映画と僕と彼女

雨野 優拓

1章

第1話 いつもいるあの人

 あの人はいつもあの席に座っている。

 暗闇の中、光に照らされる彼女の姿を、気がつけば俺は見つめていた。

 言葉を交わしたことはない。ただ、彼女の姿を遠くから見ているだけだった。

 彼女の声音を想像する。優しく包み込むような声音。鋭く突き刺すように凛と研ぎ澄まされた声音。どんな声であろうと、彼女をよりいっそうに彩ることは想像に難くない。

 俺たちがいるのは、都心から離れた映画館の中のひとつのシアター。都内の映画館はどんな時間に行ってもそれなりの人の数があるが、こうして都心から離れてしまえば人の数は一気に減る。平日木曜のレイトショーという時間も関係しているのだろう。シアター内には俺を含めて両手で数えられるほどしかいなかった。

 俺はシアターのちょうど中央の席に座っている。ここからだとスクリーン全体を視界に収めやすいし、左右の音響装置から等距離になって最大限に音を楽しめるような気がした。ただの俺の思い込みかも知れないけれど、そう思うと得した気分になれた。

 席についたまま少し待っているとうっすらと点灯していたシアター内の照明が完全に落とされた。上映が開始される合図だ。まもなく、スクリーンに映像が投写され始めた。

 彼女から視線を外すと、スクリーンに向き直る。といっても最初は、新作映画の予告映像が流れる。毎週のように映画館に通ってる身からすれば見飽きたものだ。シアターの入り口付近に座っている彼女が視界の隅に見える。彼女も心なしか退屈そうだった。。

 予告が終わると注意喚起の映像が流れ始める。最近になって気がついたことだが、注意喚起の文章が中国語など他の言語でも表示されるようになっていた。そんな小さなところでグローバル化の波を感じる。注意喚起の映像も終わると、いよいよ映画の本編の上映が始まった。

 ***

 二時間に及ぶ上映が終わる。スクリーンの映像が消え、シアター内に光が戻った。軽く伸びをして長時間使わずに固まった筋肉をほぐす。自然と口から息が漏れる。

 映画の余韻に浸ってしばらく席に座っていたいところだが、そういうわけにもいかない。入り口付近に劇場スタッフが掃除用具を手に俺たちが外に出るのを待っていた。入り口付近に座っていた彼女がその横を通ってシアターを出て行くのが見えた。

 スタッフは何も言わずその場に立つのみで退出を急かすようなことはしない。が、俺がこのまま座席に座っていてはこの後の業務に支障が出るのだろう。チラチラと俺の方を窺っている。俺は上着を羽織うと荷物を持ってシアターの外に出た。スタッフの横を通る。

「ご来場ありがとうございました」

 とスタッフが業務的に言った。

 シアターを出ると、他のシアターからも人が出てきていた。ロビーに向かう通路で、先を歩く彼女の後ろ姿が見えた。肩先から少し下まで伸びた黒髪が、彼女の歩みに合わせて左右に揺れていた。

 映画館の外に出ると、冷たい風が肌をなでては去っていく。

 この映画館は大型ショッピングモールに併設されていて、駐車場は共同になっている。

 映画館の入り口近くの駐輪場に駐めておいた愛車の中型二輪にまたがる。大学一年の時に購入して、今年で二年になる。キーを差し込み回し、エンジンを始動させた。

 ドッドッドッと、小気味よいエンジンの音が乾いた中秋の空気を振動させる。それからクラッチを繋ぎ、家に向かってバイクを駆った。

 家に着くとすぐさまシャワーを浴びる。昼間のうちに肌に染みこんでいた汗が洗い流される心地がした。

 母親が作り置きしてくれた夕食を手短に食すと、自室に戻り携帯で今日見た映画のネットレビューを漁る。映画を見た後はこうして他人の感想と自分の持った感想を照らし合わせるのが習慣のようになっている。周りに映画について話せる相手がいればいいのだが。あいにくと、そんな相手はいない。だからこうして誰が書いたのかもわからない毒にも薬にもならない感想文を読んでしまう。

 いくつかのレビューを読んだが、どれも「面白かった」「アクションが凄かった」など具体性に欠けたものばかりで、俺の求めるものではなかった。

 携帯を閉じてベッドの上に放り、そのままベッドに寝転ぶ。湯船で火照った身体が冷め始め、眠気が誘われる。眠気に身を委ね、ゆっくりと目を閉じる。

 目を閉じると、映画館で見る彼女が姿を現す。

 彼女の姿を初めて見たのは、今から三ヶ月前のことだった。

 気になる映画を見ようと大学帰りに家から一番近い映画館に寄った際、そこで彼女を初めて見た。一目惚れだった。

 来週もこの時間に来たら、また彼女に会えるだろうか。そんな安直な考えに囚われ、俺はその次の週も同じ時間に同じ映画館に向かった。すると、彼女は映画館に現れた。

 それから、毎週の木曜夜に映画館に通うようになった。映画は元から好きだった。大学生になり自由に使える時間とお金が増えたから、こうして毎週のように映画館に通うことができている。

 そうして彼女への恋慕を続けて早三ヶ月。ただ彼女の姿を見るだけで、未だに声を掛けられずにいた。

 彼女は俺のことをどう思っているだろう。いや、そもそも話をしたことすらないのだから、俺のことなど気がついてすらいないはずだ。それでも、もし気づいていたとしたら。そんな考えを捨てきることができない。だが、それを直接声をかけて確かめようとはなかなか踏み切れなかった。

 俺が見るのは彼女の後ろ姿ばかり。ときどき彼女の座る席のそばを通るときにチラリとその横顔を見ることはあった。が、真っ正面から彼女の顔を見たことはなかった。

 この日も、彼女の背をただ見つめるのみ。

 今、ここで声をかけたら彼女はどのような反応をするだろう。そんなことを考える。

 驚き、不審な目でこちらを見るだろうか。それとも、柔和な笑顔を返してくれるだろうか。

 そうこうしていると映画館の出口にさしかかった。今日の一方的な逢瀬の時間が終わりを告げる。俺は彼女に背を向けるとバイクの元へ向かった

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