4話:魔性の女①

4話:尋問


 その存在は百合華の頭を優しく撫で賛美さんびの言葉をかける。

「よくぞその身で生きながらえた。頑張ったな」

 撫でる手は大地のように広く天にそびえ立つ太陽のように暖かくて思わず身をまかせたくなる。

 数秒撫でたのち、手が頭から離れてしまう。「あっ」と声が漏れ頭で手を少し追ってしまうがすぐに体勢を戻す。

「もう膝を付ける必要はないぞ?……ああ余のせいか。権能対象……除外……よし、もう良いはずだ」

 その言葉のあと体へかかっていた重圧感がなくなり、尊敬の念を残したまま敬服の強迫観念が消える。膝をつけこうべを垂れることの強制力が無くなり立ち上がろうとする。が思惑とは裏腹に目線はどんどんと地面へ近づいていく。

 ああ、そういえば右腕に大きな穴が空いて多量に出血してるし毒も流れ混んでいたわね。意識が途切れる寸前に自分の状況を呑気に思い出し「まずい」と口にする。実際に声に出せたか不明で、確認する暇もなく意識を手放してしまう。


──────


 幾度目いくどめかの覚醒。目を開いて初めに映るのは真っ白な天井で清潔感があり今にも消毒の匂いがしてきそうである。ここは病院だろうか。

 今日だけで2度も意識を失ったせいか脳がすぐには動き出さず、上体を起こしてもふわふわした綿わたに寄りかかっているような夢心地に包まれる。時間をかけて脳の機能を働かせていくと、ヘビとの戦いをフラッシュバックし背筋がゾクッとして息が荒くなる。怖かった。死そのものをのあたりにしたのは初めて。戦っている時は無我夢中で気に止まらなかったけど今思い出すと……

 ふぅっ──ふぅっ──と息を整えながら両手を肩に回す。ギュッと目をつむり体を畳むように丸まって自分自身の震えを押さえつける。

 数時間、数十分あるいは数秒程度しか経っていないかもしれない──と時間の感覚が分からなくなってきた頃。無防備に周囲に晒していた背中に何かが触れる。それと同時に聞き覚えのある若々しい男性の声が聞こえる。

「大丈夫か?どこか痛いところでもあるのか?余に申してみよ」

 背中に触れたものは暖かな手で、れられた部分から次第に震えが収まっていく。恐怖心がなくなった訳ではない。けれど服の上から両肩に爪痕を残してしまうほど力が入っていた指は自分をいたわるように離れていく。


「あ……ありがとうございます」

 男性は不思議そうな声を出す。

「ん?余は特別何かしてないが……元気になったのならよい」

 話を続けながら顔を上げ、初めてその男性の顔を見る。

「ヘビと戦っていた時も──」

 ────絶句する。その男性はあどけなさの残る声とは裏腹に、凛々りりしくも愛らしい顔付き。部屋に差し込む光を反射し輝く金色こんじきの髪と、黄金の隙間からのぞく薔薇色の瞳。それは老若男女誰であれ魅入ってしまうだろうと感じる。実際心臓を鷲掴みにされたような感覚になり薔薇色の瞳から目を逸らすことができない。

「──ッ……ぁ……」

 途切ってしまった会話を戻そうとするが声が出ない。数秒前に何を話してしたかすら忘れ何を話せば良いか分からなくなるほどに思考をかき乱される。美しい。この御姿みすがたを形容するには言葉が足りない、けれどどの言葉も蛇足にしかならない。

「ん……どうかしたか?急に黙ってしまったが」

 きらびやかな顔が不安そうな表情でこちらの顔を覗いてくる。ふと昔の事を思い出し、顔を背けながら男性の肩を優しく押して距離を取る。

「──こ、心に決めた人がいるのでっ!」

 そうだ、なぜ今まで忘れていたのだろうぼくが心に決めた人────名前が……出てこない。名前だけではなく容姿や声、性別すら思い出せない。その人と話をして心が温かくなった事。パンケーキを食べる約束をした事だって覚えているのに。記憶の中からその人の存在だけぽっかり穴が空いたように抜けている。あの人の事を思い出して……そしてもう一度会いたい。


