特別編 第10話 ありがとう。水瀬編 ACT10

「キャッ! いたぁーい」


ああ、ちょっと油断したら指切っちゃった。

絆創膏。

ほんのちょっと切っただけなのに、指を口に入れると血の味が口の中に広がった。


それにしても血が止まらないなぁ。

心臓がドクドクと高鳴っているせい?


最近料理なんてあんまりしなくなった。一人暮らしをするようになってから特にそうだ。

大学時代なんかは料理と呼べるものを作った記憶すら湧いてこない。

あの頃は料理よりも衣装を作る方に時間を費やしていた。


コスプレイヤー。

高校の時に友達に誘われて、赴いたその会場で不覚にも私は魅入られた。

その頃はアニメなんかあんまり詳しくはなかったけど、その着飾った衣装を可憐にふるまう姿に胸を打ち抜かれてしまったのだ。


「どうぉ、愛理。凄いでしょう」

「うん、綺麗」

「ねぇ、愛理もやってみる?」

「へぇっ! 私?」

「うん、あ、あの子私の知り合いなんだよ。たぶん予備の衣装持ってきているはずだから、借りて着てみない」


よりによって中で一番目立っている子だった。彼女の衣装は物凄く派手……しかも肌の露出度も他の子達とは比較にならないほど際どい。

鋭くシャープなメイクの視線が私に注がれる。


正直なところ、あのメイクで視線を投げられるとすくんでしまう。

でも、意外だったのはとても柔和な接し方をする人だったという事だ。


外見と中身とはまったく正反対と言う感じを受けた。

彼女の予備の衣装を着る予定だったが、なんと今着ているのを私が着てみないかという事になった。


「えっ! 無理だようそんなに露出したのなんか恥ずかしいようぉ」

人前に肌をさらす何て物凄く恥ずかしかった。


「何言ってんのよ。愛理スタイルいじゃん。それにその胸、視線集めるようぉ」

「胸?」

「そうその大きなおっぱい。羨ましいよ」

「本当にね」その子もしみじみと言う。


「いやいやただの脂肪の集まりだよ。そんなに形だってよくないし」

何て否定的なことを口にしていた私だったが、気が付けば衣装を着てしっかりとメイクを施されていた。


「ほうらとてもセクシー」

「ちょっとポーズなんか取ってみたりする?」

ドキドキと心臓がなっているけれど、不思議と体はポーズをとっていた。


「うん、イケる。イケるよ。そのままステージにあがちゃえ!」

手を取られ、引っ張られるようにステージにあがるとカメラ集団の群生からどよめきの声が上がった。


「大丈夫。襲ってくるようなことはないはずだよ。これはさ、暗黙の了解と言うか、お約束なんだ。プレイヤーには絶対に触れない。触れたら最後。そこでジエンド! これが私たちと彼らとの紳士協定だよ」


その事を確信したのか安心したのか。そこは分からないけど、オドオドしていた私も何時しか自分からポーズをとるようにまでのめり込んでいた。


「愛理ちゃんだっけ、あなたノリノリだねそれに才能あるかも」

才能があるのかどうかは分からないけど、気持ちはとてもハイになれた。


次第に感じる、体に走るこの感じ。


快感。


気持ちよかった。


フラッシュを向けられるたびに感じる。体中を駆け巡る微細な電気な様な快感。

その快感に脳の中がとろけていくような気がしていた。

舞台を降りた時私の躰はもう汗で濡れていた。


ぐったりとした。疲労感ではなく何かを得た感じのぐったり感。


その時浮かんだのが、セックスが終わった後のあのぐったり感に似ている。

付き合って半年位になる彼とその行為を行った後に感じる何だろう。満足感という訳でもなく、刺激を与えられてその刺激に反応し終わった後の感覚に。いやそれ以上かもしれない。


満足していた。

今までになく満足感が私を襲っていた。


それからだ、あの世界にのめり込むようになって、付き合っていた彼の存在が希薄になり自然と私の前からその姿を消した。

その代わりと言うのは失礼なのかもしれないが、あの子。

私に初めて自分の衣装を貸して着かさせてくれた子。その子との間が急速に進み始めた。


衣装を着て、カメラの軍団の前に立つ彼女はもとても凛とした姿だ。誰しもがそのオーラを感じ魅了されていく。

しかし、衣装を脱ぎ、メイクを落とした彼女はとてもおとなしく人懐っこい可愛い子だった。


そして私は自ずと同性との愛に目覚めていく。


大学に行ってからも私たちの関係は続いたが、時間と共い次第に何かが二人の間の中で崩れ始めているのを感じていた。

ユニットまで組んでいたのに、結局お互いの向かうべく先に食い違いを表すようになり、それを埋めることもなく私たちは一人での活動に走って行った。


嫌いになった訳でもない。失恋したわけでもない。

今でも彼女とはとても仲のいい友達だ。

だが、高校生の時の様にお互いを求めることはもうない。


そんな私が、あの夏の大きなイベントの祭典でその姿を披露した時、ある小さな事件が起きた。

こんなことはよくあることだが、今回は少し度が過ぎていた。


しつこく何度も私にポーズの要求をしてくるカメラを持つ男性。たまにいる。

しかしその要求は次第にエスカレートしてくる。


飲める要求は出来るだけファンの人たちにこたえたいという、生半可なプロ意識みたいなものが芽生えていた私は、要求を出来るだけ飲んでポーズをとるが、流石に衣装をはだけさせて肌を特に胸の部分を強調させようという意図が見え見えのオーダーに対応することも出来なくなり、動きが止まった。


「これ以上は無理です」


素直に謝罪したが。それでもその男は引き下がらない。

暗黙の了解。紳士協定。

そんなものは上気し興奮した男には、もう通用する範囲ではなかったようだ。


気が付いた時は私の腕をがっしりと掴んで

「何で言う事を効かないんだ!」と罵声を上げたのだ。


その時すかさず、その手を払い。

「これ以上のことしたら、だまちゃいねぇぞ!」


一人の男性がその男の手をがっしりと握り絞め私の腕から放した。

その一部始終を周りの人たちは「なんて事してくれてんだよ!そうだこれ以上のことした俺たちも許さねぇぞ」


一人の勇気ある男性のおかげで、事は大きくならずに済み、あの我儘な男はその場から追放されるがごとく、姿を消し去った。


助かった。

正直ほっとした。


「大丈夫?」にっこりとほほ笑みながら、私に話しかけた男性ひと

見覚えがある様な無い様な。そんな不思議な感じがする人だった。



なんだかとても不思議な感じがする人。


私の頭上にまた何かが降臨し始めた瞬間だった。

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