第2話 空回り
今日の映画は先週の金曜に公開されたばかりの恋愛映画。同じく、先週公開のシリーズもののアクション映画と迷ったが、こっちにした。彼女は映画のジャンルに関わらず、新作の映画を選ぶ傾向があった。俺もできる限りそれに合わせようと映画を選んでいた。
券売機の前に立ち、映画を選択してチケットを購入する。選択画面でみた座席は空きばかり。埋まっている席は四席ほど。いくら平日の夜とはいえ、この客入りでは映画館の経営状態が心配になる。そんな惨状を憂いてではないが、映画を見る時は毎度必ず売店でポップコーンを買うようにしていた。売店に並んでいると、入場開始のアナウンスがロビーに響いた。
会計を済ませ入場口へと向かう。係員にチケットを見せ、指定のシアターへと向う。彼女はすでに入っているのだろうか。今日はまだロビーで彼女の姿を見ていなかった。彼女は俺より先にシアター内にいることもあれば、後からやって来ることもある。日によってまちまちだ。
自分の座席に座る。俺の他には、男性と女性の二人が座席に着いていた。彼女はまだいなかった。
上映開始を座って待つ。
一分、二分と時が過ぎていく。やがて照明が落とされるとスクリーンに映像が映し出された。結局、上映が始まっても彼女が姿を現すことはなかった。
彼女を待ち焦がれていた俺の想いは行き場を失いスクリーンに吸い込まれる。スクリーンの中の主人公が俺の気持ちを引き継いだかのように、ヒロインと恋の駆け引きを繰り広げていく。内気な主人公が積極的な彼女に押され、やがて自分から思いを伝え二人が結ばれ物語が終わった。かと思いきや、そこから話は思い切り舵を取った。ヒロインは未来から来た未来人で、未来から彼女を狙う組織が現れ二人は逃避行へ。最終的にヒロインが追っ手の凶弾に倒れ、治療のため未来へと連れて行かれる。そこで本編は終了し、スタッフロールが流れた。が、スタッフロール後も照明は戻らずそのままエピローグが始まった。年を取った主人公は、当時の姿のまま若いヒロインと再会し再び愛を誓い合った。そして、そこで物語が終わった。シアター内の照明が戻る。
前評判にそぐわず面白い映画だった。王道の恋愛映画を期待して見に来た人にしてみれば面食らうだろうが、俺はその意外性を楽しむ事ができた。なにより、最初は内気だった主人公がヒロインと出会うことで少しずつ変わっていくのが、見ていた成長を感じられた。
シアターの外に出ると、上映後の客でロビーへの通路はわずかに混み合っていた。レイトショーだと上映が終わる時間がなるべく重なるよう決められていて、上映終了後に客が一同に会することになる。ただそれでも人の数は少なかった。
少ない人影の中に彼女の姿を見つけた。
いつもならその背をただ見つめるだけに留めていた。だが、今日はなにかが違った。
彼女に声を掛けてみよう。なんでもいい。すこしだけでも話しがしたい。そんな思いがどんどんと強くなっていく。
映画の主人公にあてられたのかもしれない。
見えないなにかに操られるかのように、俺は前を歩く彼女に向かって口を開いた。
「あ、あの!」
足音だけが聞こえる静かな通路に俺の声が響いた。思いがけず声が大きくなってしまったらしく、周りの人の足が止まり、視線が俺に集まる。咄嗟に下を向いて顔を隠す。身体が一気に熱くなり、汗が滲んできた。
俺は恐る恐る、ゆっくりと顔を上げ前にいる彼女を窺う。
彼女の足は止まっていなかった。
彼女はなんら反応を見せることなくそのまままっすぐと歩き続け、彼女との距離はどんどん離れていく。
……聞こえていないのだろうか。いや、この距離で彼女の耳に届いていないはずがない。実際、彼女のすぐ後ろを歩いていたサラリーマン風の男性が俺のことを見ていた。つまり、彼女は声を聞いた上で何の反応も見せなかったということになる。それが彼女の応えだということだろうか。
……いや、本当にそうだろうか。考えてみれば、彼女が俺の声を聞いたとしてそれが自分に向けられたものだと捉えるだろうか。俺だって突然誰かが声を出したら「一体なんだ」とは思うが、それが自分に向けられたものだとは思わない。それどころか目を合わせたら変に因縁をつけられそうで、あえて無視するかもしれない。
だとすれば、彼女が振り向かなかったのもそういうことなのかもしれない。いや、そうであってほしい。
足を止めていた人は、興味を失ったのかすぐに俺から視線を外して何事もなかった風に再び歩き出す。彼女の姿はすでに見えなくなっていた。
どういう風に捉えようと、彼女が俺の声に振り返らなかった事実に変わりはない。その事実が俺の心に重くのしかかり、すぐには足を動かすことができなかった。
それから家に帰るまでに何を考えていたのかはよく憶えていない。
気がつけば、湯船に浸かりながら浴室水滴が垂れる天井をぼんやりと見つめていた。
「なんであんなことしたんだ、俺……」
暖まる身体とは対照的に、俺の心は冷えきっていた。
***
「どうしたんだ、祐一」
火曜。大学の講義が終わり帰ろうとノートの類いを鞄にしまっていると、いつの間にか隣に座っていたらしい友人の結城から声がかかった。
「今日はいつもと違って、授業中、上の空って感じだったな。いつものお前なら真面目にせっせとノートを取ってるのに、今日は全く手が動いて無かったぞ。何かあったのか?」
「何でもな、くはないか。少し調子が悪い、のかもしれない。最近あんまり食欲がないんだよ」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。帰ったらすぐ寝るから」
「……そうか。じゃあな、早く調子戻せよ……でないと、お前のノートに頼れなくて俺も困るからな!」
最後にいつもの調子で軽口をつけ加えると、結城は講義室を出ていった。
あれから一週間近く経った今も、先週の映画館での出来事が頭の中から離れることはなかった。
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