「あー……もう少し寝てた方が良いのではないか?色々考え事も多いようだしな」

 美しいを擬人化したような男性の声が、物思いに耽っているぼくの頭に静止を呼びかける。

「──ああ、ごめんなさい。色々思うところがありまして」

「そうか。ああ、そうそう。治癒は効いてるからもう右腕を動かしても大丈夫ではあるが、安静にと」

「はい、わかりました。ありがとうございます……えっと」

「……ああ、すっかり忘れていたな。余はラーマだ」

「はい、ありがとうございますラーマさん。ぼくは百合華と言います」

「ユリカか、ふむ覚えたぞ。それで傷も癒えてない者に問いただすのは忍びないが」

 ラーマは隣のベットに座りまっすぐこちらを見つめる。質問……というよりも尋問に近い雰囲気を感じる。

「お主は何者だ?」

 何者?ぼくは天水百合華でおそらくこことは違う場所、いやもしかしたら世界自体が違う可能性もあるけど……

「えっと、抽象的すぎて答えに困ります……」

 彼は左手を自分の背後に隠す。一瞬光ったような気がするが、追求できる雰囲気ではない。

「では、どこから来た?」

 さてどう答えるべきか。東の方から来た、なんて答えがベタではあるが……そういえばぼくが通った門から見て左側へ向かったら南にいるヘビがいた。もし方角の概念が同じであれば、森の方が東になる。てことは嘘はついてない……わね。

「東の方です」

 背筋が凍りつく。発言した瞬間に四方八方から武器を首元に突きつけられている感覚に陥る。彼はその場を動いてはいないし武器を構えてはいないが、目を逸らせば現実のもになるだろうと確信が持てる。

「──それは東に何があるか知っての発言か?」

 彼の声が氷のような冷たさになって敵対心すら感じられる。

「も……森が」

「その奥には?」

「知らないです」

 そう答えると彼は眉をひそめ、口に手をつけて考え事をし始める。十数秒経つとこちらを向き口を開く。

「東の奥には魔族共の住処がある、赤子でも知っている事だ。それでいてお主は東から来たと主張した。つまりお主は魔族となる訳だが」

 魔族?魔物の別の呼び方だろうか。少なくともぼくは違う。

「ち、違います、魔族?は知りませんしぼくは人間です」

「ならなぜ人間のお主が東から来た?」

「わ……わかりません」

 発言が苦しい。疑ってくださいと言っているようなものだ。

「言ってる事が支離滅裂だが嘘ではない……か。まぁ良いお主の言うことを信じよう」

「え?」

 素で声が出てしまう。あれだけ疑っておいてそんなすぐ信じるものなの?ぼくが言うのもなんだけど怪しさの塊だよ?

「え、いや……信じてもらえるのは嬉しいのですが、信じてもらえる根拠は?」

 彼は背後に隠していた左手のてのひらが見えるようこちらへ向ける。その手には炎のように紅に輝く指輪のような物が乗っている。

「これは裁判の投げ輪だ。この投げ輪の前では嘘をく事は神にすら許されぬ」

 な……なんだそれ、ずる過ぎない?心理学の学問全無視じゃないの?圧倒され言葉に詰まる。信じる事はすぐにはできないだろうし、かといって疑う……立場にはないのが現実だし。

「信じられないなら試してみるがよい」

 許可がでた。試すなら、性別とかがわかりやすいものか。ぼくは男と言ってみようかな。

「ぼくは女です……うん?」

 自分の意思とは違う言葉が口から出てくる事に違和感が存在せず、言い切った後にやっと気づく。

「わかったか?」

「ええ、わかりました。とんでもない物ですねこれ」

「ああなんせ……特別な物であるからな」

 言い淀んだ事が少し気になるがそれよりも。

「そういえば魔族って何ですか?魔物とは何か違う物がいるんです?」

 先程ラーマの口から洩れた魔族という単語。魔物とは違う物なのか別称なのか気になる。

「む?魔族とは魔物を使役する者共の事だ。魔物は獣程の知性しか持たぬが、魔族は人並みかそれ以上だ。魔術を使って──」


 気になる事を聞き取る寸前に部屋のドアが強く開かれ大きい音を放つ。

 姿を現した者は腰まである程の薄ピンクの髪がなびき淫靡いんびな雰囲気を漂わせる女性だ。多くの男性なら一目で虜になってしまいそうな女性は、部屋をキョロキョロと見た後にこちらへ近づいてくる。

「初めましてぇラーマ様。わたくしぃスルパナカーと申しまぁす」

 ──イラッとした。ぼくこの人無理だ。

「あぁ……そうか、それで其方そなたはなぜここへ?」

 至極冷静に慣れた様子で対応する。彼はいつもこんな人に絡まれているのだろうか。

「わたくしぃシータ王女を連れ去りにぃ来たんですけどぉ、やめてぇラーマ様のところに来ましたぁ…………あっ?」

 え?何言ってるのこの人?なんで企みをバラして……ああ、そうか。

 ラーマの指にはまだ煌々と光る紅蓮の輪が存在している。当のラーマは先程ぼくへ向けた圧とは比べ物にならない程の圧。いやもはやそれだけで人を殺せる程の殺意を向けている。怖くて顔が見れたものではない。

「投げ輪よ、この者を拘束せよ」

 そう言い放つと輪が独りでに宙へ浮き始め、瞬きをした瞬間に輪の中に人の腕が収まる程のサイズへと変化し淫靡いんびな女性の片腕を捕らえて地面に輪が刺さる。

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