第2話 夏になる前に episode2

「君、高校生?」

 コクリとうなずいた。


「ふぅーん。そっかぁ。あんまり遊んでいるようには見えないんだけど。なんかあった?」

 かじりつこうとしたハンバーガーの手が止まった。


 その様子をつかさず見逃さないその男の人。

「別に話したくなかったらいいんだけど」

 コクリとうなずいた。


 目の前のこの人が、求めているもの。それは私の事情じゃない。――――体だけだ。

 そんなのもうわかり切っている。

 私はこの人に抱かれる。

 抱かれることによって、多分、今晩の宿とこうして食事にありつけるのだ。

 そう言うことは本能的に分かる。


 ちらっとその人の顔を見た。そんなに不細工じゃない。結構まとも。

 不潔そうじゃないところで、何とか妥協できるような気がする。


 ……何考えてんだ?

 でも、ギトギトした感じがない分いいんじゃない。


「なぁ僕らって、ほかの人たちから見ればどんな風に見えるんだろうね」

 そんなことを言う彼の問いに答えることもない。


「君って無口だね」

 コクリとうなずいた。


 別に話すことなんか何もないんだから。

 お店を出て、向かう先は……。

 そのまま何も言わず下を俯きながら、彼の後をついていく。

 止まる足に、合わせるように少し見上げるその建物。


 彼は「いいよね」と言う。

 それに何も返さなかった。


 そのまま吸い込まれるように建物の中に入っていった。

 ここが今日の宿?


 部屋に入ると「こういうところ来たことあるの?」

 ブルブルと顔を振った。


「そっかぁ―、でもわかるよね。もう高校生なんだもん。あ! もしかして初めてなの?」


 初めて……。じゃないんだけど。


 だからわかるんだよ男の思惑が、頭の中にあの人、義理の父親の顔が浮かび上がる。

 あの男に抱かれているときのあの顔。


 ベッドに座るようにうながされ、言われるままに腰を落とすと、彼の手が私の肩を掴み、体を引き寄せた。

 そのまま、彼の唇が私の唇と重なった。


 それからの記憶はない。


 死んじゃえばいい。

 そう思ったあの時、目にした亡き両親の写真。


 ……そっちに行ってもいい?


 そんなことを写真を見つめながら呟くと、「だめだよ」て言われたような気がした。


 来ちゃ駄目だって。

 でも、辛いんだよ。お父さん。


 辛いんだよ。もう我慢できないんだよ。いいでしょ。

 私もお父さんとお母さんのところに行って、一緒になりたい。


 いいよね。


 もうこの汚らわしいこの体が嫌でたまらなかった。

 こんな体……もういらない。


 屋根にうち付ける雨音が、激しくなる。

 そして、私の瞼からも大きな水滴が落ちていく。


 ……お父さん。

 叫ぶような声を発しながら、泣き叫んだ。


 どうしようもないこの心の闇をどうしたらいいのか。どんどん何かに飲み込まれていきそうなこの感覚。

 この泥沼から――――逃げ出したい。


 ううん、逃げないと。

 逃げなければ――――逃げよう。


 逃げるんだ。ここにいてはいけないんだ。

 死ぬのはそれからでもいい。

 ここで死ねば、あの人たちにまたいいように扱われる。魂が息絶えたこの体さえも。


 あれだけ重くて動けなかった体が自然と動き出す。

 逃げるんだ。

 逃げるんだ。

 使えるものは使おう。でも使えるものってこの体しかない。

 それでもいい。そうだよ。この汚らわしい体を利用すればいいんだ。

 それだけなんだから。


 あの人以外の人に初めて抱かれた。


 どうていう事なかった。

 気持ちは死んでいた。心は死んでいた。魂も……。


 激しく鼓動だけが繰り返し波打ってくる。


 彼は何度もこの抜け殻の体を何度も抱いた。人形のような心のない体を。

 二人でベッドに横たわり、汗まみれになった体を寄りわせていた。


「君さ、家出してきたの?」

 天井を見つめながら、彼は言う。

「うん」と声を発して答えた。


「俺さ、彼女にフラれたんだ。……このあいだ」

「ふぅーん」

「行くとこないんだろう」

「うん」

「じゃぁ、俺んとこくるか?」

 迷わず「うん」と答えた。


 これで、少しの間の宿が確保できた。

 あの家を出て……数日目の事だった。



 もう所持金はゼロ。




 あっ! また先輩、部長に呼び出されている。

 今度は何やったんだろ?


 ほんとよく呼ばれるよね……先輩。


 部長に呼び出されると、露骨に嫌な顔しているのが目に映る。

 さぼっているわけじゃないんだよ。でも、私の目に映っちゃうんだよ。先輩の姿が、顔が。


 向かう時の顔と、帰ってくるときの顔って全く違うんだよね。

 見ていて面白いんだけど。


 この人って本当に面白い。でね、憎めないいい人なんだよね。

 仕事は丁寧に教えてくれる。おかげで、この会社に入って今まで何の問題も起こさず過ごすことができている。


 この私がだよ!

 て、言ったって、能力もそんなにない。スキルだって、正直まだまだのこの私が、そつなくこの会社で仕事をこなして、生きのがらえていられるのは、先輩のおかげだろうね。


 同期で入社した子。半分はもうこの会社にはいない。

 それを思えば頑張っているよ愛理あいり


 もし、先輩の下につかなければ、多分私もこの会社にはもうその存在はなかったと思う。

 彼がいたから、彼が私の傍にいてくれたから。

 山田浩太やまだこうた、先輩……。この人にもっと近づきたい。

 もっと寄り添いたい。仕事以外でも。


 でも、彼はそんな私のことなんか、ただの新人としか見ていないんじゃないのかなって。そう思う時がしばしば感じられちゃうんだよね。

 友達に相談したら、「愛理さぁ、あんたって奥手? だった? あの強引さはどこ行ったの」

 なんて言われちゃったんだけど。


 そりゃさ、学生時代は好きになった人に彼女がいたって関係ないなんて思っていたけど、なんかこの人に対しては、そう言う強引さは通用しないような気がするんだよね。


 それにさ、女の人にあんまり興味がなさそうな雰囲気するんだよ。”ホモ”。同性愛者? なの? て思うこともあったけど、そう言うんじゃないみたい。


 前に先輩のスマホの待ち受け目にしたことあったんだよね。

 あれ、確かゲームのヒロインの子だった。

 二次元の女の子。スマホの待ち受けにしているくらい好きなんだ。


 この人、オタク?

 そう思うとより一層近親感がわいちゃった。


 何を隠そう私も、オタクなのだから。

 私の場合はゲームするのは好きだよ。それ以上にそのゲームに出演するキャラになりたいって言う欲望が強いんだよね。


 つまりはコスプレ。何を隠そう私は今も現役のコスプレイヤなのだ。


 自分で衣装を作って、身にまとい。その姿を見られることに快感を感じる――――変態と呼んでもでもいいけど。でもそう言われると、なんか”カチン”とくるところもあるんだよね。実際。


 いいじゃない。私の趣味なんだから。


 ああ、先輩ともっと仕事以外の話がしたいようぉ!

 でも、今はこれ以上彼に接近するのには勇気がいるんだよ。


 なんでかな?


 不思議なんだけど……先輩に仕事以外で接近すると、体がものすごく熱くなちゃって、ドキドキしちゃって……。


 だから仕事の事でしか話せない自分が。



 今一番歯がゆいんだよ!

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