特別編 第24話 あのね本当は……。 鷺宮友香 ACT 3

目を開けると、いつも見慣れた自分の部屋にいた。

あれからどうやって帰ってきたのかさえ記憶にない。


ドアがノックされた。

ゆっくりとドアが開き、そっと覗き込むように母の顔が私の目に入る。


「起きていたの?」

「……うん」

心配そうに私に尋ねる。

「病院……………」

「うん」

なんて答えるべきだろうか。


母は私の隣に腰掛け、やさしく頭を撫でた。

もう成人しているこの娘を愛おしがるように。まるでまだ幼子のように。

あの過ぎ去った日を思い起こすように。


「あの……ね。お母さん」

「うん」

母は小さくうなずく。

「私ね。……私ね、白血病の疑いがあるんだって」

ぴくんと私の髪をなでる手が止まった。


「嘘」

すっと母のもう片方の手が私の手を握る。

温かい。母の手のぬくもりが私の手に伝わる。

少し震える母の手。


「また、大学病院に行かないと……検査の結果」

私の頭を引き寄せ自分の胸の中で抱き

「辛かったね。怖かったね。でもよく話してくれた。自分一人の中に押し込めないで私に話してくれた。一人で抱え込まないでちゃんと話してくれた。……ありがとう。友香」


「ごめんね。心配ばかりかける親不孝な娘で」

「ううん。何言っているの親不孝なものですか。あなたは私たちにたくさんの幸せを運んでくれた。その幸せを私たちは共に分かち合ってきたんだから」

強く私を抱きしめた。


「……ご、ごめんね。ごめんね……………お母さん」

泣いた。母の胸の中で、甘く懐かしい母の香りが私を包み込む。

「……友香」母の涙が私のほほに落ちた。


父が仕事から帰宅した。

私たちの様子を見て

「どうかしたか?」と訪ねてきた。

父にも話した。

愕然とするその姿を見て、私の胸はより重く苦しく。そして、痛かった。


親子3人でこれから向かう先の不安が、先の見えぬ暗闇が包み込んでしまった。

その日は夕食も取らなかった。

ただあふれる涙と私の隣に突如として現れた死神が、ほほ笑む姿が見えていた。


次の日の朝、リビングに行くとキッチンからお味噌汁の香りが私を出迎えた。


「あら、おはよう友香。あれから眠れた?」

「ううん」

「そうよね。まだ体だるいの?」

「うん、少し」

「そっかぁ、じゃ、今日もゆっくりとしていなさい」

「うん」

「ねぇ、食欲はある? なくてもお味噌汁だけは飲みなさいよ」

「うん」

以外にも普通に話しかける母。


昨日あれだけ泣いたのに、昨日、あれだけ不安になったのに。

いつもと変わらない母のその姿に、なぜか少し気持ちが落ち着いた。


「おはよう友香」

いつもと変わらず、ダイニングの椅子に座り新聞を広げて読みふけっている父の姿。

いつもと同じ。

何も変わらなかった。


「そうだ友香。次、大学病院に行く日っていつなの?」

「一週間後だけど」

「じゃぁ私も一緒に行くね。ねぇ、お父さん。そうしたほうがいいでしょ」

新聞から目を離し、父も「そうだな、そうしなさい」と言う。


あまりにも普通に話をする二人に少し驚いた。

でも見る母の目は赤く少し腫れていた。

二人とも無理に普通を装っている? ううん、そうは見えない。

本当にいつもと変わらない毎日の朝だ。


その時、少し腫れた母の目を見ながら、私はこう、思えた。

二人はもうすでに現実を受け入れたんだと。

私の親は私を、こんな躰になった私を受け入れてくれたんだと。

そして、共に戦う覚悟を決めたんだと。

あれだけ泣いたのに、また涙があふれてきた。


「ちょっと何泣いてんのよ友香」

「……だって」

「だってじゃないでしょ。あなたがそんなに弱気になっていたらいけないんじゃないの」

みそ汁の椀をテーブルに置いて、私の躰を抱きしめながら。

「一番辛いのはわかるけど、ちゃんと前を向いて一緒に歩こうよ。今まで通りに」


『今まで通りに』

その言葉がとても心強かった。


私はこの時、自分の両親の強さを知った。

本当は二人とも物凄く辛いんだ。でもその辛さに押しつぶされないように、二人は前に進もうとしている。

私が立ち止まることを許さないように。

私は二人の子でよかった。

二人の。両親の愛を、強さを受け取った。


一週間後。

母と一緒に大学病院に来た。

そして……………。

担当医師から告げられた。


『白血病』


現実を否定してくれることを心の隅で祈ったけど、死神は私の横でほほ笑んだ。


「前回も少しお話をいたしましたが、今すぐに症状が劇的に表れるわけではありません。これから治療を進めていき、進行をできるだけ抑え込むことはできます。治療には抗がん剤も使用する範囲に入ります。その際に生じる副作用についてもこれから、説明と、詳しい治療方針を説明いたします。何より、この病気を当事者である友香さんが理解して、戦う覚悟を持ってもらうことが一番のお薬になります」


医師はやさしく、やわらかく。されど真剣に私に語り掛けた。

数枚のパンフレットを手渡され、これからの治療方針の説明を受けた。

5年。この年数が一つの境目であると。

様々な内容が次から次へと、流れ込んでいく。

抗がん剤の使用。その副作用。


抗がん剤を使用しても副作用が重く出なければ、日常生活にはさほど影響は出ないということ。

無理をしなければ、普通の生活がまだしばらくは出来るということに、少し希望が持てた。

……でも、もう一人の女医から言い渡された言葉は胸に刺さった。


「友香さん。これは同じ女性という立場から言うのは心苦しいんですけど。白血病によって、通常遺伝するのではという思いも生まれるかもしれませんが、それは確率的に低い確率です。ただ、治療に使うお薬の影響で妊娠の確率は非常に低く。皆無に等しくなります」

それは私は妊娠。子供を産めない躰になるということを意味していた。


「そっかぁ。私子供産めなくなっちゃうんだ。残念。……ごめんねお母さん、孫の顔見せてあげられなくて」

じくりと刺さった言葉だったけど、あえて明るく装った。

同席していた母が

「しょうがないでしょ」と軽く流した。多分母もショックだったのかもしれない。

それ以上はそこには触れなかった。


女性として生まれてきて、愛する人との子を産むことができない躰になる。

事前の検査で妊娠はしていないことは結果が出ていた。

これから……。それはもうないのだ。

それよりもこれから始まる治療の負担。

家族の支えが大きな力になると医師は言う。

両親はすでに私と共にこの病気に立ち向かう気持ちは出来ていた。


だけど、私にはもう一人大切な人がいる。


その人に、私は負担をかけさせたくはなかった。

あの笑顔を、私の目に映してくれえる。彼のあの笑顔を消したくはなかった。


浩太。


その時、一つの覚悟を――――――持たなければいけなかった。


何が一番辛いのか。




私はようやくその本当の辛さを知った。

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