石鹸と死体
echelon
石鹸と死体
石鹸を作りたかった。十四歳位の頃、図書館で石鹸の作り方の本を読んだ。クリーム色のバターのように仕上がった石鹸を、牛乳パックの型から出して包丁で切り分ける写真を食い入るように見ていた。材料はオリーブオイルと精製水、それから苛性ソーダ。劇薬である苛性ソーダは身分証明書と未成年であれば保護者承諾書が必要らしい。保護者に承諾書を書いてなんて言えない。そんな中学だったので、成人して一人暮らししてから、と憧れに留めて本を横に置いた。
二十年近くたった。環境、時間、気持ち、全てのタイミングが揃った二〇二〇年の夏、石鹸作りにようやく着手した。
ネットで作り方を再度確認する。サイトによって微妙に違うがほぼ苛性ソーダを水に溶かして、油と混ぜ、固めるということが書かれている。
休日に街の大きめの薬局に行く。一件目では薬剤コーナーに案内され、無いと言われる。二件目、無いと即答される。こちらは印鑑も身分証明書も用意してきているのに。混乱する。ひとまず帰宅し、再びネットで調べる。昨今、苛性ソーダは薬局で取り扱われなくなりつつあるらしい。何とか方法はないか考え、語彙を駆使し、ネット中を探し回る。ついに石鹸オルトケイ酸ナトリウムという薬剤が、苛性ソーダの代用品として石鹸作りに使われていることを知る。商品化もされていて、安価だ。作り方も苛性ソーダを利用する場合と変わらない。安心して注文する。
事前に入手した専用の油も届く。残るは器具だけだ。耐熱製ボウル、泡立て器、ゴムベラ、調理用温度計、ステンレスのスプーンを大手百円均一で買う。
ようやくオルトケイ酸ナトリウムが届く。満を持して石鹸づくりを開始する。
ゴム手袋は二重に。メガネ(普段から)。マスク。薬品の封を切る。ビニールに包まれた白い結晶だ。なんか怖い。五包全てに鋏を入れ、水中に注ぐ。ここで精製水を買うのを忘れ、水道水を使っていることに気づく。今更どうしようもない。続行する。
オルトケイ酸ナトリウムは水を加えると熱を発する。確かに手袋を外してボウルの側面を触るとほんのり熱をもっている。完全に溶かす。跳ねないように慎重にかつしっかりと撹拌する。なかなか溶けきらない。表面に浮いたりボウルの側面にくっついたりする。溶け残りがあると皮膚に触れたとき大惨事が起る。あってはならないことだ。十分間混ぜる。
もういいだろう。静かに油を投入する。きちんと固まるよう少なめにしておく。溶液をゆっくりと混ぜるうちにクリーム色に濁ってくる。金色だったオイルが、最後は白っぽいクリーム色になる。
香りづけにアロマオイルを振り入れる。十二種のオイルを全て使うことにする。ラベンダー、ローズ、ローズマリー、レモン等一滴ずつ垂らしていく。香り良い石鹸にしたいのだ。
牛乳パックを縦に切って口をホチキスで綴じた型に、石鹸生地を流し込む。念のため二つ用意していたが、一つの型に収まった。漏れてきた時のために新聞紙を敷く。
風通しがよく静かな場所において乾燥する。一日目で大分固まる。二日目、水分はわずかに残るのみだ。つい、固まった表面を触ってしまう。少し手に液が付いた。急いで洗う。三日目、完全に固まっている。いよいよ細断の時だ。包丁ではなく糸で切る。気持ちがいい。最後に一週間熟成させる。
結局我慢できず六日目で欠片を使ってしまう。泡立ちはよい。鼻を近づけると油のにおいがする。すっきりとした肌の洗いあがりが石鹸の完成を物語る。残念なことにアロマオイルの香りは飛んでしまっていた。
私は刑事だ。ある殺人事件の犯人を追っている。犯人の目星はついている。証拠はない。
容疑者の家の前で張り込みをする。容疑者が出てきた。跡をつける。
大型薬局で店員に話しかけている。出てくる。また別の薬局に行く。
数日後の朝、スーパーに出かけた以外は家にいる。窓を覗く。
台所と一続きのリビングに置かれたテーブルの上で作業をしている。マスクをし、両手にゴム手袋をはめている。何かを混ぜている。何をしているのだろう。
発見された遺体は脂肪を吸引されていた。容疑者の持つボウルから注がれる液体が黄金色に柔らかく光っている。
手作りの石鹸は皆そうなのか知らないが、顔への使用はお勧めされていない。衣類や体を洗うのに適しているらしい。
台所に小皿を配置し、そこに出来上がった石鹸を置く。手を洗うのに使うのだ。
大きく切った石鹸を豪快に使うのは気持ちがいい。汚れが全て落ちていくようだ。
石鹸と死体 echelon @yorozu9871
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