。
……そういえば、いつもの癖で中央の座席を選択してしまったが、まあいいだろう。
それから吹替版の上映時間を待って、俺も入場した。シアターに向かう途中で風岡さんから受け取ったチケットを見る。表示されている番号は、風岡さんがいつも座っている座席のものだった。
席に座ると、そこから見えるスクリーンはいつもより大きく見えた。……前の方で見るのも悪くないな。
映画が終わりシアターの外に出ると、風岡さんが通路で待っていた。
二十分ほど早く上映が終わったはずだが、吹替版の上映が終わるのをわざわざ待っていたのか。
『先ほどは、本当にありがとうございました』
風岡さんのスケッチブックにはそう書いてあった。
『今度見ようと思っていた映画だったので何も問題も無いですよ』
気にすることはない、と俺は言った。しかし、
『これ受け取ってください』
と、風岡さんは財布から百円玉を二枚を取り出す。そしてそれを手のひらに載せ、そのまま俺の方へと伸ばした。思わず風岡さんの顔を見ると、コクりと彼女は頷く。
俺と風岡さんのチケットは同額ではなかった。風岡さんが誤って購入した吹替はレイトショー扱いで、後から俺が購入した字幕は通常料金で二百円高かった。
チケット全額ならまだしそれくらいなら気にはしない。だからあえてその事には触れなかったのだが、風岡さんはその事に気がついていたようだった。かえって変に気を遣わせないためにも、俺は風岡さんから二百円を受け取った。
『改めて、ありがとうございます』
風岡さんはそう言って再び頭を下げた。そして顔を上げ、
『それで、今日の映画どうでした? 凄く面白かったですよね! 特に――』
と、笑顔で映画の話を始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます