特別編 第9話 ありがとう。水瀬編 ACT9

「ほんと無理すんなよ」

「無理じゃないですって、だから私も弁当に切り替えようと思っているんですから、先輩のは『ついで』ですよ!」


その『ついで』というところが妙にリキが入っているような口調だ。

「別に無理してねぇんだったらいいんだけど」

「うふふふふ、そうですか作ってきてもいいんですね。食べてもらえるんですね先輩」


うっ! ま、まさか毒盛らねぇだろうな。

「さぁてと午後のお仕事パパっと片付けて今日は早く帰ろっと」


お先です。と水瀬はニコニコ顔で出席をたった。


そこに後ろの席でラーメンをすすっていた長野が「ほほぉ、水瀬さんの愛妻弁当が明日拝めるんだ」

「あのなぁ長野、お前なんか俺を茶化している?」


「そんな事ないよ羨ましいなぁって」

「羨ましいってさ、お前だったら作ってもらったらいいじゃねぇか。彼女作ってくれんだろそれくらい」


「あははは、無理だと思うよ。なにせ料理苦手なんだから。来月スクールにでも通うみたいなことほのめかしてはいるんだけど。どうなることやら」

「そうか、なら昼時間お前を見つけるには、これからもこの社食に来ればいいって言う事なんだな」


「なんかしれッと、凄いこと言っていない山田」

「別にぃ。それより俺たちの会話聞き耳建てていたんだろ。ラーメンいい加減伸びてるぞ」

「なははは、そうだね」

そんな事を長野に言い残し、俺も席を立って社食を出た。


昼に言っていた通り、水瀬は定時きっかりに

「お先しまぁ――――す!」と、ニまぁ―とした顔で俺を見て帰宅した。


「あれまぁ、今日は水瀬さんなんか物凄くリキ入れて帰ったみたいだけど、何かあるの浩太?」

マリナさんがつかつかと俺の所にやってきて問いかけた。

「さぁ何でしょうね」

「ふぅ―ン、恋人の夜の行動はあまり束縛しない主義なんだ浩太って」


「何すか、それって」

「んっもう何きょとんとした顔してんのよ。もうそこまで二人の信頼関係はきずかれているって言う事なんでしょ」


「はぁ? 俺たちってそんな風に見えるんですか、マリナさん、いや部長」

「あら、こういう話の時はマリナでいいって、いつも言っているでしょ。でもすごいわね彼女、入社2年目なのに、仕事は出来るし、それに男の目の付け所いいと来ているなんて、私もうかうかしてられないじゃないの」


「はぁ―、そうなんですか」

「そうよ、で、 浩太は今日これから何か予定でもあるの?」

「別にないですけど」

「なら、ちょっと飲みに行かない?」


「いきなりっすね」

「だから私もうかうかしてられないからだよ」


「それはどういう言意味でのことなんですかね」

「そう言う意味よ。まったく鈍感なんだから。浩太のい・け・ず!」

俺の背中をワイシャツの上からなぞる指が滑る。

そわそわっと鳥肌がたつのを覚えた。


こりゃ、ちょっとの飲みが、その後なんか俺食われちまいそうだ。

えへへへへ、ジュる。

下御心丸見えのマリナさん。


「あ、そうだ帰りに醤油買って来いって、繭から連絡入ってたんだ」

しらじら過ぎたか。


「繭ちゃんから醤油?」

「そうなんすよ、なんでも醤油買ってくんの忘れたらしんですよ」

「ふぅ―ん。醤油ねぇ」

一瞬にしてマリナさんの顔つきが変わった。


「若妻さんから……醤油ねぇ」


「わ、若妻って、繭は俺の嫁さんじゃないんですけど」

「でも一緒に暮らしているわよねぇ」

「いやいや、一緒という訳じゃないですよ。マリナさんも知ってるじゃないですか。それをほじらなくても」

今度はムスッとした顔でほほを膨らまして言う。


「何よやっぱり若い子の方がいいって言うの浩太は」

「あのぉ、支離滅裂何ですけど。怒んなくたっていいんじゃないですか」

「怒ってなんかないわよ」

「いや、怒ってますよマリナさん」


「……だから」と、言いかけた時「部長、営業から連絡来てますよ」

おお、ナイスタイミング。営業さんありがとう。


「ったく。あの件かぁ。もう、今日は無理そうね。今度必ずこの埋め合わせはしてももらうから。いい、分かった浩太」

「あ、はい分かりました。急いだほうがいいですよ」


ギッと睨みつけるような力強い視線を俺に差し込んで、マリナさんは自分のディスクに戻った。

今日はよく睨まれる日だ。

俺何かしたのか? ワリ―ことなんかしてねぇんだけど。


これぞ今がチャンスとばかりに一気にディスクの上の物をしまい込んで「お先しま―す」と逃げ出すように俺はオフィスを出た。


家のドアの前に立つと、台所の明かりが灯されている。ほのかに包み込む料理しているんだなって言うのが感じられる香が心を和ませた。

帰ってきたときにこうして、明かりが灯されていて、飯の支度をしている香りがするって言うのはいいものだ。


「ただいま」扉を開けながら三和土で靴を脱ぐと、繭がひょっこりと台所から顔を出した。


「おかえり浩太さん。今日は早かったね」

「ああ、そうか? 普通だと思うんだけどな」

「そうかな?」


「そうだよ。ま、いいかぁ。それより先にお風呂入っちゃって、まだ準備出来てないんだ」

「ああ、分かった」

「ビール冷やしてあるよ」

「ありがてぇ」


はっ! 

これってもしかして夫婦の会話か?


いやいや違う違う

これは日常の会話だ。必要事項をまとめた業務連絡的なものだ、それをかたぐるしくなく言っているだけだ。


シャワーを浴び湯船につかると、ホッとする。

そんな時頭の中にモヤモヤとしたものが浮かび上がってくる。


マリナさん。水瀬、繭。この三人の顔が交互に俺の頭の中に浮かび上がる。

マリナさんはちょっと脇に置いといて……「ちょっと何よぉ!!」なんだか彼女のぷんぷんした顔が一瞬頭の中に浮かんだが、それはまずいい。


それよりもだ、水瀬だ。


会社。俺のオフィス内じゃ、俺たちは付き合っているという事にもう固定化されてしまっているようなんだが、実際俺たちは付き合っている訳じゃねぇ。


今の俺の現状。繭といわば半同棲的な生活を送っているこの状況を水瀬は知っている。

俺と繭の関係。確かに俺は繭に恋愛感情を……持っている訳じゃない。嫌いやそう言う事を考えること自体いけねぇことだ。


繭はまだ高校生だ。

まだ子供なんだよ。


で、その子供に俺は身の回りの世話してもらっている。

日常生活に関わるほとんどの事を今は繭がやってくれている。これはもはや、夫婦関係というべきなんだろうか?


でもよう、夫婦って結婚ってそういうものなのか?


年齢的な事考えると水瀬と付き合う。その進展があっても世間は何も言わねぇし、もし、水瀬と最後まで……その最後って言うのは結婚と言う意味を込めての事なんだが、そうなれば皆、祝福はしてくれるだろう。


もし、それが繭だったら……。


世間の目はどう変わるのか?


繭の事を全て否定する事は俺にとって……。

もはや出来ない存在になっている。


山田浩太。お前はこれからどの道を歩むんだ。

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